1年目 7月 その2
家庭教師の時間が終わり、山本透さんをダイニングの椅子に座らせ、冷蔵庫に入れておいたラザニアをオーブンに入れる。ラップをかけておいたサラダを取り出し、スープを盛り付ける。あたしがそれらをこなしている間、山本透さんはどこか不思議そうな顔だった。
「焼けるまで時間かかるんですけど……」
「じゃあ、先食べてようか」
その言葉に頷く。サラダだのスープだの作っておいてよかったと思う。でないと確実に場はもたなかっただろう。いつもしゃべりすぎるぐらいしゃべってくれている母親のありがたみを実感した。
山本透さんが話してくれているのを聞きながら頷いているうち、オーブンがチンと音を立てた。慌てて
オーブンを開け、中身を確認する。ミートソースがぐつぐつと煮たっている。チーズも適度に焦げていて見た目は合格だと思う。食欲をそそるような美味しそうなにおいが鼻をくすぐることにほっとした。
「どうぞ」
「あ、美味しそー」
山本透さんがフォークを手に取り、ラザニアを取り口に入れた。そこであたしがはらはらと見つめていることに気が付いたらしい。今まで積み重なった疑問が氷解したらしい山本透さんは納得した表情でああ、と呟いた。
「これって、もしかして美優ちゃんが作ったの?」
「え……」
「いつもと若干味も違うし。美優ちゃんやたらと心配そうだし」
疑問系のわりにはいやに確信めいた響きだった。あたしは瞬いてしまう。しまったばれた、と思ってしまったあたしは何かが間違っているのだろうか。
目の前でわたわたと焦り始めたあたしを安心させるように、山本透さんは微笑んだ。
「美味しいよ」
「え、ほんとですか?」
「うん」
しばらく山本透さんの笑顔をじっと眺めていたが、嘘偽りやお世辞は感じとれなかった。じゃああたしも食べよう、と自分のラザニアを見つめる、いただきます、と手を合わせてフォークを手に取る。口に入れてみて、素直においしいと思えたことにほっとする。自分でも大満足の出来に、思わず笑みが浮かんだ。
笑顔というものは伝染するのだろうか。あたしが浮かべた笑みを見た山本透さんの、どこか張り詰めたような雰囲気がふっと緩み、暖かい笑みが浮かぶ。
柔らかく微笑まれたこの瞬間、あたしは山本透さんに落ちていたのかもしれない。
「そう言えば前もお菓子作ってたよね。料理よくするの?」
「それなりですね」
「料理の上手な女の子はモテると思うよ」
「……はぁ」
どう反応していいのかわからなかったので曖昧に頷く。まぁ、料理上手な女の子がモテるって言うのは、道理だろう。でもあたしはもてたいから作るわけじゃないんだけどなぁ。そう思っているのが伝わったらしい。
「美優ちゃんはそのままでいてねー」
「……どういう?」
「打算とか計算とか考えない感じ」
そんな発言をしたあと、山本透さんはずっと柔らかい雰囲気であたしを見つめていた。
その次の週に会った山本透さんは嫌にすっきりした顔をしていて、何かいいことがあったのかなぁと不思議に思ったのをよく覚えている。
なんか、山本透さんのことを考えていたら、そわそわと落ち着かない気分になる。会いたくなってしまってどうしようもないけど、そんな権利あたしにはないわけで。
じゃあ、その権利を得るために、すなわち山本透さんに好きになってもらうために、あたしがしなければいけないことと言えば。
料理、になるのか?
自分で出した結論のはずなのになんだか茜に丸め込まれた感が否めない。ただ、あたしよりは茜のほうが経験豊富なのは事実だし。そんな茜の言うとおり山本透さんが喜んでくれるのなら。多少の恥ずかしさとかは飲みこんで、アドバイスに従ってみようか。
先ほどまで寝転がっていたベッドから起き上がり、あたしは母親のいるだろうリビングへと向かう。案の定あの人はリビングでテレビを見ていた。その背に向かって言ってみる。
「あたし、今週の土曜日、ご飯作る」
母親はすごい勢いで振り向き、こちらをじろじろ眺めた後、イヤににこやかに全面協力を申し出た。やっぱり気が付かれていたのかなぁとげんなりするが、ここまで来てしまえば知られていてもいなくても一緒である。すました顔で提案を押し切るのみだ。
「だからよろしく」
そして誕生日当日。一日中続いている母親のにやにや笑いは全面的にスルーして、あたしは料理を作っていた。大体できたところで、玄関のチャイムが鳴る。
軽く身だしなみを整えて出迎えることにする。そんなあたしを母親は含みのある笑顔で見ていた。この人はどうしてこうも楽しそうなのだろうか。
山本透さんを家に入れた途端、「お願いします」と言うがいなや母親はさっさとリビングへと戻っていった。その様を山本透さんと二人、なんとなく見送る。リビングの扉が閉まると同時、山本透さんは口を開いた。
「今日もしかして美優が作った?」
「……え」
食べる前からなんでわかったのだ。バレる要素あったか? と眉を寄せ真剣に考え出したあたしに山本透さんは笑いだす。
「や、勘……というか希望的観測。美優が作ってくれればいいなぁって言う、俺の」
でもその反応だったら本当に作ってくれたんだねぇと嬉しそうに微笑まれると、あれだけ意地張ってた自分が馬鹿らしい。茜の意見を素直に聞いておいてよかったと思う。
「あ、いや、いつもお世話になってるから」
あわあわと見苦しく言い訳するあたしの頭を山本透さんは優しく撫でた。
「うん、ありがと」
「あ、や、あの」
何を言えばいいのかわからない。多分あたしの顔は真っ赤だろう。動揺のあまり目に涙すら浮かぶ。上目遣いに見つめているうち、その手はそっと下ろされた。
そのことに安心すると同時、どこか残念になる。これまでだったらひたすら避けてしまっていたスキンシップを待ち望んでしまっている最近のあたしがいる。
「いよいよ二十歳だよ」
山本透さんは今までのことがなかったかのように会話を続けた。
二十歳……あたしは早生まれだから、今のところ4歳差である。
「美優は2月でしょ? 今16歳だよね」
「そうですねぇ」
「4歳ねぇ……」
どうやら思いつくことは一緒らしい。4歳差と言えどもそんなに精神年齢違う気がしないのはあたしだけか。それか向こうが合わせてくれているのか。
「……お誕生日、おめでとうございます」
あたしがそう言うと、山本透さんは破顔した。年取っちゃったねぇと言うがどこか嬉しそうである。そうだ、と茶色い瞳がこちらを向いた。
「美優の次の誕生日は絶対盛大に祝ってやるから、待ってて」
その言葉を信じていいのだろうか。幸せな思いに浸ってもいいのだろうか。
痛いほどの期待と苦しいほどの不安を抱えながら、あたしは部屋へと向かう山本透さんの背中を目で追っていた。




