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カテキョ  作者: あんず
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1年目 7月 その1

数式をノートに書き連ねている途中、一か所わからないところが出てきた。


多分もうちょっと考えてみればわかるのだろうけれど、その気になれなかった。一端途切れた集中力はなかなかすぐには戻らないものである。時計を見てみたら勉強を始めてから1時間半近くたっていたから、ここらで休憩してもいい具合だろう。


机の上に置いてあったカレンダーを眺めてみる。先ほどからいくら見つめてもそこに書かれているものが変わることはない。思わずため息をついてしまった。

目を閉じて、昼間の茜との会話を思い出す。


「来週の土曜日、山本透さんの誕生日なんだけど」


何をあげればいいのかわからない、と恥を忍んで相談すると、目の前の茜は不思議そうにその大きな眼を瞬かせた。ふわふわした髪を揺らして、いとも簡単に解答を教えてくれる。


「え、じゃあ作ればいいじゃん。ご飯」


何でそんな簡単なこともわからないんだといかにも不思議そうな快活な声。

茜の思考は単純明快で、あたしみたいに考えすぎるほど考えてしまって泥沼にはまってしまうタイプは聞いていて心地がいい。


「ええー……それあからさますぎない」

「だって好きなんでしょ? 別にいいじゃん相手にばれたって」

「でも家庭教師なんだってば……」


気づかれてしまって向こうに嫌がられて、でもバイトの契約相手だから避けるわけにもいかないしと顔を会わせ続ける日常はあたしにとっても山本透さんにとっても不幸でしかない結果ではないだろうか。まぁ、そんな事態になったら山本透さんはあっさりとバイトやめそうだけど。


「しかも、ご飯作るだけでしょ? 普段からアピールしてたら別だけどさぁ。美優のことだからそうでもないだろうし。なんか言われたっていつもお世話になってるんで、とか言い張ればいいじゃん」


美優考えすぎーと薄ピンク色に染められた爪があたしを指差す。行儀が悪いよと膨れると、相手の薄い唇の口角が面白そうに上げられた。


「しかもねぇ、自分がめちゃめちゃアピールしてると思ってたって、意外に当人は気が付いていないもんだよ。美優の話からすると美優はアピール不足だよ」


しみじみ思う。可愛い子は強い。そして、それを素直に受け入れている子はもっと強い。自分が周りに愛されていることを、自分がある程度までならば何をしても許されることをわかっているから、何でも出来てしまう。


あたしはそんな茜が大好きだ。妬くなんて次元に茜はいない。羨ましくて憧れで、茜が男の子だったら本気で付き合いたいと思う。というか、今まで茜と居る日常が楽しすぎたから彼氏なんて欲しいと思ったことがなかったのだ。山本透さんに会うまでは。


「絶対、嬉しいって。普通に。恋愛感情とかなくても。あたしが保証する」


茜は自信満々な表情と声で断言した。


そもそも、あたしが山本透さんの誕生日を知ることができたのは、「透君の誕生日はいつなの?」という母親の直球すぎる質問のおかげである。

なんの会話の流れでそうなったのかは覚えていない。ただ、それを聞いてどうするんだとなんとなく気恥ずかしくなったことだけは覚えている。


あたしの母親は山本透さんをやたらと気に入っている。まぁ、わからなくはないけど。

その気になれば山本透さんは爽やかな笑顔で楽しい話題を提供し続けることができるし、なんといってもその容姿は最上級だ。ミーハーな母親が食いつかないわけはない。


「7月15日です」


その言葉にカレンダーを見る。というか見なくても薄々気が付いていたから、確認作業でしかないけど。だって、今日は7月8日だから。

それすなわち。


「1週間後?」

「……あ、ちょうど1週間後ですね」

「え、それで空いてるの?」


思わず二人の会話に割り込んでしまう。母親が目を丸くしているのが目の端に映る。


「空いてる」


断言されてしまったが、それって大学2年生の夏としてはかなり寂しいことなのではないだろうか。そう思ったのがわかったのか、山本透さんの眉間にしわが寄る。後で見てろよとでも言いたげな顔である。慌てて目線を下げ、目を合わせないようにする。


母親は呑気に、じゃあケーキでも買ってきましょうかとか言っている。だから、貴方は山本透さんのなんなんですか、というあたしの内心の突っ込み。


そして、山本透さんが帰る直前、あたしに耳打ちした言葉「期待してるから」

おかげであたしはプレゼントに悩むことになったんだけど。


料理なんて一回食べてしまえば終わりなんだし、ちゃんと形に残るもののほうがいいのだろうか。まぁ、別に料理作って何かあげればいいだけなのか。そうなれば。うーん。


実は、あたしがここまで手料理か否かを迷っているのには、あざとさを感じるからという理由以外にももう一つある。あたしが料理が来週本気でご飯を作るつもりなのであれば、母親にそのことを言わなければならないという理由。本人にばれるだけならともかく、母親にばれるのは嫌だ。もしかしたらもうわかっているかもしれないけれど。


一度、山本透さんに自作の夕ご飯を食べてもらったことがある。


あたしの父親は、大阪に単身赴任している。仲のよろしいことに、父親は月に1回必ず帰ってくるし、母親も月に1回は必ず父親の家に行っている。そして、ちょうど母親が父親の家に行く日と山本透さんが家に来る日が重なってしまったのだ。


母親には何か買いなさいとお金をもらっているから、ピザでも取ればいいのかもしれないけど。ちょうどいい機会だし作ろう、と思い立つ。そうと決めたら気分が上がってきた。

メニューは最近無性に食べたかったラザニアにしよう。あと冷製スープとサラダでもつければ見栄えもいいだろう。

料理を作るのは好きなのだが、もっぱらお菓子ばかりで、たまに母親の代わりに作るぐらいである。だから、そんなに自分の腕に自信があるわけではないけれど。まぁ可もなく不可もなくぐらいのものは作れるだろう。


母親からもらったお金で材料を買い、山本透さんが来るまであたしは夕ご飯を作っていた。

ちょうど後片付けが終わったところでチャイムが鳴る。自分のタイミングの良さに笑みが浮かんだ。鏡の前で軽く身支度を整えて、深呼吸。玄関まで向かう。


ドアの前。いつもこの瞬間はとても緊張する。どうしようもなく逃げたくなるけど、そんなわけにもいかない。震える手をどうにか動かしてあたしはドアを開けた。


「こんばんは」

あたし一人で出迎えると、山本透さんは不思議そうな顔になる。母親がいないからだろう。


「……今日、母親いないんですけど」


家庭教師として山本透さんが家に来るようになってから2,3ヶ月たつのに、話しかけることはおろか、動揺せずに目を合わせることもできない。

あたし自身が未だに男の人は怖いと言うのもあったし、この時期の山本透さんはなぜか、すごく機嫌が悪いというかまとっている雰囲気が怖かった。別にあたしに対して怒っている感じではなかったけど、いかんせん話しかけづらいかった。


「あ、夕ご飯は一緒に食べろって言われてて」

「いつもありがとうね」


そう言いながら、山本透さんはあたしの部屋へと歩いて行く。その背中に声をかけようとして、でも言えなかった。自分が作ったとはどうしても言い出せない。山本透さんが、あたしの作った料理を、いつも通り母親が作ったと思って食べたとしてもそれでよかった。


この時はまだあたしは山本透さんのことが好きというわけではなかったし、料理を作ると言うのはあくまでもあたしの自己満足であったから。

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