第四目==鞍馬山
鞍馬山。その山は平安時代から京都の人たちに恐れられてきた。
有名な伝説では、源義経が幼少期にここで修行を積んだという伝説がある。
天狗たちの元で。
そして、その血はなお受け継がれていて、その身を隠しながら生きていた。
中里は芦屋が連れてきた謎の少女を担いでその山道を歩いていた。
「ふぅ・・・、山道って苦手なんだよねぇ・・・」
中里は息を乱していた。
いくら山道が苦手だからと言ってそれだけの理由で息があがっているわけではない。
セレネをここまで連れてくるのにてこずったのだ。
中里が近づくとツクヨミに襲われた武者小路の様な顔をして怖がる。
それを無理やり連れてこようと追いかけまわしたのだ。
そのせいで中里はとてつもなく疲れた。
挙句、中里はセレネの捕獲に失敗した。
「確かにこいつをツクヨミが捕獲するのは不可能だな」
中里は無駄に納得して芦屋に言った。
結局、芦屋がセレネに簡易封印を施した。
簡易封印という名の式符を貼り付けている間の気絶だ。
「できるんだったら最初からしろよな・・・」
中里が息を乱しながら山道を歩き続けていると、正面から何かが飛来した。
「ムッ」
中里は体を右に倒して飛来した物体を避けた。
いつもなら格好良く首を振るだけで避けるのだが、そんなことしてセレネに当たったら一大事だ。
「おい、天狗ども。不安なのは分かるが、俺まで攻撃するな」
中里は殺気を放って大声で叫んだ。
「なんだったら名乗ろうか?この中里さまの美しき名を」
すると、ズササササッと何体もの鴉天狗が中里の目の前に降り立った。
「申し訳ありません。中里さま。若い者が無礼を・・・」
そして、皆地に伏して詫びをし始めた。
「いや、そこまで言われると俺が困るんだけど・・・。そこまで偉くないし」
しかし、この烏天狗たちの長たる大天狗と対等にやりあえる男が偉くないわけがない。
「悪いんだけど早い奴は大天狗に俺が来たって言っておいて」
「承知致しました」
この何体かの長であろう烏天狗が頭を下げると背中の羽を広げて飛び立った。
「そ、それではご案内します」
「おし、頼むぜ」
この辺は視覚情報が丸で役に立たない。天狗の神通力で幻術がかけられているためだ。
中里は若い天狗何体かと歩きながら言った。
「やっぱりお前らも何か感じる者はあるのか?」
若い天狗は黙って頷くだけだったが、その顔には汗が滲んでいた。
「そうか・・・やっぱりお前らもきづくか・・・」
中里は内心まだ闘争の日々は遠いと信じてたかをくくっていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
今この瞬間にも武者小路にツクヨミの魔の手が伸びていると考えるだけで気が気でなかった。
そして、若い天狗たちが立ち止まった。
「今度は上かよ」
中里はブツブツ言いつつもそのまま飛び上がった。
「大天狗、ひっさしぶりだなぁ」
中里は軽く笑って言った。
「お前があの女を引き取ってからぱたりと来なくなってせいせいしていたのだがな」
真っ赤で大きな鼻は口を開く度に大きく揺れる。そして、不愉快そうに口を歪めた。
「そうだったか・・・。俺にとっちゃ昨日の事みたいに思い出せるけどな」
大天狗に随伴する烏天狗たちはやれやれと言った風に周りに座っていた。なぜかは知らないが大天狗と中里は顔を合わす度に嫌味の応酬をしだすのだ。
大体の場合は嫌味だけで終わるが、大天狗の機嫌が悪かったりした日には喧嘩になる。
別に仲が悪いとか反りが合わないというわけではなく、大天狗も中里の頼みは断れないし、中里も大天狗には絶対の信頼を寄せている。
だが。二人が顔を合わせると喧嘩になる。これは真理だった。
他の烏天狗も放っておきたいのだが、二人が本気で喧嘩をしだすと山が吹き飛ぶのでそれを牽制するためにズラリと並んで、この二人の会話に苦笑いして、中里は今日も無茶苦茶言われてるなぁ、と思っている。
今の大天狗は先代が何者かによって殺されたため就任した、大天狗にしては若輩の方だった。大天狗と中里の関係は大天狗が生まれたばかりの頃、世話をしてやったというところから始まっていたのだ。
いわゆる親戚のおばさんが小さい頃の話ばかりして笑いの種になるのを嫌う、と言う奴だ。と言うわけで今日も鞍馬の山は殺伐として人間の歴史から隔絶されて平和なのだ。
「それで、今日は何の用だ」
大天狗は錫杖を手に取るといった。
「この少女、彼女について見て分かることを全て教えてくれ。この、日本の存亡の危機を背負っている」
中里もセレネを連れてくるのだけにはてこずり、最終的には芦屋の助けを借りて彼女を催眠状態に陥らせる事で何とかここまで連れてきた。
大天狗はやれやれと言った風にヒゲをなぞると、中里におぶわれた少女を見つめた。
そして、その目に宿る漆黒の闇を見つめて大天狗はうなった。
「夜を闊歩する・・・でもない。夕闇を舐める、と言ったところか」
大天狗はポツリポツリと言葉を発した。それは単純に独り言をつぶやいて自分の思考を整理しているという感じで、誰かに聞かせていると言う感じではなかった。しかし、中里はその言葉を一つ一つ脳裏に刻んでいった。印象でもいい。その正体に少しでも近づければそれでいいのだ。真っ暗闇の中で見つけた光がたとえ手の届かぬ星の光であったとしても手を伸ばすかのように、全ての手がかりに中里はすがるしかなかった。
何よりも大切な物を守るために。
大天狗は一段と小さな声でブツブツと言うばかりで中里に話しかける気が一向にないようだった。
一方のセレネはというと、大天狗の大きくて黄色い目にその目を覗き込まれて魂が抜けたように呆然としているだけで騒いだり中里の肩をつかむ手に力を入れたりということは一切無かった。ただ、そこに存在しているきりで、なにもせずただ自分を背負う中里に全てを預けていた。
大天狗のブツブツ言う声はピタリと止んだ。
「一言言える。この娘は能力を封じられてる。あまりも強力過ぎるが故にこの少女に封印されている」
中里は頷いた。大天狗に対して一種の敬意を払ったその頷きに大天狗は満足そうに言った。
「そうか。よもやこの様な事にお前が身を晒さなければならなくなったとは・・・」
中里はそうだな、と相槌を打ってから言った。
「もし、もし俺が死ぬような事があったら・・・」
「縁起でもないことを言うなっ」
大天狗は中里に向かって吠えた。
「お前は死ぬために戦っているのかっ。死ぬために歩いているのかッ」
二人の間に緊張が走った。
しばらくの間、まるで時が止まったかの様だった。
そして、先に動きを見せた中里はフッと顔をほころばせた。
「そうだな」
中里は同意の辞を述べながら自分の懐から一枚の書簡を取り出して、大天狗に投げた。
「俺が死んだときにその星の封印が解ける。その時、中を見て、武者小路にこの山の扉を開いてくれ」
「わがままを言うなっ」
大天狗は中里の胸ぐらをつかむと平然と持ち上げた。
「貴様ッ、見栄を張るなっ」
中里は黙って大天狗を見つめていた。
まわりの烏天狗もざわめき出した。
「手を出すな。これはワシとこいつの問題だ」
そして、大天狗は中里を突き放した。
「もう二度と来るな。扉は閉ざす」
中里はトボトボと歩みを進めた。
「やれやれ・・・。わざわざ悪いな」
見送りの烏天狗に中里は苦笑を向けて言った。
「あいつめ、どうやら俺が死ぬとこの山が滅ぶとか思ってるんだろうな」
「それは・・・ないと思います」
トキヨミという女性の烏天狗は言った。
「あの方は、あなたに死んでほしくないと、友達に死んでほしくないと、そう思っていらっしゃるはずです」
中里は立ち止まった。
「あの野郎、俺の事を散々けなしておいて今更そんなこというとは偉くなったもんだぜ」
「私もです」
「へ?」
中里は素っ頓狂な声をあげた。
「あなたに死んでほしくないと思っている人は、人以外もいます。だから、その命。大切にしてください」
中里は鼻を鳴らした。
「一度死んだ俺に、命はないさ」
中里はそういって笑顔を向けるとしゃがんで反動をつけると一気に飛び上がった。
一方の大天狗は去っていく中里の後ろ姿から目を離せなかった。
「何を思う。タカツキ」
老齢の烏天狗が大天狗の元へ寄っていった。
「・・・あの男が実力で死ぬとは思えない。もし死ぬとしたら・・・」
きっと何かを守るために己れを盾にして死ぬのだろう。
「そんなことは許さん。断じてだ」
老齢の烏天狗はそうだろうな、とつぶやいて頷いた。
殺伐としたこの時代の流れは戦国時代の雰囲気とは全く違った物だった。老齢の烏天狗はそれに気づいていた。戦国時代の様に小さき者が大きな者に仕える事で大きくなっていくのとは全く別の、小さき者は小さいままに軍集団を形成していく。それらがやがて大きな事をなしていく。混沌。
外部の圧力によって安寧が乱されたその瞬間に現れる今まで屈服させられていた思いが混沌を蝕んでその瘴気をまき散らす。
「それがこの時代の乱世、という物と言いたそうな顔をしておられるな」
大天狗が老人を見下ろして言った。老人は愉快そうに肩をふるわせてカッカッカッと笑った。
「人間とはおもしろい。全てを掌握した気分に浸りきって、それでもなお手を伸ばす。愚かしいのやらなんやら」
その時、老人は見逃さなかった。大天狗の目に涙が光ったことを。
中里が大天狗との面会をし始めた頃、芦屋は頬を歪めて笑みを浮かべた。
武者小路は身の危険を感じてスッと間合いを広げた。
「よく気づいたな」
笑顔を向けた芦屋の周囲に紙が逆巻き始めた。
武者小路は刀に手をかけた。
すると、芦屋はその武者小路の背後に姿を現した。
「お前・・・裏切りか?」
「いいや?俺はお前の実力を確かめたいだけなのよ。適当に付き合ってくれればそれでいーのよ」
それに、芦屋は武者小路の仲間になった覚えはない。
武者小路は迷った。今ここで芦屋と戦っても自身の敗北は確定している。
「ついでにいっておくと、俺は人間じゃないからその刀抜いてかかってきてもいいぜ」
武者小路は一呼吸置くとそのまま刀の柄に手をかけた。
「抜ければ抜く。それだけだ」
芦屋は満足そうに頷いた。
「いい返事だ」
芦屋は紙の山をバサッと地に叩きつけた。
まずはあそこを叩く必要がある。
あの紙の山は今回の芦屋の攻守両面に置ける起点となるだろう。
武者小路はあえて正面からつっこんでいった。
威圧が通用する相手ではない。
ならば、実際の攻撃で決着をつけるしかない。
芦屋の目の前の紙が一枚飛び上がった。
「邪門壊機・龍影搾刀丸ッ」
抜いた。
不気味な文様の刻まれた帯に包まれた禍々しい鞘から薄青い刃が姿を現した。
「こりゃすげえ・・・」
武者小路は上空の一枚ごと紙の山を真っ二つにした。
そのまま芦屋の元に突っ込む。
芦屋の手が振り下ろされる。
舞い飛ぶ紙片の動きをすべて見る。
その上で一個一個の距離を確かめて斬撃を繰り出す。
間合いは確実に詰めている。
繰り返す斬撃は確実に紙片をより小さい紙切れにしていった。
しかし、その小さくなった紙片すらも芦屋の意のままに操られていた。
小さな紙自体に攻撃能力は無い。
しかし、文字通り紙吹雪となる。そしてそれは武者小路の視界を塞いだ。
武者小路は隙間の無い紙吹雪に包まれて芦屋を完全に見失った。
「やれやれ、さて、気づくかな・・・」
芦屋は煙管を加えると座り込んで言った。
武者小路は必死で刀をふるって紙片を斬っていったが、その小さな紙片を斬っていくことに苛立ちを覚え始めた。
武者小路は息を整えようと後ろへ飛び下がったが、紙片はしつこく武者小路についてきた。
息を無理やり整えようとすると、紙片は口に入ってくる。
武者小路は刀を鞘に収めた。
そして、目を閉じると、ジッとたたずんだ。
芦屋はだんだんと紙片が元いた場所に戻っていくのを見つめていた。
「境界紙片術は敵対者が一定境界を越えた際に発動する術式だ」
そして、武者小路はその殺気を邪紋壊機と共にしまった。
武者小路は紙片が戻ったのを見るとカッと目を見開いた。
「縮地ッ」
「何だとぉッ」
芦屋は顔面を蹴り飛ばされて後ろへ大きくのけぞった。
「俺の・・・負けか・・・」
「そうだ」
芦屋の背後で夾竹桃を揺らして武者小路は言った。
「しっかし・・・、縮地たぁ随分な技を使いやがるぜ」
芦屋は首筋をゴキッと鳴らして言った。
「俺も『本物』を見たのは初めてだ」
縮地とはその字の通り、地を縮めて己れと相手の間合いを一気に詰める術で、天狗の仙術の一つとも言われている。それに類する行為は武術では基本であり、芦屋も何度も見たことはある。しかし、最近では天狗ですら習得する者が少ないと言う秘術を6年以内に習得するというのはなかなか恐ろしい。
「なるほどねぇ・・・」
芦屋は一人で勝手に納得し、いつもの様に宙を見つめながら煙管をくわえた。
武者小路はそれを見つめながら自分も夾竹桃をクイッと上下させた。
それから武者小路が橋の方を見上げると、中里がセレネを抱きかかえて飛び降りてきた。
「やれやれ・・・まったく」
中里は汗をふくようなわざとらしい動きで自分の疲労を表現した。
「天狗の方にも聞いてみたけど、彼女の正体は分からない」
果たしてどういう存在なのか。生きているのか、そうでないのか。
「ただ、一つ言えるのは見た目相応の年齢じゃないってことだってさ」
芦屋はそれくらいの情報じゃ役に立たないじゃねえか、と口を尖らせたが、武者小路は何となくぞっとした。
今まで普通の少女として認識していたが、ものすごい老婆かもしれないのだ。
何となく、紐を引っ張っていたのは幼い興味ではなく、老婆のあからさまな脱衣願望の現れではないだろうか・・・。
武者小路はそう考え始めると身震いが止まらなかった。
「まぁ、記憶もないし、精神年齢は少なくとも人間の見た目と同じらしいけどね」
武者小路の不安を察してか、そうではないのか分からないが中里はそう口にした。
武者小路は内心ホッとため息をついた。
「それと、もう一つ。今日は祇園にいく」
「祇園、いいですねぇ」
芦屋がヌハヌハと笑って言った。
中里はこの話をここでしたことを少し後悔した。