第129話 明日は歯型
「どなた?」
「アメルデ警部。タシア巡査部長です」
「入って。――先程の部下よ」
アメルデがキラに向けて言った通り、入ってきたのは先程キラの運転免許証を預かって行った警察官だった。彼が戻ってくるのが思ったよりも早い気がしたキラは、自分はそんなに長い時間話し込んでしまっただろうかと思った。
彼はアメルデの横に行くと、彼女にだけ聞こえるようにそっと耳打ちをした。アメルデはそれに小さく頷きを返すとキラに向き直って、部下のタシアから受け取ったキラの運転免許証を差し出して言った。
「あなたが持っていた身分証明書が、キラ・ラズハルトのものであると確認されたわ。証言に差異もなかった。これで私個人としてはあなたがキラ・ラズハルトであるとほとんど確定した。けれど、立場上、より明確にする必要があるの。……明日何かしらで照合するしかないわね……」
アメルデは窓にかかったブラインドから漏れ出る光の色を横目で確かめて、最後は独り言のように言い放ち、右手の人差し指を下唇に添わせるようにしてあてて考えた。それからスローモーションのようにゆっくりと唇を開いてキラに問いかけた。
「ラズハルトくん、君、惑星メカニカで最後に歯科医にかかったのはいつ?」
「え、歯医者ですか? えっと、確か……七? 八ヶ月前に定期検診に行った、と思います……」
「そう、それなら歯型がいいわね。今日はとりあえずここで終わりにしましょうか。もうすぐ役所の表も閉まる時間になるもの」
そうしてアメルデは一応、キラに明日予定がないことを確認して、役所の前に待ち合わせ場所に指定すると、質問がないかだけを聞き、部下を引き連れて今日のことは他言無用、ついでに見送りは不要だと言い残してさっさと出ていってしまった。ホーロンは仕事が詰まってないとは言ったが、仕事が残っていない訳じゃないんだろうなと察して、そして自分のデスクを思い出して半目になりながら嵐のような彼女とそれに振り回されているであろう部下の背中を見送った。
ホーロンは致し方なく、アメルデの勢いに驚いて固まったキラにまた明日、約束した場所にいらしてくださいと言って出口まで一緒に行き、橙に染まった背中に軽く手を振った。
さて、自分も残っている仕事を片付けなくては、と、デスクの上の書類の山を思い出してげんなりしたとき、こちらもアメルデに圧倒されていたカルーセルがやっと落ち着いたのか、声を漏らした。
「あ……、あれ?」
「どうした?」
「あの、本人かどうか調べるならよくやるのはDNA鑑定じゃないんですかね?」
「あー、それは……」
ホーロンは四ヶ月弱前に見た書類を思い出して頭をかいた。これは四ヶ月前に《翡翠の渦》に巻き込まれて失踪したキラ・ラズハルトの書類を確認し、判を押したからこそ知っていることだが。
「言いふらすなよ。…………彼は、天涯孤独なんだ」