第二目==終結の浪士組
数日後。
「いいよなぁー・・・、この春が近づいてきて空気が緩んでくる感じ・・・」
中里は寝転がって言った。
一条橋のたもとは砂利だが、それすら気にならない。
中里は春の空気を楽しんでいた。
一方の武者小路はセレネと戯れている。
数日しか経っていないのにセレネは武者小路に懐ききっている。
だが、セレネは中里には絶対懐かなかった。
中里が近づくと化け物が来たみたいな顔をして逃げ出すのだ。
そこまで恐ろしい顔をしているわけでもなく、むしろ芦屋の方が化け物じみた顔をしている。
自分は間抜け面だと自覚をしていた中里にとっては少々辛い現実の様で、それ以降あまりセレネに関わろうとしなかった中里であった。
「おい、お前よぉ」
中里は芦屋に見下ろされていった。
「俺が言うほどの事じゃねえが、ずいぶんと緊張感のねえ野郎だなぁ」
中里は起き上がっていった。
「俺は情報が入るまで動かないたちなんだよ。まして、浪士組が来た後じゃね」
芦屋はヘァとマヌケな返答をした。
「清川八郎率いる浪士組が上洛してきたって話は知ってるだろ」
芦屋はボケーッと宙を見つめて空に浮かぶ雲を見つめてつぶやいた。
「あの雲のどこかに・・・天空の城があるんだろうな」
「お前こそ緊張感ないだろ・・・」
中里はフッと肩の力を抜いて振り向いた。一番緊張感が無いのは一番危険が迫っているセレネなのだが、あそこまで幼い少女が怯えっぱなしではとてつもなく申し訳なくなる。
だからかえって武者小路の服から出ている紐を解こうと躍起になっているぐらいがちょうどいい。
「清川八郎っつーのがいてだな。そいつにそこらへんで暇してる若いのを連れてきて警備をさせてたらいいんじゃねーのと言っておいたわけですよ」
中里は自分が言うべきだと判断した事を言うと、芦屋が納得していないような顔をひねっているのを尻目に颯爽と橋の上に上がって消えた。
そして、その日浪士組が総員終結した。
江戸で集められた一行と、先んじて上洛して寝床やその他色々生活の準備をしていた近藤が合流して、ついに浪士組総勢やく200名が終結したのだった。
その中にはのちに新選組の隊士として名を残す、沖田総司や土方歳三、新徴組として名を残す者など、強者や曲者など一筋縄ではいかない者たちがあつまっていた。
この浪士組に参加した人々の多くは士農工商の時代に、どっちつかずの武士とも農民とも言えない人々で、普段の生活は農民として送っているのだが、何かあったときは武士として刀を持つことを許されてきた人々であった。江戸時代200年以上の平和を謳歌した歴史の中、そういった人々はいつの日か、刀を持って戦えることを夢見て剣術の鍛練を怠らない傍らで畑を耕していたので体の頑強さは当時の武士よりもかなり強かったようである。
そのため、皆血気盛んで、それこそ自分の刀一本で世界を変えてやろうなどと意気込んでいたのだから昔の人は勢いが違う。
そして、その浪士組の総員が揃ったその日の夜。
浪士組、取締役員や隊長級の宿舎として使われていた新徳寺のとある一室。
「勇気ある諸君の覚悟に敬意を表する」
清川八郎は主な面々を前にしていった。
「今回、君たちに集まってもらったのは浪士組結成の『本当の理由』と言うものを話そうと思ってのことだ」
近藤、芹沢、鵜殿、根岸、殿内、そうそうたる面々が出揃っている。
「浪士組とは京都守護を司る有志機関であるが、その真髄は幕府、朝廷、開国、鎖国を越えた強大な存在を根源としている」
芹沢が、わけわかんねぇなぁ・・・とブツブツ言う以外は皆誰一人として口を開くこと無く清川の一言一言に集中していた。
それを近藤は咎めるような目で見ていた。芹沢は近藤にあぁん?と凄んだ。
近藤は前を向いて何事も無かったかの様に清川の方を向いた。
この浪士組が上洛する途中、三番組小頭である芹沢に対し、近藤は先遣する庶務の役割を担っていた。
近藤は本隊とは別に先遣して、組員たちの宿をとる仕事をしていたのだが、あろうことか芹沢の宿をとり忘れたのだ。当然芹沢は立腹し、いきなり大篝火を炊き始めたのだ。今で言うキャンプファイアーである。
しかも宿の役人が文句を言いにくれば愛用の鉄扇で殴り倒すときて結局近藤が頭を下げて無理やりことを収めたのだが、芹沢としては自分を無視した近藤が許せるはずもなく、二人の仲は浪士組の活動が本格化するどころか始まる前から最悪状態だった。
「貴兄らは古事記や日本書紀を読んだことはあるだろうか?」
清川の唐突な質問に一同は少し驚いたが、銘々勝手に読んだとか読んでないとか口にした。すると、清川は続けた。
「読んだことがある諸君には分かるだろうが、三貴紳という神の中にツクヨミという者がいるのをしっているだろう」
創世の神、イザナギの左目を洗った際に生まれ落ちたといわれる、月を司る神だ。
「その神がこの日本に降り立った」
清川の真面目な態度に誰一人としてそれが冗談だと異論を唱えなかった。
「そして、この京都にその侵略の魔の手を伸ばしている」
清川の顔には汗が浮かび始めていた。そのただならぬ雰囲気に気圧されて一同に暗い雰囲気が漂った。
「そんで、俺らはそいつを倒せばいいと」
バチンと大きな音をたてて鉄扇を閉じた芹沢は豪快に言った。
「簡単じゃねえか。この人数だ。相手がどれほどの力を持っているかは知らねえが俺らがまとまって取り掛かりゃ造作は無いだろ」
しかし、どれほど芹沢が笑い飛ばして元気づけてもそれに異を唱える者が一人いた。近藤だった。
近藤はそうは簡単に行かないだろうな、と暗くつぶやくと、他に何かありますか、と辺りを見渡して尋ねて、誰も何も反応しないのを確認するとそのまま刀を持って部屋の外へ出て行った。
「なんなんだ、あいつ。浪士組が本格始動開始だっつーのにあんなにしけてて大丈夫なのか?」
それから、胸をボリボリとかくと、芹沢はよっこらせと言って立ち上がった。
「もちろん、俺は誰も見くびっちゃいねえ。用心はするよ。けどな」
芹沢は一同を見渡してから、清川を見下ろして言った。
「なんでツクヨミが日本に来る。エゲレスやメリケンは俺たち以上の化け物みたいな物を作っちまう。敵は、何が目的だ。そして、清川の旦那。あんたは何を知っているんだ」
ポンポンと鉄扇を肩に当てて芹沢は尋ねた。根岸も同様に頷いた。
「我々を用いて日本を守りたいという気持ちは理解し、そうしようとも思う。しかし、今の話はあまりにも唐突過ぎないか」
清川はうなだれて扇子を床に置いて黙っていた。どう説明すればいいのか。それを迷っている風だった。
「拙者が説明させていただきましょう」
謎の頭巾を被った男が入ってくるなり言った。
「誰だ。お前」
「拙者の名は鞍馬天狗。古き時より京の街を守り続けてきた一族の者にござる」
頭巾を被った男は低い声にて言った。
「して、用はなんにござろうか」
清川は怪しむような目をして問うた。
「事の重大さを皆様に理解していただこうと思いまして」
鞍馬天狗はドッカと座ると語り出した。
「ツクヨミが参ったのは本当でございます。というのも、少しここで詫びておかなければなりませんのが、ツクヨミなる名をつけたのは私でございます。星の動きより、月よりの侵略者が参るという告げがありましたので、古事記の月の神なる名を借り、ツクヨミとした次第にございます」
鞍馬天狗は地に伏す形で面をあげて言った。
「して、鞍馬天狗殿はツクヨミをどのようになされたいのか、答えられよ」
鞍馬天狗は少しうつむいてブツブツ呟いてから顔をあげて答えた。
「浪士組の方々には本来の目的、京の治安維持を行っていただければいいのでござります。既にツクヨミの支配下にある人間が行動を開始しております。それらの駆逐を主な目的としていただければよろしいかと」
それでは、と言って鞍馬天狗はその場をさった。
「おい・・・、清川のだんな。ありゃだれだったんだ?」
清川は何も言わず、解散を告げた。
芹沢はその時、ある人物の顔があの頭巾の中に浮かんだ。
「そりゃいくら何でもねえか・・・」
鉄扇で首筋をバシバシ叩きながら、芹沢も出て行った。
「清川」
浪士組の取締役である鵜殿は今回の唐突な話を聞いた衝撃で少なからず顔色がよくない。
「なにか用か?」
清川は振り向いて鵜殿の顔を見た。そして、鵜殿が参っている事に気づいた。
「あの件、本当に信じておられるのか?」
清川は頷いた。しかし、頷いてから少し後悔した。これ以上衝撃的な事を言って鵜殿を傷つけてもしょうがないと思ったからだ。しかし、鵜殿はその根拠たる何かを求めている顔をしていた。
「この世界には人知を越えた存在がいる。それはツクヨミ、そしてこの機関を設立しろとこの私に迫ってきた男だ」
唐突に語り出した清川はフッとため息をついていった。
「その男は私に言ったのだよ。『日本を救え。何かを壊せ』とね・・・」
未だにその意味は分からない。
「君はどういう意味だと思うかい?何かを壊すということは」
鵜殿は少し考えてからぽつりと言った。
「家を壊さずして新しき家は建てられぬ、と申すように何かをするには何かを壊さねばならぬということでしょうかねぇ・・・」
鵜殿はそれ以上の事は思いつきませぬなぁ、と言って清川に告げた。
「どちらにしても、この鵜殿鳩翁、浪士組取締役であります故に、できる限りのことはお伝えいただけるとありがたきと思います」
鵜殿はそういうと、刀をつかんで部屋から出て行った。
近藤は寺から出ると、その壁にもたれている男に目配せをすると歩き出した。
壁に寄りかかっていた土方はヌッと立ち上がるとフラリフラリとその長い裾を揺らしながらブツブツと独り言の様にしか聞こえない近藤の言葉を聞いていた。
「そうですか・・・」
土方は近藤からの話を聞いて小さく頷いた。
「この件については私にお任せください。まさか、清川がそこまで知っているとは知らなかったので手を打つのが遅れましたが、邪魔者は消し、我々が実権を掌握するように取り計らいますよ」
土方はそのままヌッと足を早めると、近藤と別れた。
「沖田」
土方が呼びかけると家の影から沖田総司が物陰から姿を現した。
「話は大体聞いていました」
土方は頷いた。
「清川の話を伝える際に、真の目的を攘夷だけにしておけ」
沖田は黙って頷いた。すると、土方は立ち止まって空を仰いだ。
「土方さんはどうするんですか?」
土方は視線を下ろしてからゆっくりと頬を釣り上げると笑みを浮かべて言った。
「少しある人物に会ってこようと思っている」
沖田は了解しました、お話が終わるまで八木家にて待機しています、と告げてそのまま去っていった。
そして、土方は飛び上がると、屋根と屋根の上を疾走した。
目的の屋根の上にはいつもの様に右上の欠けたドクロの面をつけた男が風にその顔に巻かれた包帯を靡かせていた。
土方はその男の足元で跪いて近藤と同じようにブツブツつぶやいた。
「ふん、いちいち律儀だな」
幻影はため息をもらした。土方はフフッと不敵な笑みを漏らして言った。
「我々を舐めているのか」
「いえ、こちらの動きを事細かに連絡しておいた方が何かと後々便利ですので」
土方が謙って言うと、幻影は仮面を抑えて笑い声をあげた。
「それは、事を起こす際には必ず連絡をすると思い込ませておけば、秘密裏に動く際に便利だということか?」
土方は一瞬顔を歪めたが、そんなことはございませんよ、と顔を戻して言った。
「我々を誰だと思っている。土方歳三。貴様等の様に才能だけ僅かにある連中と同じにするな。壮絶な訓練を積んだ貴様等の完全上位戦闘集団
『お庭番衆』
だぞ」
八代将軍、徳川吉宗から続く将軍直轄戦闘集団。将軍の直命によりてその行動をなす最強の集団。
「存じ上げております。しかし、その名を出したがるとは幻影どのはいささか慢心が過ぎる様に見受けられるのですが・・・」
土方はねっとりと文句を言った。しかし、幻影はそれを意に介することなく平然と言った。
「我々はその肩書きを失えばただの乱暴者と変わらない。それを己れの心に刻みつけておく上で、我々はこの名を度々口にするだけだ。貴様等も心得ておけ。想いなくしてふるわれる刀に意味はなく、斬った命は何かのために酬われなければならない。無意味な殺生は慎め」
土方はうまく丸め込んできやがったな、と思いつつ、肝に命じて置きます、と告げてその場から去った。
「玄武の将、貴様の力は破壊ぞ」
幻影は言った。
土方の能力は完全なる鉄壁を発動できる力。
にもかかわらず幻影は破壊と口にした。
背後に一人の女性が現れた。
足は地についていない。どこかからぶら下げられたかの様に足もだらりと下がっている。
「ほほう、空の参上か・・・」
幻影は笑って言った。
どこかこの無機質な女性との会話は幻影にとってこの殺伐とした仕事を忘れられる数少ない時間だ。
「して、何の用であろうか」
「あなたの言う破壊の意味が分かりません。故に質問をしようとおもったのです」
抑揚のない平坦な声。不気味ささえ感じさせる。
しかし、幻影は再びため息まじりの笑い声をおとなしくあげた。
「何が分からなかったのだ」
「力はその大きさによってのみ評価されます。それ以外の評価項目は存在しません。あなたの先ほどの発言は他の評価項目の存在を示唆します。よって、矛盾しているということを提示させていただきます」
幻影は事実認識を常に問うてくる空の質問を楽しんでいた。
「思いとは決して力を評価する評価指標ではない。しかし、その力を振るう者を評価する場合に用いることが多いな。この場合、力の使用者と力その物を同一視したような発言に、お前にとっては見えるかもしれないな」
空はボソリと矛盾を解消しました、とつぶやいた。幻影はそれを満足げに見つめていた。
「もし、お前が自由に行動を出きるようになれば、その世界の理を見極めることができるやもしれんな」
「それは不可能です。ツクヨミさまに使役されるのがこの命の意味。使役されない奴隷に生きる価値は無いのです」
幻影はそれ以上何も言わなかった。何も言わず、二度と素顔で感じることのない風を受けようと、まるで星を掴もうとする子供の様な、雰囲気でそこに立ち、風を受けていた。
この京都で、一年を越える壮絶な戦いが始まる。
より長い幕末の激動に翻弄されるように駆け回る人々を嘲笑うのかの様に月から侵略してきたツクヨミ。
大半の事実は史実に記されている。しかし、その裏で複雑に絡み合う私利私欲とそれを暴走させられた人々の思惑は誰も知らない。
絡み合う欲望の、誰かを思う純粋な想いの、行き場を失った情熱の、ただ勝利を渇望する、それら全ての物語。
それはたった一瞬の儚き夢。それはたった一瞬の儚き快楽。
それは月下美人の理。
幻影は夜闇に包まれた空と、月下美人を見つめて、この物語の結末が儚く散っていく、一晩の夢にしか過ぎないのだと、そう思ってその傷と罪だらけの体に風を受けた。
そして、自分すらもその一枚の花弁として散ってしまうのだと、幻影は自覚していた。
自分の背後の女性も。