1年目 8月 その3
思いかえしていたら、嬉しいような申し訳ないような複雑な気分になってきた。
「勉強しよう……」
思い出にいつまでも浸っているよりも、先のことを考えよう。あたしは今まで寝ころんでいたベッドから起き上がった。
帰ってきた山本透さんを質問攻めにするためにも、あたしはいつも以上に熱心に勉強に取り組んでいた。勉強をしているとどこかで山本透さんと繋がっているようで嬉しくなるのだ。おかげで勉強が楽しい。どこかの誰かのセリフではないけれど、恋愛感情の持っているパワーとは本当に偉大なものである。
さて、何の教科やろう? と考えてなんとなく英語の参考書を手に取る。あたしの苦手……というか嫌いな科目だったけれど、最近はそうでもないかもしれない。これも山本透さんのおかげなのだろうか。正確には、山本透さんへの感情のおかげ、というか。
例の一件があってから、なんとなく図書館には行きづらい。でも家で勉強をする近所のカフェにでも行って勉強しようと問題集を鞄につめていた途中。携帯がメールの着信を告げる。
なんとなく、山本透さんからかなぁと思う。山本透さんとは毎日メールのやり取りをしている。メールのやりとりなんて嫌いなはずなのに、山本透さんからのメールはなぜか待ち望んでしまっている自分がいる。
基本はとりとめのない話のやり取りなのだが、写真が添付されていることもある。別に特別な写真なんてものではなくて、綺麗な風景とかだったりするんだけど。山本透さんと少しでも同じものが見えているのかと思うと嬉しい。
携帯を開く。新着メール1件、とディスプレイの表示。
ボタンを押そうとしてためらう。鼓動がうるさい。どくどくと言う音がここまで緊張して、ボタンひとつ押せないなんて。送り主違ったらさぞかしがっかりするんだろうなぁ、と少し自分を落ち着かせるためにも、自分に都合の悪い想像もしておく。
もう一つ深呼吸。目を閉じて震える指でボタンを押す。あたしの期待通り、送信者は山本透となっていた。そして文面は。
『花火大会行かない?』
思考が止まった。もう一度読み返してみるも、別に文面に変化はない。
初めは言われた内容が信じられなさ過ぎて夢でないかと自分の目を疑っていたのだが、画面をひたすらに眺めているうちにこれは現実だとあたしの脳が認識した。じわじわと嬉しさがこみあげてくる。胸がざわついて苦しい。目が潤む。震える手を携帯ごと握りしめた。
どの花火大会かはっきりと言われてないけれど、近々大きな花火大会があるから、きっとそれのことを言っているのだろう。
あたしがここまで嬉しがっていることをあの人は知っているのだろうか。
あたし自身、山本透さんと一緒に行きたいなぁとは思っていたものの誘えるわけもなく。茜と行こうかなぁとぼんやりと思っていたところだったのだ。
速攻で返信しようとする自分をとどめて、母親のいるであろうリビングに向かう。あの人はいつものようにソファに座ってテレビを見ていた。
顔に動揺が出ないように、声に浮かれた成分が混ざらないように、平常心と自分に言い聞かせ、その背に向かってあたしは声をかけた。
「浴衣、お母さん着付けてくれない?」
「どうしたの?」
お母さんの顔がこちらを向く。あ、アイス食べてる。羨ましい。アイスに目線をちらちらやりながらあたしは口を開いた。
「茜と花火大会行こうって言ってて」
「ふぅん?」
明らかに半分以上信じていないような声だったけれど、一応納得したふりはしてくれた。いいわよ、とあっさり頷かれたことを幸いに、あたしはアイスまだある? と深く突っ込まれる前にさっさと話題を変えることにした。
そして、花火大会当日。
髪を結いあげ、飾り付ける。いつもよりもはっきりした色合いの化粧を顔に塗り付け、親に浴衣を着つけてもらう。黒地に濃かったり淡かったりするピンク色の大きな花が浮かんだ浴衣はあたしのお気に入りだった。
赤い口紅をつけ、鏡に映った自分はいつもと違って見える。というか、自分だとは思えない。我ながら浴衣が似合う気がする。さすが日本人。
あたしはどちらかと言え和風の顔立ちらしい。茜いわく美優って日本人形みたい、とのこと。そういう茜は西洋のお人形めいていて、それがあたしには非常に羨ましい。
……今、こんなことを考えていても仕方ない。今あたしがしなければいけないことは、出来うる限り可愛らしくいることだ。
鏡の中のあたしにそう言い聞かせて、あたしは家を出た。