ルカーシュ
ルカーシュとルルーシアは寂しい子どもだった。
両親は後継である長男をそれはそれは大事にしたが、年の離れた双子のことはほぼ放置であった。男爵家ゆえに使用人の数も多くなく、職務に忙しい彼らは仕事としてしか双子と関わろうとはしなかった。
子どもだったルカーシュとルルーシアは寂しくて寂しくて、その寂しさをお互いを労り愛し愛されることで埋めて育った。
しかも悪いことに長男は劣等感の強い自己中心的な人物で、自分を優位に立たせようと幼い双子に暴力をふるい、特に優秀なルカーシュは妬まれて虐待された。長男を溺愛する両親は、長男を苛立たせる双子が悪いと叱り、ルカーシュとルルーシアはお互いを庇いあい屋敷の隅で息を潜める毎日だった。
だからルカーシュはもともと逃亡計画を持っていた。王家の騎士団の到着があと少し遅かったならば、ルカーシュは無事ルルーシアを連れて逃げ出していたことだろう。
数日後、ギルベルトがルカーシュを保護するために男爵家を訪問した時、ルカーシュは迷いなく家族を捨てた。いや、ルカーシュにとってルルーシア以外、家族とよべるものは最初から存在していなかった。
以後9年間、ルカーシュはギルベルトの屋敷で暮らすことになる。
杏色、梔子色、山吹色、蜜柑色、檸檬色、菜の花色、向日葵色、植物を使った黄色をあらわす言葉は多くあるが、ルカーシュとルルーシアはたんぽぽ色が一番好きだった。
男爵家の兄から逃げた庭の片隅で、ルカーシュはルルーシアとふたり、冬の小鳥のように震えながらたんぽぽに手をかざした。
温かくはなかったが、たんぽぽが太陽のような色をしていたから、花茎の上にまあるく小さなお日様が乗っているようだったからーー子どもだったルカーシュとルルーシアの体ではなく、心を少しだけ温めてくれるような気がしたのだ。
記憶を失くしてもルルーシアはたんぽぽが好きだった。二人の思い出を何一つ覚えていなくても、たんぽぽが好きだと言うルルーシアをルカーシュは嬉しく思った。
男爵家では兄の暴力に怯える日々だったが、側にはルルーシアがいてくれた。
笑う時も泣く時も少ない食事を半分こする時も薄い毛布で眠る時も、いつも。いつも片羽根のようにルルーシアがいてくれた。
なのに奪われて。
それでもルルーシアが幸せになってくれるのならば、ルカーシュはルルーシアのいない一人ぼっちの世界でも耐えることができたのに。
ルカーシュの9年間の孤独の果てに与えられたのは、ルルーシアの死だった。
だからルカーシュは今が幸福だった。
記憶がなくてもルルーシアはルルーシアだ。その優しさ、その清浄さはかわりなく、たんぽぽが好きで花蜜が好きで穏やかに笑うルルーシアは、ルカーシュの半身のままであった。
母国から遠く離れた大陸の端の小国の、澄んだ湖の畔の小さな家で、他の人間がいない二人で暮らす毎日は静かでのどかで平穏だった。
白梅、紅梅が一輪また一輪と咲き、黄梅が咲き、春が立ち、草木が満ち日が長くなり、夏が立ち、草花に朝露が宿る、秋が立ち、雪客が美しく飛ぶ、冬が立ち、また春告げ草が咲く季節が巡り。
夜にはルカーシュが魔法でつくった月虹を見て、月の光の波に星の光の泡に泳ぐ月魚の幻想的な美しさを、嬉しそうに楽しむルルーシアと新たな思い出を重ねていき。
「はい、口を開けて」
ルカーシュは、ルルーシアの世話を甲斐甲斐しくする毎日が幸せでたまらなかった。
小さな口が開かれ、ゆっくりと咀嚼し、ルルーシアの細い喉がコクンと動くのを、ルカーシュは目を細め甘く蕩けるように見る。
よしよしと嚥下したルルーシアを慈しみ撫でた。
ルルーシアは蘇生はしたが、毒により体が麻痺する後遺症が残った。
「……ルカ……、ごめん、ね」
「謝らないで。ルルーシアが生きていてくれるだけで嬉しいんだよ? もっと僕にルルーシアの面倒を見させてよ」
申し訳なさそうにするルルーシアに、日常生活の全てを世話をするルカーシュの声音は弾むように明るい。
「後でたんぽぽを見に行こうよ。今年のたんぽぽも来年のたんぽぽも一緒に見ようね。その次の年も、次の年もずっと一緒に」
ルルーシアが側にいる、それだけでルカーシュは本当に幸福だったのだ。
春の花野はどこまでも咲き広がり続き、まるで花の霞みのようだった。
ふわふわとした無数の小花がレースのようなカスミソウが群れて咲き。
多様な花色のポピーは、白、赤、黄、オレンジと色とりどりに空に花びらを向けて。
小花を毬のように集中させて咲くプリムラは華奢な花茎で群生し。
大小の蝶は空中を花のように舞い飛び美しく。
花野に埋もれて座るルルーシアが、たんぽぽの花びらを「ぽぽ」と言ってふわふわ撫でながら、自分に向かって童女のように清らかに微笑みかけてくれると、ルカーシュは愛おしさに胸が痛くなるほどだった。
ああ、かわいい。
ルルーシアの薔薇色の頬を指先でくすぐり、名残惜し気に指をひく。ルルーシアの温かい体温が指に残り、冷たい体のルルーシアを知っているルカーシュは、温もりを確かめるようにちゅと自分の指を咥えた。
「さぁ、そろそろお昼寝の時間だよ」
壊れ物のように丁寧に丁寧にルルーシアを抱き上げる。ルルーシアは毒のせいで体が弱くなり、風邪ひとつ油断できない体力になっていた。
「お腹にちゃんと毛布をかけるんだよ。春とはいえ今日は少し寒いから」
暑くはないか寒くはないか、とルカーシュは母親のようにアレコレ心配する。
ルルーシアはこてんとルカーシュの肩に頭を預け、すりりと頬をすりつけて子猫のように小さなあくびをもらす。
「ねんね、ねんね、ルルーシア、夢の国へ遊びに行こうね」
大きな手のひらにポンポンと軽くたたかれ、ルルーシアは瞼を落とした。
愛おし気に額に口付け、ルカーシュはルルーシアを抱いたまま体を揺りかごのようにゆらゆら揺らした。
ルカーシュは。
9年間、ギルベルトがどれほど苦しんだのか知っているルカーシュは。
9年間、ルルーシアのいない世界で一人ぼっちで身を凍らせていたルカーシュは。
金色の目で瞬きひとつせずルルーシアを見つめ、まるで呪いのように呟いた。
君がいない世界は、もういらない。
番となっているので近親相姦要素あり、としていますが、ルカーシュとルルーシアは、添い寝するだけの仲です。
欠けては翔べない一対の羽根のような関係です
読んでいただき、ありがとうございました。