1年目 5月 その2
日曜日の夕方4時過ぎのカフェだったけれど、幸運なことにちらほらと座席は空いていた。あまり待たずに入れそうだ。
天井が高くて広々としたフロアには大きい窓から明るい光がさんさんと注ぎ込んでいる。白と茶を基調とした柔らかな雰囲気。店員さんも垢ぬけてはいるけれどどこか素朴だ。一つ一つの小物までおしゃれである。いかにも女の子受けしそうな雰囲気。
奥のほうの座席に案内される。そこまで進んでいく間に、痛いほどの視線を感じあたしは心の中でうめいた。山本透さんとはわりとよく出かけているけれど、いつまでたってもこの視線に慣れることはない。女の人がちらちらとこちらを見て何かしら噂しているのを見ると、何を言われているのかと気が重くなる。
当の本人は涼しい顔だ。今さらすぎて何も感じないのだろう。何にする? と、メニューなんか広げている。ざっと見て、あたしはモンブランとミルクティーにしようと決めた。
「決まったからどうぞ」
とメニューを山本透さんのほうに向ける。もう決めたの? と驚く声にひやりとしたものを覚えた。やっぱり、こういう時はもっと可愛く迷うほうがよかったのだろうか。しかしどうしても食べたかったのだからしかたない、と自分を正当化してみる。
山本透さんも決めたらしい。店員を呼び、注文した。
早く来ないかなぁと山本透さんとの会話もそこそこに、そわそわと店員さんの動きに注目してしまう。ついでに周りを見渡すと、カップルや女の人たちの集団ばかりだ。
……あたし達はどう見られてるのかな、と思う。カップルとしては甘い雰囲気が足りないし、友達にしてはぎこちない。部活の先輩後輩ってところだろうか。
「美優って」
一人で考えて勝手に落ち込んでいたあたしは、名前を呼ばれて目線を山本透さんに戻す。
「こういうところ好きだよね」
「そうかなぁ……」
「うん。なんか女の子って感じ」
いやどうだろう、と返そうとするが、ちょうど店員さんがケーキとグラスを持って現れた。
山本透さんの前に置かれたのは置かれたアイスコーヒー。
あたしの前に置かれたモンブランとミルクティー。ミルクティーの高い薫りが鼻をくすぐる。綺麗に絞り出されたクリームの頂上にのせられたつやつやと輝くマロングラッセ。皿の飾り付けに使われている色鮮やかなベリーのソース。それら全てがあたしのテンションを上げてくれる。自然と口元に笑みが浮かんだ。
「俺さあ、甘いものあんま好きじゃないんだよね」
なにその知られざる真実。今にもケーキに突き刺そうとしたフォークを止めてあたしは山本透さんをまじまじ見てしまった。確かに山本透さんが頼んだのはアイスコーヒーだけだ。
あたしも親も山本透さんは甘いものが好きと認識していたため、毎回夕ご飯のあとにデザートが出てきていた。ここまで山本透さんに懐く前のあたしにとっては土曜日の唯一の楽しみだったりした。もちろん今でも至福のひと時だけど。
「そうなの?」
あたしは昔のことを思い返す。
ちょうど今から1年ほど前のことだろうか。土曜日の5時10分前。ちょうどタルトが焼きあがったところに山本透さんは家に来た。
次の日曜日にあたしの友達である河合茜の家に遊びに行くことになっていたため、そのお土産を作っていたのである。甘いにおいが広いとはいえないあたしの家に充満していて、自分でも美味しくできている予感しかしなくてうっとりとしていたあたしは多分とても嬉しそうに見えたのだろう。にこにこと機嫌のいいあたしを見て、山本透さんは物珍しそうな顔をする。
その原因に気が付いたのか、いつもより気さくな感じにあたしに話しかけてきた。
「あ、なんかいいにおい。家全体から甘いにおいする」
「明日、友達の家に行くから。さっきまで、お菓子作ってて」
「へぇ、何?」
「ベリーのタルト」
「へぇ、すごいね。そういや、料理クラブ入ってんだっけ」
「一応……」
「今回はダメだろうけど、今度なんか作ったら食べさせてよ」
そう言って山本透さんは完璧な笑みを見せた。
今思うとただの社交辞令だったのかもしれないけれど、その言葉を真に受けたあたしは母親に「山本透さんは甘いものが好きらしい」と伝えた。山本透さんのことが大のお気に入りな母親もあたし同様その情報を鵜呑みにしたのだった。
思いかえしていたのが同じエピソードだったらしい。山本透さんはばつが悪そうな顔をしている。人差指で軽く頬をかいている。困っているようだ。
ここだけの話ね、と言う山本透さんの顔が苦笑いなのは、あの土曜日の恒例行事が純粋なる好意によるものだとわかっているからだろう。
「あの時美優全然しゃべってくれなかったから。共通の話題作りというか」
正直に言ってしまえば今ですら結構逃げたいのだが。まぁ、いつまでたってもこれは慣れないのだと思う。前に比べれば男に対する警戒心というものは無くなったけれど、その分山本透さんに対しては緊張する度合いが高まった気がする。
要するに、あたしは下手なことをしてしまってこの人に嫌われたくないのだ。
「でもまぁ、嬉しそーな顔してる美優見てるのは楽しいしね。だからあの時間がイヤとかではないんだけど」
「……そんな間の抜けた顔してますか?」
「美優、甘いもの食べてる時すごい幸せそう。全身で美味しいって感じ。いつもは少しずつ食べてるけど、甘いもの食べてる時はすごい大きな口あけて食べてるよね」
そんなにあたしは食べている時間抜け面をしているのだろうか。そもそもあたしが食べているところをそこまでまじまじと見ていられたと思うとものすごく恥ずかしい。自分でも顔が赤くなっていくのがわかる。先ほどまで勢いよく突き刺そうとしていたフォークの行き場がわからず、あたしは皿の上にフォークを置いてしまった。そして膝の上で両手を握りしめる。
見ないでください……と俯いて呟くが、それすら楽しみの一環らしい。そんなあたしをにこにこと満足そうに眺めている山本透さん。
恥ずかしさと訳のわからなさが頂点に達して、最早全てがどうでもよくなる。あたしはフォークを手に取りケーキに勢い良く突き刺した。