1年目 6月 その2
「こんにちは」
いつもどおり人好きのする笑顔を浮かべながら、山本透さんは家に来た。母親と山本透さんを迎え入れる。母親になんか不機嫌そうねぇと言われ、あたしはそんなに顔に出やすいのだろうかとぎくりとした。
土曜日の5時から、が基本的に山本透さんとの約束の時間である。あと、最近には木曜日の5時からにもやることになったけど。まぁとにかく今日は土曜日で、今日はその前に少し出かけなければいけない用事があったため、あたしはすでに結構疲れていた。
もう嫌だ。素直な感想はそれだ。1ヶ月ぐらい前に似たようなことがあったのに、人が違うとここまで受ける印象が変わるものなのか、と実感。今まで特定の人としか遊んだことなかったもんなぁ。
こんな気持ちのまま山本透さんと会ってしまうと、あたしが不機嫌なのがばれて疑問に思われそうだ。突っ込まれると色々困るし、そもそもあの人は家庭教師だし。勉強を教わる体勢に切り替えなきゃなぁと気を引き締めた途端。
「この映画見たの?」
話題が逸らされた。この映画ってどれだ、と山本透さんを見る。山本透さんの視線は、あたしがローテーブルに出しっぱなしにしていたパンフレットに釘付けだった。いけないと焦るあたしをよそに、山本透さんはぱらぱらとそれを見て、ふぅんと頷き閉じた。
「こういうの、女同士で見て楽しいの?」
「……?」
山本透さんの言葉に何か違和感を感じた。どうしてだろうと考え、気が付く。
何故に勝手に女同士で言ったと決めつけられているのだ。あまりのことに言葉が出てこない。あたしどんだけなめられてるの。
「何それ、どういうこと?」
あたしの声に明らかに存在する棘に、理由がわからないなりに気が付いたらしい。山本透さんは目を瞬かせている。
「そのまんまだけど……え、何もしかして」
言っているうちに気が付いたらしい。山本透さんの顔つきが変わる。
「だって、美優の学校」
「女子高だって、あるところにはあるんです!」
子供扱いされてることに苛立ってそう怒鳴ったけど、見る見るうちに険しい顔になっていく山本透さんに今さらながら気が付く。あれ、これって片思いしてる相手に言っていいセリフなのか? と今さらながらの疑問。
山本透さんがかもしだしている険悪なオーラをひしひしと感じて、先ほどまであたしの身体を支配していた苛立ちがどんどんしぼんでいく。思わず、言い訳じみた言葉ばかりが口を衝いて出てきた。
「透先生、この前合コン行ったほうがいいって」
あたしの顔は多分青いと思う。もともと血色が悪く病的な感じに肌の色が白いあたしだから、青通り越して怖い感じに白くなっているかも。自分の短気を悔やむ。
「そんなこと一言も言ってない! ……て、え。何。相手合コンで知り合ったの?」
「い、言った! し、違いますけど」
「損はないだろうけど、とは言ったけど。得るものも何もないよ」
今のは絶対行ったことのある人の発言だ。そうは思うが指摘したらますますこの場はこじれるだろう。他に言い訳になりそうな事実を探す。
「だ。だって。友達が。お願いだから来てって。だから別に二人じゃないし」
「そういうのでも美優は誘われたら行くんだ?」
「だって、友達がちょっといいなぁと思っている人がいて、その人ともう1人と映画行こうって話になったらしくて。そしたら女の子だって2人のほうがいいじゃん」
自分でも何を言っているのかわからないけれど、山本透さんは理解できたのだろうか。出来ていないに違いないが、多分山本透さんはあたしの今の言葉を聞いておらず、訊きたいことだけ訊いてくる。
「男苦手なんじゃなかったの」
「……だから映画だけ見て帰ってきたし。会話もほとんどしてないし」
「メールとか来るの」
とりあえず、先ほど2件来ていたのは確認している。めんどくさくて返していないし、今度返すかどうかもわからないけれど。とりあえず、ここでは言っていることの意味わかんないときょとんとした顔をして、さらりと嘘をつくことにする。
「や、まぁ。全然」
「嘘くさ……だいたい、その気ないなら初めから期待させるようなことさせないように」
なんでこんなに上から目線なのだろう。と心からの疑問。
山本透さんの表情もさっきよりも穏やかになったことだし、あたしはここら辺で反撃を開始してみる。
「透先生だって合コン行ってるんでしょ」
「……やっぱりあいつからなんか聞いたの」
「そうやって聞くってことはやっぱり?」
「昔。もう1年ぐらい行ってない」
先ほどと立場ががらりと変わり、あたしが追い詰める側となる。今までの山本透さんの発言で溜まりにたまった不満が全てぶつけてやろう。意地の悪い考えが浮かぶ。
「別にいいですけどねぇ。どーでも」
少し慌てたような山本透さんの言い訳をばっさりと遮り、それよりこの問題分からないので教えてくれませんか? と微笑む。あたしがこの人相手に意識して微笑むことなんて相当に珍しい。山本透さんは自分の役割を思い出したのか憮然とした顔をする。やりこめた感がして、あたしはちょっと嬉しい。ここまで山本透さんとテンポのいいやり取りをしたのは初めてじゃないだろうか。
「そういうの、やっぱり嫌なもんなの」
がしかし山本透さんはこの話を続けたいみたいだ。何故にあたしに訊く? としか言えないようなことを質問してくる。世間一般的には嫌なのではないだろうかと無難な答えを返すと、山本透さんは一瞬眉を寄せ、うーんと唸った。
「というか、美優は彼氏ほしいの」
「いたら人生楽しいのかなとは思う」
「えー……まだ早くない」
いかにも最近の若者が……とでも続けたそうな、不満もあらわな顔に年だなぁと素直な感想を告げたらどうなるのだろうと思う。思うだけでやめておいたけれど。
「女子高生ブランドが……」
いつも茜が言っている言葉をまねてみると、山本透さんの顔には驚愕と書いてあった。
「美優にそんなこと言われると世も末って気なるわ……」
頭まで抱えられてしまう。まぁ別にあたし自身そんなことほとんど思ったことないから、あたしっぽくない発言だけどさ。
そもそも早いって何なんだそれ。今までどんだけあたしなめられてたんだ。
……いや違う。なめられていると言うよりも、この人はあたしに夢を見すぎているのでは。今時の女子高生の実態を知らない、というほど世代間ギャップはない気がするんだけど。
「美優には合コンはあんまり向いてないと思うよ」
「……なんで」
確かに、自分でもそうだとは思うけれど。他人に、よりにもよって山本透さんに指摘されてしまうと素直に頷けないのだが。
「美優は好きになるまで時間かかりそうだし、とりあえず作ってみることもできなさそうだし。その場だけの関係にそこまで魅力も感じないでしょ?」
「……うん、多分無理だと思うけど」
「いーよ、それで。好きな人ができて付き合えばいいんだよ」
なんなの? この人あたしのお兄ちゃん気取りなの? 黙り込んでしまったあたしに何を思ったのか、山本透さんはもう一度あたしの地雷のどまん中を踏み抜いた。
「だから美優にはまだ早いって」
「だからどうして、あたしに好きな人すらいないって決めつけるの」
咄嗟にこう言ってしまったあたしを誰が責められよう。山本透さんの顔が再び驚愕に歪む。
「は!? いるの?」
「……いいじゃん別に、どうでも」
ああもう、我ながら言っていることがはちゃめちゃだ。時計を見ると、5時を15分ほど過ぎている。それをいいことに、あたしは無理やりに話題を変えた。
「だーかーらー、この問題教えてください」
そう言って問題集を指す。山本透さんはしぶしぶと言わんばかりの苦い顔だったが、自分のお役目を思い出したらしい。若干苛立ったような声で、それでも教えてくれた。
その甘くて低い響きを聞きながら、結局お互いが不快な思いをしただけだったなぁと後悔。別に何かを得たかったわけではないけれど、ここまで色々なものを失う会話になるとは思ってもみなかった。内心、重い重いため息をつく。
やっぱりあたしには駆け引きとか向いてない。