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第120話 二つの身分証明書


「ホ、ホーロンさん、ちょ、ちょっと来てください!」

「なんだあ? お前個人相談はどうした」


 カルーセルが慌てて声をかけたのは上司のホーロン、五十二歳。カルーセルの所属する「市民生活部」の直属の上司であり、トップである。トップにしては現場によく出るタイプだが、最近はその強面に加齢による渋さも相まって初対面の市民に怖がられてしまうため、それを気にしてあまり出られていない。

 市民生活部にはそこそこの職員がいるのにも関わらず、カルーセルの本日の予定まで把握していたため、片方の眉を吊り上げながら聞いた。これは人に何かを聞くとき尋ねるときのホーロンの癖で、本人も威圧的になってしまうのを分かっていて直したいと思っているのだが、どうしてなかなかうまくいかないらしい。カルーセルはもう何年もこの人の元で働いているものだから彼がどんな人物かを了解しているのでこれくらいでは()()ビビらなかった。いや、みえを張った。今でもたまに怒っているのを見るとビビることはある。


「その個人相談のことで、ちょっと……!」


 ホーロンは上げていた片眉を下ろして今度は反対側の眉だけ上げたが、すぐに腰を上げると人気のないところに連れて行こうとするカルーセルに黙ってついていった。


「それでなんだ」

「その、キラ・ラズハルトさんって覚えてますか?」

「キラ・ラズハルト? ……ああ、そうだ。五人目の《翡翠の渦》の被害者じゃなかったか? 彼の住民票はうちにあるんで書類を書いたから覚えてる」

「その彼が、帰ってきて、今下のブースにいるんです……!」


 そんなまさかと思ったが、これ見てくださいと言ってカルーセルが差し出してきた身分証明書二つにはキラ・ラズハルトと書かれて写真も載っており、それを見せられては言葉に詰まるしかなかった。手にとって裏も確かめたが、ぱっと見、本物らしい。


「飛ばされた先で本当にたまたま宇宙を旅してる人がいて、その人に頼み込んで乗せてもらったらしいんです! それで、ラズハルトさんが、その人迷惑かけたくないからマスコミとか、騒ぎにしないようにって……。ホーロンさん俺どうしたらいいですか?」


 人を相手にし、その困り事に対して対処してきたのだから到底マニュアル通りには行かないことはホーロンのキャリアをかけて知っている。しかし今回のは桁違いだ。

 ホーロンは眉間に皺を寄せて自分が何をするべきか必死に考えを巡らせた。まず、まずは? そうだ、まだホーロンは彼を見ていないから実際に見て、会って、話してみなくてはいけない。どこで? 本当に彼があのキラ・ラズハルトであるのならば、騒ぎになることは避けられない。それならば。


「カルーセル、ひとまずその人を第三会議室にご案内しろ。俺は会議室に誰も入れないように調整してくる」

「わ、分かりました!」


 カルーセルは頷くと、キラの身分証明書を握りしめて走り出した。

 彼が本当にキラ・ラズハルトであることを前提に動き、もし詐称していた場合には警察に通報するだとかすればいい。しかし彼の回転のはやい頭は、わざわざ《翡翠の渦》に巻き込まれた人物を名乗って、通報される可能性だってあるのに公的機関である役所に尋ねてくるメリットよりも、デメリットを遥かに上回るという結果しか弾き出さなかった。そう、だってキラ・ラズハルトを名乗る人物は二つの身分証明書を出しているのだ。これが嘘なら確実に犯罪じゃないか。


「本当に帰って来れたのか? 二十を過ぎたばかりの青年が……」


 ホーロンは人が見たら驚いてバッと道を開けるような表情のまま、会議室に誰も入れないようにするために早歩きで廊下を進んだ。



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