1年目 5月 その4
「何話してんの」
待ち望んでいた声に、はっとそちらを向いてしまう。眉間にしわをよせ、剣呑に目を細めている山本透さんは明らかに不機嫌そうだった。いや、それむしろこちらのセリフですが。
いったい何を話していたのだろう、と思ってしまうほど山本透さんの肩越しに見える女の人がこちらを見る目が痛すぎる。そう言えばなんでこの人たちは二人で出掛けているのだろう。女の人が山本透さんを好きなのは明らかだし男の人だって別にこの女の人のことが好きなわけではなさそうだし。
「山本、この子何?」
「近所の子」
先ほどもされた質問に山本透さんは即答する。おお、と感心してしまった。嘘でもないし、あんまり広められたくない事実も隠せている。上手い表現だ。
「彼女でしょ?」
「違う」
ばっさりと言われた言葉に当然だとも思うけれど、切なさを感じる。もう少し動揺してくれてもいいじゃんねえーと内心膨れる。
「じゃあ、急いでるから」
行くよ美優ちゃんと言って、あっさりと山本透さんはその場を離れた。
男の人の面白がっているような視線と女の人のさすように冷たい視線を感じながらも、あたしは二人に一礼してその背を追いかけるしかなかった。
二人きりになって、胸がドキドキしすぎて息苦しいほどの緊張から解放されて、泣きたいほど安心していることを口に出せるような雰囲気ではなく。けれどしばらくしたら山本透さんはくるりと振り返り、いつものようにあたしを穏やかに美優と呼んだ。
さっきまで深く刻まれていた眉間の皺はいつの間にか無くなっていて、安心する。
「夕飯食べてかない?」
「……でも」
「いい加減に奢られるの慣れなって。大学入ったら、1年間はちやほやされまくるんだから」
見透かされてるなぁと思う。まぁ、そういうところが美優のいいところだけどねぇと言う山本透さんの声には何か含みがある。ふと思いついた。
「あの人いいの?」
別に、と言う声が氷のように冷たい。こんな、鋭い刃物のような声をだすことがあるのだと。そうわかってあたしは動揺した。
自分を切り捨てているわけではないとわかっているけれど、それでも気分が重くなるのは止められない。ひやりと冷たい手で心臓を掴まれたような気分だ。この声を自分に向けて発せられたらそのまま握りつぶされて、あたしの世界はそのまま終わってしまうだろう。
それは嫌だと思うと同時、口が勝手に動いていた。
「透先生が嫌いなタイプの女の人ってどんななの」
「……何聞いた?」
「嫌いな人には冷たいって話」
ああ、と頷かれる。その顔には嫌悪感とか動揺とか全く浮かんでおらず普段通りだった。そうか、あれはべつにあたしに隠したい話題ではないのか。こういう時に、あたしは対象外なんだろうなぁと思い知らされてしまう。
「プライドなくて性格悪くて他人任せで頭軽くて自分が世界の中心だと勘違いしてる女……要するに向上心のないバカ女」
憎しみまでも込められているようなぞっとするような言い方。それを差し引いてその言葉を一つ一つ考えると、まぁそんな女の子はいくら可愛くてもあたしもだめかもしれないと思える。さきほどの山本透さんの同級生の呆れたような口調からもっとひどいものを想像していたのだけれど。
「で美人じゃない人?」
「素がどうこうというか綺麗であるよう努力してない女。顔だけじゃなく」
まぁ美人なほうが好きだけど、と女に喧嘩を売っているとしか思えないような発言。
確かにあっけらかんとしすぎていて苛立ちを感じることはない。ないが。この人はオブラートに包むということを知らないのだろうか。あたしが貴方の言葉に潜む言葉のナイフに傷つくとか本気で思ってないのだろうか。
……なんとなく聞いていてわかった。多分、山本透さんは、ダメの水準が高いのだろう。普通の人間ならばまぁうやむやでごまかしてしまえるような些細なミスや粗でもダメだと思ってしまうのだろう。完璧主義者。自分が努力する分相手にもそれを求める人。
「美優は違うから安心して」
この人は嘘とかごまかしを言う人ではない。無理してまで周りに合わせようとしない人に嘘やごまかしを言う必要がないだろう。
あまりというかほとんど男の人と接する機会はないけれど、この人に気に入られてるのはあたしだってわかる。恋愛感情ではないだろうけど。
となると、今度は別の疑問がわいてくるのだ。
あたしのどこが他の女の子と違うのだ。という、答えの見つけだせそうにない問題が。
理由もよくわからず与えられてる好意なんて、いつ無関心に変わるかわからない。そう思うと不安で不安で仕方なくてとりあえず嫌いなタイプを訊いてみたけれど、結局山本透さんがなぜあたしを気にいってくれたのかはよくわからないままであった。
とりあえず自分に好かれていたければ、綺麗でいろということか。服装やメイクは当然。プラス立ち居振る舞いとか言葉遣いとか雰囲気とか……あとなんだろう。そもそもここでこれ以上思いつけない段階でだめなんじゃなかろうか。
うわっ! 無理! 本当無理!
こういう言葉を聞くたびに、好きという気持ちを試されている気分になる。そして、山本透さんと付き合える未来を想像している自分がとても夢見る女の子みたいで頭を抱えたくなる。けれど、ここで諦めるような女の子は嫌いだと山本透さんは宣言しているのだろう。
「で、夕飯どうする?」
「食べ……たい」
あたしの答えに破顔した山本透さんを見てあたしも嬉しくなる。この人の笑顔をずっと見ていられる存在になりたいなぁ、と痛いぐらいに思う。
もっと綺麗になりたい、大人になりたい。山本透さんの隣に並べるくらいに。
……こんな乙女チックな言葉とても口には出せないけれど。