1年目 9月 その4
鈴の転がるような軽やかな声が背後から聞こえたのはそんな時だ。
あたしは足を止め振り向いてしまった。自然、あたしの隣を歩いていた山本透さんもあたしと同じ行動をとる。
そこにいたのは、河合茜だった。
色素の薄い茶色の長い髪が小さな顔を縁どってふわふわと揺れている。健康的に焼けた肌とすんなり伸びた手足。あふれる自信が、その整った容姿をさらに色づかせ輝かせてみせる。大好きな、人目を引いてやまないあたしの親友。
大きな目があたしと山本透さんを交互に見つめる。細い首が一瞬傾げられ、そして大輪の花のような笑顔がお人形のような顔に浮かぶ。
「こんにちは、山本透さん」
そう山本透さんを呼ぶ茜はとても自然だった。一瞬山本透さんも普通に挨拶しかけ、それから怪訝そうに眼を瞬いた。そして問い詰めるようにあたしに視線を向けてくる。そして、茜も意味ありげにこちらを見てくる。
二人の視線をいっぺんに浴び、あたしはため息をついて覚悟を決めた。
「……あたしの友達の、河合茜です。多分一番仲良し」
「河合茜です」
そつのない笑顔で頭を下げる茜に不安を感じて、そのかわいらしい顔をじと見つめてしまう。あたしの表情に小首を傾げて微笑み、そして茜は山本透さんに向き直った。
「美優から話よく聞いてますよ」
「あんまいい話じゃないでしょ」
「いえいえー。めちゃめちゃ褒めてますよ?」
それは全くの事実であるけれども、茜の若干含みがあるような笑顔でそう告げられると全く持って嘘くさい。案の定、山本透さんは胡乱な眼であたしを見ている。あとで問い詰められることは多分確実で、げんなりする。
「うん、褒めてる褒めてる」
茜の言葉だけでは不安だったので、一応自分の口からも真実を述べてみる。
「軽いなぁ」
「そうですよ。美優、山本透さんのことめちゃめちゃかっこいいって言ってますよ」
思わず茜を睨みつけてしまう。今のは思い切り余計な言葉だろう。へぇ、と面白がるように山本透さんがこちらを見つめているのには気が付かないふり。
あたしの反応がよほど予想通りだったらしい。茜はこぼれおちそうなほど大きな目をぱちぱちとゆっくり瞬き、薄い唇の口角を思い切り上げる。やばい、と本能的に悟る。
「国内最高峰の大学の2年生で旭高校出身で美優の家と実家だと近所で大病院の一人息子さんなんですよね?」
山本透さんの個人情報を、まるで履歴書を読み上げるかのようにすらすらとよどみなく茜は言ってみせる。……だからさぁ、この子はさぁ。
自分のプライバシーを羅列して見せる赤の他人にさすがに山本透さんも驚いたらしい。口がぽかんとあいている。この、いつでも余裕かましているような人にしてみたら珍しい表情。
「全然赤の他人なあたしが覚えてしまうぐらい、美優はよく山本透さんのこと言ってますよ」
「……まぁ、それくらいには話題に出してますねぇ」
渋々認めるしかなかったあたしにとって、その直後に流れた文化祭の終わりを告げる放送はまさに救いの手だった。
本日は誠にありがとうございますとか何とか言っている放送を聞き流しながら腕時計を確認すると、3時。確かに文化祭終了の時間である。
「……ということで」
帰ってください、と暗に促すと山本透さんは何か言いたげにチラリとあたしを見たものの、あっさりと引きさがった。その引き際のよさに眉がよる。いい予感がしない。
「じゃーね。また、木曜」
それって、来週の木曜日に今日のこと詳しく聞くからってことですか?
笑顔でそう言うと、ひらりと手を振り山本透さんは去っていった。その背を茜と2人なんとなく見送ってしまう。山本透さんが階段を下りて行くのまで見届けた後、あたしは茜を睨みつけため息をとともに言葉を吐きだす。
「なんで余計なこと言うかなぁ……」
「余計だった?」
「かなり」
「……ごめんなさい」
輝くばかりに整った顔をしゅんと歪ませ、今にも泣き出しそうなほど申し訳なさそうな顔を茜は浮かべる。なんだかこっちが悪いことをしている気分に陥ってしまい、ああもういいよ……と許してしまう。そしたら一転はじけるような笑顔。自分が可愛いことわかっててやってるだろう、と突っ込みたくなるが、そんな表情されてしまうとわざわざ難癖つける気にもなれない。顔のいい子はこれだから得である。
まぁ、あたしのことを思ってやってくれてるのはわかるしね。あたしがそういうの苦手だから有難迷惑とちょっぴり思ってしまうだけで。
「それにしてもびっくりした。本当にかっこいいんだね」
茜は目をキラキラと輝かせ、頬をバラ色に上気させていた。その様子は女のあたしでもときめいてしまうぐらいには可愛かったけれど、山本透さん相手に浮かれているのだと思うと君面食いだもんねぇとなんだか生ぬるい気分になる。というか「本当に」って。あたしの褒め言葉を疑っていたのか。というよりも、あたしの美的センスを、か。
「彼女いないんだよね?」
「多分……」
と曖昧な返事を返すと茜はあからさまに不機嫌になる。だって知らないし。大体家庭教師のお兄さんとどうしたらそんな話になるのだ。自分から積極的に話してくれたり薬指に指輪でもしてたらわかるかもしれないが、山本透さんはそういうタイプではないし。
うーん、とうなって、とりあえず確定情報だけを伝える。
「多分去年のクリスマスにはいなかった」
「どんだけ昔の話してんの!」
「そっから月2,3回くらい遊んでるけど、あんまりいる気配はなさそう」
「なら、もっとアピールしなよ……」
「だからさ」
柳眉をしかめ大きな目を半眼にし薄い唇をゆがめ、あからさまに嫌そうな顔をしている茜は白く綺麗な手をひらひらと振り、なおも言い募ろうとするあたしを思いっきり遮った。
「……多分美優ってさぁ、恋愛向いてないよね。考えすぎ。頭でっかち。でもって臆病」
茜の言葉は正しい。上に、そこまで自信満々に断言されてしまうと、何も言い返せない。
あたしがよっぽど情けない顔をしていたからなのか、茜は先ほどまでのどこか意地の悪いような表情を一転させる。驚いたように大きな目をまん丸くしてから柔らかく細め、薄いその唇をほころばせてみせる。
「まぁ、そんな美優だからあたしはほっとけないんだけどね」
ここでこうきますか。思わずまじまじと茜を見つめてしまったあたしに、相手は不敵に微笑んでみせる。なんでこの子は男じゃないんだろう。今までも数え切れないほど抱いてきた思いをもう一度かみしめる。
もし茜が男だったら。
「あたし茜が男だったら絶対付き合うわぁ……」
「山本透さんに告られても?」
「うん」
即答すると、あらあらと茜は呟く。そして、さっき山本透さんと居る時に浮かべていたような笑顔と違うどこか照れたような笑みを浮かべた。
「山本透さんかわいそお」
「思ってる?」
「……別に?」
緩やかにウェーブしている薄茶色の長い髪をふわりと揺らして茜は柔らかい表情を浮かべる。よくできたお人形のような整った顔にのる暖かい微笑みはあたしの心をじんわりと暖かくしてくれる。言っている内容はわりとひどいけど。
「……しかし、どうやってこの状況下の収集つけるの?」
「ちなみにどんな噂になってます?」
「あんなにすました顔してやることやってんのねぇ」
茜はとてもにこやかに爽やかに毒を吐く。茜本人の言葉ではないことは重々承知なのだけれども、それでも茜の口を通して悪意を吐かれると凹む。
「女って怖い……」
世間一般様の女子校のイメージと言えば、いわゆる「女の世界」だろう。ぱっと見は華やかで穏やかに咲き誇るお花畑のようなのに、一皮むいてしまえばドロドロとした悪意が沼のように広がる陰気で恐ろしい世界。
女子校の生徒として言うが、日ごろはそうでもないのだ。というよりも必要以上にさばさばしていて下手な男の子よりも男っぽいだろう。
だけれど。男が絡むと本当に怖い。女って怖い。わかってはいたけれど。
恐ろしさにブルりと震えるあたしの呟きに茜は肩をすくめてみせる。
「ま、何言われても曖昧に笑っときなさい。あたしもうまいこと言っといてあげるから」
「……はぁい」
こうして、あたしの文化祭は若干の波紋を残しつつ終わったのである。