幽体離脱
「幽体化した君達の脳内はレム睡眠状態へと移行する。つまり、君達が身体から離脱した状態で得られる視覚情報は脳波測定上では夢を見ているのと同義なんだ。」
閉所の中。搭載された昼白色の照明に照らされながら天井部に付いたモニター越しで見る果敢無博士は、カタカタとキーボードを小気味良く鳴らす音とともに聞き覚えのある言葉を紡いでいた。
「はぁ……」
猿渡さんのバイタルチェックをクリアして実験着に着替えた木乃美屋と俺は、二台の幽体離脱支援装置【Oobead】の内部でそれぞれ横たわり待機している。
大人がすっぽりと入るようなカプセルマシンで、形状はMRIはCTスキャンというよりも日焼けマシンや酸素カプセルを想像すると理解しやすい。
左手首に嵌めたリングは心拍数と体温、血流をチェックするデバイス。頭部にはびっしりとケーブルに繋がれたヘッドギアが装着されている。
後は【Oobead】が起動するのを待つだけ……なのだが、ここにきて博士が検証実験に参加して間もない木乃美屋に対して集中講義が始まり、木乃美屋と博士以外は「また始まった……」と内心で皆嘆いているはず。
「レム……?夢……?」
内臓スピーカーからたどたどしく反復する木乃美屋の声が漏れ出る。
「また、大脳を覚醒状態のまま急速入眠させることでナルコレプシー症状を作為的に引き起こして、適正体である君達の幽体離脱を促す。この時に、Θ波の振幅が優勢を保つため、BMI――そのヘッドギアから微弱な電気信号を送り脳波を操作している。あ、もちろん非侵襲式だから脳に障害を及ぼすリスクは極めて低い。そこは安心してほしい。」
「なるこれ……?……パズー……?……し、しんしゅう?」
どうやら容量の少ない木乃美屋の脳は、一瞬天空の城へと旅立ったようだ。
ナルコレプシーとは睡眠障害の一種で、日中でも場所状況を問わず強い睡眠発作が起きる症状のこと。
以前同じように教示された後、帰宅途中にウキペディアを検索して知り得た情報だ。
こと一般常識のように語りだす博士の専門用語に俺ももちろん付いていけず。免疫力のない木乃美屋ともなれば、博士から発せられる言葉は異世界語ではないかと疑うレベルだろう。
隣のカプセル内では、またプスプスと頭から煙の幻視が出ているのが容易に想像がついた。
「ナルコレプシーと幽体離脱現象の因果性についてはまだ確立出てきていないが、幽体化した娘が重度のナルコレプシーであったことから原因の発端であるという位置付けには変わりない。君達の存在や検証結果が証明している。だが、ここで生じる幽体化と幽体離脱現象による疑似幽体化は果たして同等なのか?という問いが――」
「ご高説、ご弁舌を振って頂くなか痛み入りますが果敢無博士」
話を遮る声は、いつも通り。いや、それ以上の苛立ちを表していた。
「ただでさえ時間が押しているというのにこれ以上検証の遅延……一度、博士ご自身で【Oobead】を体験して疑問を解決してみてはいかがですかね?」
端的に言うと「仕事の邪魔するなら寝ろ」というモニターからでは姿が見えない橘さんからのお達しだ。見せかけの配慮の裏に刺さりに刺さるその怒気に触れて、さすがの博士も眼鏡を曇らせて無口にならざるを得なかったらしい。
「……面目ない」
「『要点』を『簡潔』にお願いします」
「……木乃美屋君。前回検証時の事故についてなんだけど――」
ガンッ!
スピーカーを介さずとも隣から鈍い音が直接伝わってきた。
「大丈夫かい、木乃美屋君!?」
「痛ッ……ど、どないしたん博士!?」
「あ、ああ……今回、君の要望どおり周波増幅数値を一定より下げて設定したから、前回のようなことは起きないはずだ。安心して検証に専念してほしい。」
「あ、ああ、あれね」
俺以外には気さくに話す木乃美屋もこの時は動揺を隠せないでいた。実際のところ、木乃美屋が検証に臨むのはこれで二度目であり、前回の実験からは丁度3週間が過ぎている。
事故という事故ではなく、木乃美屋自身の能力が原因で引き越したものだ。
だが、その時から俺は口を聞いていないし、向こうも敵対している。
何故かというと……。
「ただ能力が著しく低下しているため、同様のパフォーマンスはできないと思う。検証としても憂慮すべき点であるが、修正措置を施すのはこれが限界でね。違和感を感じたら直ぐに言ってほしい」
「オッケー、なんやわからんけど難易度ハードってやつやね」
「まあ、君なら大丈夫だと思う。適正力が高いからね」
一瞬、心がざわつく。
「任しといて博士」
「いい返事だ。ではこれより「Oobead」を起動する。二人ともは準備はいいかい?」
「「はい」」
起動とともにOobeadの内部からは独特の機械音が流れ、微振動が肌に伝わってくる。
「三浦君」
「電力供給システム:正常。BMI:接続良好。脳波基礎律動:被験者1号、2号共に基準値内です。」
いつもの間延び声も影に隠れ、粛々と点検作業する流暢な声がうららさんの「仕事モード」を示していた。
目を閉じて静かに博士の合図を待った。
「入眠開始」
果敢無博士が言葉を口にした途端。
体全体が弛緩するような脱力感が襲い、急激な睡魔とともに意識が遠のいていく。
身体が海に投げ出され、深く深く沈むにつれて暗闇が辺りを包む。そんなイメージ。
やがて全ての光が遮断し、濃い闇の中意識は一度そこで途切れ――。
覚醒とともに腹部を軸にして急加速で身体が引き上がる感覚に襲われた。
抵抗する感覚を跳ねのけて殻を破るように俺は俺から生まれた。
眩しすぎる光に目を瞬かせて順応するまで一度待つ。
やがて、視界が明瞭になるにつれて状況がわかってきた。
「何度やっても怖えな」
目の前でぐっすり寝ている自分の顔を見ながらそう呟いた。
両手を交互に見てもいつもの質感はなく、肌は青白く輝いてその輪郭はゆらゆらと炎のように揺れている。毛穴や体毛は見当たらない。
身体の重みや、口に残る唾液の感触を感じることもない。
空気の微かな流れや臭いに至るまで『無い』のだ。
両手をすり合わせても視界に映る状況と感覚がマッチしない。
そして何より浮遊していることだ。
どうやら幽体離脱に成功したようだ。
【Oobead】内は狭いため、カプセルケースすり抜けて空中で部屋の周囲を見渡した。
「照明落として」
橘さんの声で部屋は薄暗くなり、おのずと輝く方へと視線が行く。
「……見んなやボケ」
「……うっせッ」
【203号室】に入室して以来、全うに木乃美屋と会話できたのがそれだった。
不思議な感覚で耳からではなく、体の内部から木乃美屋の言葉が伝わってくる。
少し足をよじらせた木乃美屋の姿もまた、青白くゆらゆらと輪郭は少し朧気ながらも一糸まとわぬ姿で浮いていた。
だからといって局部が見えているわけではなく、漫画の規制のように白くぼかしが掛かっていた。
今回は。
腑に落ちない点ではあるが自分自身にも影響する以上、心から感謝している点でもある。
ありがとうボカシ!
やがてプロジェクターから投射された光が壁掛けされたスクリーンをブルーに映し出した。
「猿渡、被験者のバイタル指数は?」
「心拍数と脳波状態に異常は見当たりません、橘さん。ぐっすり寝てますよ」
「三浦君、視覚接続と言語解読の投影はまだかい?」
「後5秒待ってください。被験者2号の同調がやはり遅れています……できました。スクリーンに反映します」
スクリーンを注視してみると左半分が俺が視ている光景がそっくりそのまま映し出され、右半分は木乃美屋が視ているであろう違う角度からスクリーンを視ている光景が反映されていた。まるで三面鏡の合わせ鏡のようだ。
「あー君達、お互いを視認し合ってくれるかい?………なるほど、君達はそこに居るんだね」
指示に従い木乃美屋と見つめ合った俺たちの視界がスクリーンに映し出されているのだろう。
博士は俺たちを見えているかのように交互に空を見た。
「さて、言語チェックに移るよ。なんでもいいから話してみて」
「あ、あーテストテスト、なんでやねん」
何がなんでやねん。
スクリーンには、木乃美屋の発した言葉が一瞬遅れて映画の字幕のように浮かび上がる。
流石に視覚情報のように音声のままリンクすることはできない。
「木乃美屋君は大丈夫だね。木江君はどうかな?」
「やっぱり違和感しかないですね。何も感じないのは」
「僕としてはその感覚を体験してみたいものだよ。うん、問題ないみたいだ。」
「会議で伝えたとおり、建物の外部で実験を行う。共に203号室の上空に移動してくれ」
橘さんの指示に従い俺たちは移動を試みる。だが、木乃美屋は外に出るのは初めてだ。
ここは俺から先に行くのが道理だろう。
「……俺から先に行くから付いて来いよ」
「話しかけてくんな」
「はああ!?」
「木乃美屋、木江、仕事だ。喧嘩は存分に後でやれ」
「「…………」」
それから無言のまま天井に向かって跳んだ。
天井、屋根裏の梁にぶつかることなくすり抜ける。
すり抜けた先には、もう日が暮れて小さな星が疎らに散らばる空が見えた。
念というより意思を持って移動しようすれば浮遊することは造作はなかった。
まだ追加の指示は出ていない。
更に上空を進む。
徐々に高度を上げ、下界には樫葉原市の街並みが広がりを見せた。