第137話 フェルト歯科医院
「さ、ここよ」
アメルデに連れてこられた場所は、市役所のある大通りの五本奥にある表通りの、路地裏のビルの2階だった。なんというか、絶妙に薄汚れていて初見では非常に入りにくい場所だとキラは思った。一応ビルの入り口に「フェルト歯科医院」という看板がでいているので歯科医院だと判断はできるものの、その看板も隅っこに設置されている上、汚れ具合で壁になじみすぎて意識しなければなかなか認識が難しい。
簡潔に、言葉を取り繕わずに言うのであれば、「薄汚れたビルの、薄汚れて傾いた看板の歯科医院」となる。知らなかったらそもそも近づかないだろうし、知っていても足を踏み入れるには勇気が必要そうな感じがある。
「その、本当に大丈夫なんですか?」
「ああ、見た目は多少あれだけど、医者の腕はいいから」
腕は? 今アメルデは「腕は」と言ったか?
キラはますます不安になった。だって少なくとも普通の医者であるならば、こんな患者が入りにくい薄汚い構えにするメリットというものが存在していないはずなのだ。
「ラズハルトさん、大丈夫ですよ。フェルト先生には私もあったことがありますが、この見た目の割に普通の人です。まあ多少の癖はありますが、偏屈とかいったことはありませんから」
アメルデの言葉に余計に不安そうな顔になったキラを見てタシアが助け舟を出した。キラは今ここにタシアがいることに心から感謝した。
アメルデは確かに優秀な警察官である。変にプライドだけが成長しきった人間が鬱陶しそうに下に回すような事件でも真摯に取り組むという人物でもある。そして人をよく見る力もあるのだが、見る力があることと慮ることができるのはまた別の話だった。アメルデは自分ではユーモアも持っているつもりだし、人と関わることが決して苦手ではないと思っている。実際にそれが全く異なるということはないが、シンプルにコミュニケーションがちょっとずれているのだ。
タシア巡査部長はアメルデ警部のことを尊敬していて事件に直面するたびに彼女から様々なことを学ぶ日々だが、それはそれとして、コミュニケーションということにおいてこの人は自分がいなかったどうしていたのかと考えることがままあった。
「もうあらかじめ連絡してあるの。行きましょう」
アメルデはさっさと階段を上り始める。キラがチラリとタシアの方を見ると先にどうぞと無言のまま手で促されたのでそろりと段差の一つ一つが大きい急な階段に足を踏み出した。
アメルデはカツカツとテンポよく靴の音を鳴らして階段を上りきると、入り口のカーテンがかかったままのガラス戸をノックした。二階の廊下に成人した大人二人が乗れる幅はなかったのでキラは階段の中腹で立ち止まってアメルデの奥のガラス戸を見上げながら、アメルデがスカートを履いていなくてよかったなあとぼんやりと思った。
ガチャッ、キーッ。
「フェルトさん、こんにちは」
金属同士が擦れるような音を立てながらガラス戸が開いて、アメルデがドアを開けた人物に挨拶をした。
しかしキラからはガラス戸にかけられたままのカーテンが邪魔になってどんな人が出てきのか見えなかった。しかもアメルデの声ははっきりと聞こえるのに、彼女と相対して話しているはずのフェルトさんとやらの声がボソボソとしか聞こえず、何を話しているのかいまいち分からない。
「ラズハルトくん、上がって」
すぐに話が終わって、アメルデはキラにそう言い残して扉の奥に消えてしまった。一度バタンと大きな音を立てて閉じたガラス戸に、キラは一つ息を飲んでから残りの階段を勢いよくタンタンタン、と上がってガラス戸のドアノブに手をかけた。