第131話 明晰夢
しかし、宇宙船のリビングは薄暗く、人の気配もなかった。
「レイン? いないのか?」
キラはニジノタビビトの部屋をノックしたが反応はなく、キッチンや洗面所や風呂場も覗いてみたがどこも電気がついておらず、まだ帰ってきていないようだった。まさかニジノタビビトよりも早く帰れることになるとは予想していなかったため、キラはこの後をどうするか悩んだ。
「あ、」
ひとまず連絡をしてみようかと通信機をポケットから出したところでキラは気がついた。
「俺、レインと連絡先交換してないじゃん……」
この星に着陸できてから晴れてキラの端末はインターネットに接続できるようになったわけだが、その後使ったことといえばマップと多少検索をするくらいだった上に、ニジノタビビトとは行動を共にしていたからすっかり失念してしまっていた。
ニジノタビビトは宇宙を旅しているという関係上、非常に高性能な通信機、そしてそれをインターネット回線に繋ぐための機器を携帯していた。しかしキラが普段使っていた、つまり惑星メカニカで一般的に使用されているSNSツールやアプリケーションをニジノタビビトが使用しているわけもなく、検索してユーザーを探そうということもできない。
キラはひとまずリビングの灯りをつけると、ソファに沈み込んだ。自分は夕食をとっていないし、買ってきてもいないから何かしらを作らなくては食べられるものがないが、ニジノタビビトの分を作るかどうかが問題だった。
ニジノタビビトに先に食べていてと言ってしまった以上、ニジノタビビトが外食をしてこようが何か食べるものを買って帰ってこようがそれは自由である。しかし、もし何も買ってこなかった場合は? キラが作ったものを食べればいいが現状ニジノタビビトがどうするつもりか分からない。要するに一人分作ればいいのか二人分作った方がいいのか分からないのだ。
そんなことを考えているうちにキラはだんだん瞼が重くなってきてしまった。今日は役所の偉い人だとか、警察の偉い人だとかの知らない人と対面して、少しの嘘を滲ませた話をしたせいで疲れてしまったのだろう。どうせもう少しニジノタビビトのことを待つつもりだからとキラは視界を狭めてくるものをそのままに身を任せることにした。
「ああ、レイン。俺、翡翠の渦に巻き込まれたのは、運命だったのかもしれない」
キラはたった今自分が放った言葉に驚いた。デジャブというか明らかに前に自分が言った記憶があるのだ。そしてすぐにこれは自分が見ている夢なのだと自覚した。何せすぐ近くにラゴウとケイトの姿があるのだ。
つまり今自分の目の前にかかるのはラゴウがつくった虹で、この言葉はニジノタビビトが虹をつくる人と共に作り上げる虹を初めて見た時にニジノタビビトに告げた言葉だ。明晰夢、というやつなのだろう。キラが明晰夢を見たのは初めてのことだったが、なるほどこんな感覚なのか。確かにこれは鮮烈で、忘れられない記憶なのだから夢に見ても不思議ではないと思った。
夢で見る虹は、実際に見た虹に劣らない美しさで、初めて見た時と同じようにキラは感嘆した。まさか映像としてまた見れるとは思ってもみなかったのでいい機会だとまじまじと虹を見た。間も無くして、虹をかけるために一時的に地上二百五十メートルまで上昇していた宇宙船が降りてくる。その風に思わず顔の向きを逸らした時、キラは思い出した。
「キラ、キラ! こんなところで寝ていたら風邪をひいてしまうよ」
キラはニジノタビビトの声にハッとして目を開けた。どうやら目覚めたらしい。だってここは宇宙船の中で自分はソファに沈み込んでいて、今目の前にいるのはニジノタビビトだ。
「キラ? どうしたの?」
「あ、ああ、いや、なんでもない。ラゴウさんの、虹の夢を見ていたんだ……」
キラはすっかり忘れていた。あのラゴウの虹のことは目に焼き付いていたのに。どうしてこんなことを忘れていたのだろう。
キラは、宇宙船が着陸するために巻き起こった風によってニジノタビビトの首の後ろ、普段隠れている髪の生え際の辺りに自分の腰にもあるひし形のようなダイヤのような形のアザがあったことを、たった今思い出した。