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月下美人の理  作者: 藤田五郎
揺ルギナキ者
6/13

第六目==青龍

 翌朝。まるで遠足の日に興奮して早く起きてしまったかのように琴は兄にひっついてやってきた。

 そのベタベタ具合を見ていた芦屋と中里は壮絶な怒りの殺気を放つと同時に歯ぎしりをして悔しがった。

 しかし、そんな二人の男をよそに、二人の女が河原で睨み合った。

「おい、どっちが勝つと思う?」

「俺は武者小路に一票」

「拙者は妹に」

「私はどっちもー」

 セレネは純粋に手をあげてにこやかに言った。

 芦屋はしばし沈黙したのち、琴で、と呟いた。

「お前、ああいうのが好みなのか」

 芦屋は黙っていたが、即座に中沢の拳が芦屋を襲った。

「理不尽だぁッ」

「お兄様、見ていてくださいねっ」

 武者小路はバカ男どもの会話を耳に入れないように無意識のうちにしていた。そして、それは知らず知らずの内に体の中に染み込んでいた修行の成果だった。

 武者小路はいつも刀をさしている左腰の辺りで竹刀をもって構えると、ゆっくりと足を開いた。それから異常なまでに前のめりになると、右手を地につけた。そうすると、腰は必然的に高い位置を占め、刀の切っ先は遥か天を仰ぐような形になる。

 その構え、背後に何か感じるものがある。

虎構ココウの使い手か・・・」

 芦屋が呟くと、中沢がわけが分からないと言った風に首を降った。

「それはなんでござろうか・・・」

「諸刃活人流の奥義の一つで、その姿勢にて威圧を行い、士気をそぐ。刀を抜かずして戦う諸刃活人流の極致と言える技だ」

 芦屋は煙管を加えて言った。

「活人流とはすなわち刀抜かずして戦う剣術。その矛盾ゆえに人間には早すぎたせいで今じゃすたれて天狗しか使えないというのがもっぱらよ」

 芦屋は締めくくると煙をポッポと細切れにして吹き出すといった。

「ほれほれ、あれに怯まない。お前の妹も対したもんだぜ」

 琴は薙刀の棒を背中に引き寄せ、構えをとると前に飛び出した。

 武者小路は地を蹴って後ろに下がる。

 激しい一撃が眼前に振り下ろされる。

 直後、薙刀の振り上げが武者小路の視界を遮った。

 竹刀で受け止める。

 しかし、さらなる振り上げが武者小路の竹刀を放り上げた。

 武者小路は飛び上がると、竹刀をつかんだ。

 着地すると、琴は既に更なる一撃を加えんとしていた。

「面白くなってきたなぁ」

 素早いなぎ払いが武者小路を遅う。

 武者小路は膝立ちで薙刀を竹刀を受け止めた。

 そして、そのまま近づいてきた琴の足に蹴りを入れた。

 薙刀を支点にして飛び上がる。

 武者小路の背後に回り込む。

 武者小路は突き出した足を支点に回転して間合いを広げる。

 直後に襲い来る更なる一撃を竹刀で受け止める。

 決して力任せではないが、強い。竹刀からパラリパラリと何かが落ちてくる。

 武者小路はミシリという小さな音も聞き逃さなかった。

 長くは持たないだろうし、下手をすればあと五回斬撃を受け止めることもできないだろう。

 琴は間合いを広げると再び用心深く構えをとった。

 しかも、今回は向こうから仕掛ける様子は無く、防御に徹する構えに見える。

 武者小路は口に咥えた夾竹桃を揺らした。

「ふっ、ずいぶんとやるじゃないか」

「あなたこそ」

 中里は何となく不安になってきた。大体の場合において女の方が男より強い。中里が前に読んだ西洋の医学書では、男は体内中の血液の三分の一がなくなると死ぬが、女性の方は半分以上なくなっても死なないという記述を見たことがある。

 この二人が本気で喧嘩を始めたら、中里には止められる気がしなかった。

 武者小路は地を舐めるような走りで一気に間合いをつめた。

 なぎ払いが正確に武者小路を狙ってくる。

 しかし、武者小路は向きを変えると薙刀と同じ方向に進んだ。

「なにをしているのだ・・・」

 武者小路はなおも薙刀の描き出す円のまわりを回っていく。

「薙刀を止めた瞬間、妹は無防備になる。その隙を狙えばいつでも相手を襲えるっつーわけよ。なかなかに頭使ってんじゃねーの。お嬢の奴も」

 芦屋は平然と煙管をふかしながらいった。

 しかし、武者小路の考えははるかに上だった。

 琴は薙刀をとめると相手が突進してくる隙を与えず間合いを広げた。

 武者小路は追撃の斬撃を放つも、わずかに届かなかった。

 しかし、武者小路はこの時、笑顔を浮かべた。

 獲物の首筋に食いつく一瞬前の餓狼のような残忍な笑みを。

 琴は本能的に危険を察知した。

 しかし、その危険が武者小路のどこから放たれるのか分からないままに行動できない。

 そこに迷いが生じる。

 その迷いこそ武者小路の待ち望んでいたものだった。

 すべては武者小路の掌中で動いている。

 そう思い込ませるのが武者小路の思惑だった。

 不安が剣速を鈍らせ、判断を誤らせる。

 琴が武者小路の掌中で踊っていると気づくことが、それが武者小路の計画なのだ。

 武者小路はそこから一気に攻め込んでいく。

 素早い連撃を防ぐのがやっとの琴の防御の一撃すらも徹底的に突き崩していく。

 右払いを放ったと琴が認識して薙刀を寄せる。

 その時既に武者小路の攻撃は薙刀を標的にしている。 

「器撃瞬攻。薙刀への攻撃による戦力低下を狙うとは、えげつねえなぁ・・・」

 芦屋がいちいち解説するのを中沢は素直に聞いて相槌をうった。中里はいちいちそんなことしなくても・・・と思いつつ、完璧に技の中核をなす教えを見抜く芦屋の眼力に敬服していた。

「どこかで諸刃活人流を学んだことがあるのか?」

 芦屋は中里の問いに首を振った。

「一度それの使い手に襲われたことがあるきりだ。確か・・・家康の刺客だった気がするな」

「大御所さまと会われているのか・・・」

 芦屋はいやいや、と再び首を振った。

「竹千代時代にちょっくら会った程度だ。どっちかというと第六天魔王の方が繋がりあるな」

 武者小路の猛攻は止まることを知らなかった。

 その時、琴は薙刀の刃の無い側で武者小路の斬撃を受け止めた。

 その勢いで薙刀を回す。

 武者小路の手から竹刀が飛んだ。

 琴の顔に勝機が浮かんだ。

 しかし、武者小路の顔にも勝機が現れていた。

 武者小路は少しだけ腰を落とした。

 それは一見しただけでは腰を落としている事が分からないほどに少しだった。

 刹那。琴の視界から武者小路が消えた。

「何て奴だっ。疾風躍を予備動作を隠してやりやがったッ」

 武者小路はそのまま回転を続ける竹刀をつかむ。

 琴が薙刀を上に向ける。

 しかし、武者小路の空中からの突きが琴の竹刀と交差した。

 武者小路はドンと着地する。

 武者小路は気づいた。

 武者小路は腰を落としたその体勢から即座に足払いを放つ。

 琴は後ろに下がる。

 この女。本気で殺しに来ている。

 武者小路は攻撃を突きに変えた。

「攻撃範囲が狭い代わりに逆に防がれにくい。むしろ避けられる」

 芦屋の言葉どおり、琴と武者小路はどんどん遠ざかっていった。

「薙刀は刀相手に一瞬でも間合いを広げればどんな達人相手でも勝機がある」

 芦屋は紫煙をくゆらした。 

「面白くなってきたじゃねえか」

 中里はフッと言うと立ち上がってゆっくりと歩き出した。

「芦屋、何があってもそこを動くな。セレネを守れ。いいな」

 中里はそのまま一条橋に上がると川岸を歩いて注意深く下の気配を感じていた。

 武者小路は本気を出していた。

 琴は本気でこちらを殺す気で決闘をしている。

 しかも小細工つきで、だ。

 武者小路は浪士組にツクヨミに味方するものがいるという情報を思い出した。

 武者小路は思考を巡らす。

 同時に突きを放ちつづける。

「まさか・・・、こいつもか・・・?」

 武者小路は小声でつぶやきながら更なる突きを放った。

「ヌ・・・」

 芦屋は爆発する様な衝撃を川上から感じた。

 腕を交差させ、人型を飛ばす。

「おい、兄貴。悪いがちと面倒な事になったぞ」

 中沢は驚きつつも、芦屋を見上げて言った。

「妹は大丈夫でござろうか・・・」

 芦屋は上を仰いで言った。

「まぁ、中里はそのために行ったはずだ。どちらにしても武者小路がさしでやりあっている間は大丈夫だ・・・と思う」

 どちらにしても中沢の出番ではない。

 そして、水の上を疾走する青年を、芦屋は視界にとらえた。

「ちっ、何かの契約だな・・・」

 芦屋は紙を並べて川を塞ぐ。

「無駄だっ」

 青年は川の水を押し上げて紙を濡らす。

 さらに芦屋の方に濁流を流し込む。

「ゴホォエッ、ちっきしょうめ・・・」

 紙の防壁は突破されつつも、何とかセレネのまわりには結界をしっかりと張っておいた芦屋であった。

「中里・・・間に合えよ」

 青年の早さは異常だ。水を得意とする能力なのだろうが、あそこまで早いとなると能力を除外してもかなりの早さを持つことになる。

 そして、武者小路は背後に感じるすさまじい殺気に猛攻の手を止めた。

「隙ありですッ」

 琴の斬撃を軽く避け、左腕をつかんでひねると、武者小路は不安そうに川上を見つめた。

 そして、芦屋の紙の壁が展開され、破壊されるのも目の当たりにした。

「逃げろっ」

 しかし、武者小路の忠告は遅く、武者小路はやってきた青年の斬撃を竹刀で受け止めるハメになった。

 当然のごとく竹刀は真っ二つになる。

「死ね。武者小路凪」

 刀は既に鞘からはみ出している。しかし、まだ抜けない。

「冽岳壁ッ」

 中里の防御が沖田の刀を受け止めた。

「やるな・・・。貴様」

 青年は飛び下がって言った。

「お前とは経験が違うんだよ」

 中里は左手から滲む血を舐めながら言った。

「三段斬りとはよくやるもんだ」

 一度の斬撃に見せかけた、三回の斬撃を繰り出す絶技。

「お前は誰だ」

 沖田が人に名前を聞くときは自分から名乗れと言おうとして口を開いた瞬間。

「俺は中里」

 中里は名乗ってから舌を出して沖田をからかった。

「へっへっへぇ、僕?だあれ?おうちはどぉこ?」

 その瞬間、青年の顔色が変わった。

「僕は沖田だ。そして、何よりもバカにされることを憎む男だ」

 激しい水流が中里を襲う。

 中里はニヤリと笑うとその水流をことごとく跳ね返した。

 そして、その後ろから沖田が斬撃をしかける。

 それすらも軽く避けきった。

「・・・貴様、舐めているのか」

「いや、お前相手にはふざけちゃいない。そうしないと・・・」

 こちらが死ぬ。

 それは本当だった。普通の相手の斬撃に冽岳壁など使って防御しない。

 そして、冽岳壁を使っても血が滲む相手だ。ふざけていれば簡単に殺されている。

 これ以上手をくれてやる必要はない。

 中里はぴょんぴょんとその場で飛び跳ねて構えた。

「こいよ。相手してやる」

 そして、中里の顔面は沖田の目の前に迫っていた。

「俺の拳を刀で止められるなんて思うなよ」

 沖田は本能的に危険を感じた。この男は異常なまでに危険だと。

 沖田は足元の水を打ち上げて壁を作る。

 しかし、中里の拳は水を切り裂いた。

 沖田の顔面をつかむ。

「能力、剣技、噛み合っていない。整合性皆無。両方のいいところを潰しあってるって感じかな」

 中里はそのまま手の平の力だけで沖田を吹き飛ばした。

「グアッ・・・」

 中里は不敵な笑みを浮かべた。

 しかし、同時に沖田も笑みを浮かべた。

「舞えっ。水狂乱舞封ッ」

「しまったっ」

 中里の背後に水柱が立つ。

 そして、その水は琴に襲いかかった。

「さらばだよ」

 沖田はそのまま飛び上がると、道を走った。

「くそっ、間に合わねえっ」

 その瞬間、琴を抱いて飛び上がったのは武者小路だった。

 武者小路は琴を抱きかかえたまま堀川通りに立った。

 そして、油断無く下流の方を見つめた。

「いるんだろ・・・沖田。覚悟はできてるんだ」

 武者小路は一片の迷い無く邪門壊機を抜いた。

「もはや奴は人ではない。人でなく、魔でなく、その狭間にたちて、夜闇と昼明チュウミョウを橋渡しするもの。もはやお前は深淵を垣間見た」

 沖田はフンと鼻を鳴らした。

「今日のところは引こう。僕も実力差を見極められない分けではない」

「その割には俺に喧嘩を売るなんて大した目じゃないな」

 中里がそれとなく言った。

 沖田はそれを睨みつけて、刀に手を伸ばした。

 しかし、沖田はそのまま屋根を渡って消えて行った。

「あの・・・、その・・・」

 武者小路に抱きかかえられた琴はもじもじと言った。

「ごめんなさい・・・」

 武者小路は別に構うな、と言うと琴を地に下ろそうとしたのだが、琴が首に腕を回したため、下ろせないままになった。

「知ってたよ」

 琴が殺意を覚えていたのは気づいていた。女性剣士としての尊厳を傷つけられた様に思えたのだろう。

「だから、お前が薙刀に剃刀を仕込んでたのは気づいた上でやりあった」

 なんとなく。それ以外に特に理由は無かった。

「なんで・・・私を・・・、助けたんですか・・・。命を狙った・・・。私を・・・」

「それは・・・」

 武者小路は続けようとしてある男と同じ事を言おうとしているということに気づいた。

 死んでほしくなかったから。誰かを悲しませたくなかったから。そのためにできることはすべてする。

「ただ、それだけだ。相手が誰でも関係ない。誰も目の前で殺させないと、決めたからな」

 琴はそのまま武者小路の胸に顔を埋めて泣いた。

 それを遠巻きに見守っていた中里は微笑を浮かべると、歯ぎしりしている芦屋を殴って連れていった。

「ちくしょぉーーーー、羨ましいいぜぇぇー・・・」

 武者小路は赤面しつつも、この状況を嫌だとは思っていない。

 この時間が続けばいい、と心の奥底で願っている事は今の武者小路には気づかぬ思いだった。しかし、その平穏な顔を見た中里は悲しそうに首を振って、わめく芦屋の首をつかんだままトボトボと歩いていた。

「面目ない・・・」

 芦屋は中里の口から漏れたその小さな声を聞いてわめくのを止めて、黙って引きずられていった。

 しかし、芦屋はにんまりと笑顔を浮かべるといった

「お前の真意を見た。手伝ってやろう。お前の野望を」

 中里は弱々しくそうかい、と微笑んだ。

 沖田は裏路地に潜り込んで体を丸めた。

 まさかあそこまで強力な人間がいるとは思っていなかった。

 手の甲の筋肉の収縮だけで沖田を吹き飛ばすあの技。

 思い出すだけで悪寒を感じる。

「参号系体術習得者という肩書きはダテではなかったようでござったな」

 沖田のそばにスッと立った男は言った。

 動く度に全身からガチャガチャと金気の音がする。

「奴は既にかなりの齢を重ね、ながきに渡り『あの方』の野望を妨害してきたたった一人の男。奴が人類最強とも言われているそうだ。気をつけよ」

「投擲、と言うのか」

 沖田はその体を抑えたまま立ち上がって言った。

「お前の言葉を撤回させてやる。僕はどこまでも強くなる。強くなって中里すらも凌駕する。それだけだ」 

 沖田は刀の柄を強く握って言った。

「それが刀を持った僕の唯一の野望だ」

 投擲は、そうかい、とまるで嘲笑うかの様に言った。

「ならまずは俺を越えなければならんな」

 沖田は唇を噛み締めた。少なくとも今はそうだ。しかし、いつか。

「貴様すらも越えて見せる」

「そりゃがんばれよ」

 投擲の姿は一瞬で消えた。


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