第111話 乖離した感情
「それじゃあカプラさん、すみませんが、しばらくの間は俺が惑星メカニカに帰ってこれたことは誰にも言わないようにお願いします」
「分かったわ、またいつでもいらっしゃい、レインさんも。私にできることがあったら教えてね」
キラはニジノタビビトの言葉に甘えて今日も宇宙船の、あのもうとっくにキラの領分になった部屋に泊まらせてもらうことにした。キラは自分が現段階で家無しである可能性に気がついたが、疲れた頭はそれをその辺に投げ捨てて考えることを放棄した。
食器などの片付けを終えたキラはカプラに念を押すように自分が惑星メカニカに帰ってきたことを他の人には知らせないようにお願いをしてから行きよりも増えた荷物を持って玄関に立った。これはキラの部屋だったところにあった荷物をいくつかビニール袋に突っ込んで持っていくことにしたものだ。といっても宇宙船にあるものでもう十分生活出来ていて、これ以上無駄に着るものや歯ブラシなんかを持っていっても意味がないので、入っているのは生活必需品ではない教科書とノートと筆記用具、それからいくつかの書籍のみである。
自分が帰ってきたことを知られてはいけない理由も含めて説明してあることだし、きっと問題ないだろうと判断してニジノタビビトと共に自分の部屋と同じくそれほど広くはない玄関で身を寄せながら靴を履いてカプラの方を振り返った。
「それじゃあ、カプラさん今日はごちそうさまでした。おやすみなさい」
「ごちそうさまでした、おやすみなさい」
「ええ、ええ、キラくんもレインさんもおやすみなさい」
明日、かどうかは分からないが、荷物がまだ残っていることもあり、すぐにまたここには来なくてはいけないので挨拶は丁寧にかつ軽くすませた。
カプラの部屋を出て左に曲がってアパートメントの敷地を出て道路に出たらそこは右に曲がる。キラとニジノタビビトは宇宙船を停めている海沿いの何もない土地を目指して歩きはじめた。ニジノタビビトと共に夜道を歩くのはこれが初めてのことではないが、どうしてか特別感があった。
今日は空気が澄んでいて、湿度も高くない。その上雲ひとつないので星が、まるで宇宙にいる時と同じようによく見えた。
もう行きの時に道は把握出来たので、通信機のマップをチラチラと見ることもなく、なんならキラはときどき空を仰ぎ見ながら揺れて踊るようにして歩いた。対照的にニジノタビビトは、少し俯きがちだった。
「キラ、カプラさん、素敵な人だったね」
「ああ」
「教科書、面白かったよ」
「ああ」
「待っていてくれる人がいて、信じてくれている人がいて、よかったね」
「ああ、」
本当によかった。でも、やっぱり少し、いや本当は結構、寂しかった。ニジノタビビトはあの時、キラが《翡翠の渦》に巻き込まれる場面を目撃した青年、セージ・タフカルの前に姿を表さないように玄関からまっすぐ伸びた廊下の先には立たないようにしていた。しかしいくらセージが夜だからと声を抑える努力をしたところで、その興奮によってニジノタビビトにも会話は全て筒抜けだった。
だから、キラはやっぱり人を惹きつける力があるのだと改めて見せつけられて、それを友として誇らしく思うと同時に、どんどん離れて言ってしまう気がして寂しかった。
キラを待っていてくれる人がいて嬉しい。キラの無事を喜んでくれる人がいて安心した。でも、キラが遠く遠く離れていってしまう気がして、酷く寂しい。
ニジノタビビトはこんなにも乖離した感情を持ち合わせるのは初めてかもしれないと、そう思った。