第十目==文久の乱・其之二
中里は歩きながら目の前に出てきた集団を見つめておもしろそうな顔をした。
「おっと、沖田じゃねえか。何の用だ」
その瞬間、既に中里の攻撃は始まっていた。
沖田の手が刀にかかったその瞬間。永倉の斬撃が中里の肩をかすめた。
「目的を取り違えるなよ、沖田。今回は何でか知らないがこいつの右腕だ」
中里はそのまま集団の後ろでニヤリと笑みを浮かべた。
「やるじゃねえか・・・」
沖田は永倉の指摘に、分かっている、と苛立たしそうにいった。
「お前たちであいつに襲いかかれば確実に死ぬぞ」
永倉はヘイヘイと面倒くさそうにいった。
「そんじゃ俺らは包囲網ってわけですか」
沖田は油断無く構えてゆっくりと歩き出した。
「ここで決着をつけたいが、お預けだ。しかも、貴様から右腕を奪えという命だ」
沖田はそんなことをして戦力が下がった中里を倒しても何もうれしくないのだが、土方はその方がいいと沖田の要求を通してはくれなかった。
中里が腰を落とした。
沖田も腰を落とす。
二人が同時に動き出した。
「爆煙・黒ッ」
爆煙が中里の視界を遮った。
しかし、中里は煙をも斬る沖田の斬撃をのけぞって避ける。
そして、そのまま回転して沖田の手に蹴りを放つ。
沖田の手から刀が吹き飛ぶと同時に中里は間合いを広げた。
「今のは・・・」
「誰が僕の戦いを手伝えといったッ」
「そう立腹なさらないでよ。今回は中里を殺すのが目的じゃないんだからね」
漆喰の白壁の上でニコニコと笑顔を振りまきながら言った女性は沖田と中里の間に割って入った。
「私はお庭番衆、紅蓮。よろしくね」
中里はこちらこそよろしくお願いしよう、と言ってお辞儀をした。
「あらあら、礼儀正しい男は好きなのよね」
「紅蓮ッ」
沖田の苛立ちが最高潮になっていることが声から分かる。
「はいはい・・・」
紅蓮は少し下がった。
「俺を屠るとは・・・。ずいぶんな言い草だな」
中里の言葉が終わらぬ内に沖田の斬撃が走る。
中里は右腕で斬撃を受け止める。
続く沖田の蹴り。
中里は沖田の胸元に飛び込む。
沖田の鎖帷子を貫通するような打撃が胸に加えられた。
「チッ・・・」
中里はそのまま間合いを広げた。
沖田はよろめいた。
中里からは殺気は感じられない。
拳を入れる場所は的確なのだろう。胸が痛み、息を大きく吸い込めない。
「まぁその状態なのは長くはないけど、戦うには少し無理があると思うね」
その瞬間、沖田の背後から一人の影が飛び出した。
中里はその影に突進した。
「がむ・・・し・・・ん、・・・・よせ」
沖田の切れ切れの声が永倉のあだ名を呼んだ。
中里の蹴りが永倉の右腕を狙って飛ぶ。
永倉は右手に持った刀を左手に持ち替えて斬撃を放つ。
同時に二人の攻撃は相手に直撃した。
その時、中里は背後に殺気を感じた。
紅蓮が腕を交差させる。
その指先から中里めがけて何かが発射される。
中里が後ろに気をとられている。
永倉はそのすきに中里の顔面めがけて拳を放つ。
中里は後ろに飛びのいて間合いを広げる。
そしてそのまま回転をするとに襲いかかった。
「白牙虎・土楼立壁ッ」
中里の拳はそそり立つ地の壁に直撃した。
「なんだこれ・・・」
「わざわざ来たのか・・・」
永倉の視線の先にいた一人の男。近藤勇。
「助力はこれだけだ」
近藤はそういうとそのまま去った。
「お前の負けだ。中里」
去りゆく近藤の言葉が終わった瞬間。
「爆布爆殺術・切爆布ッ」
中里の右腕から爆音がして、吹き飛んだ。
「ぬぁ・・・はっ・・・」
中里の右腕は六年前から中里唯一の弱点だった。
中里は痛みに顔を歪めながらもゆっくりと立ち上がると、人差し指と中指を立てて眉間に当てた。
「まだまだ・・・、お前ら程度なら突破はァッ・・・、できる・・・」
しかし、右腕から出る血液の量は異常だった。ボチャボチャと丸で血液が塊の様に出てくるのだ。
「バケモノかよ・・・あいつは」
原田は槍を担いで言った。
「普通の人間が手の内の筋肉だけで僕を吹き飛ばせると思っているのか?」
沖田は刀を収めた。
「はいはい、そうですね」
原田は沖田が未だに人間に負けるということに認めようとしていないのに飽きれながらも同意した。
「何をした」
永倉が刀を腰に戻しながら言った。
「縛布爆殺術の一つ、切爆布。火薬を仕込んだ布を腕にまきつけて起爆させる。それだけのこと」
中里はニヤリと笑った。しかし、顔面には汗が吹き出し、この状況をどう打破するのか必死に考えていた。
「しかし・・・、あいつどっちかというと爆発物より紐使って戦って方が強いんじゃねえの?」
原田が呆然と言っているのに、沖田は内心同意していた。
しかし、それもある意味戦術だととらえられなくもない。派手な服装から、爆発物を使った派手な戦闘を好と思わせておき、実際には蜘蛛の巣のように緻密に張り巡らした計略の中で戦うことを好む。
中里ですら見きれなかったという些細な事実を沖田は見逃していなかった。
永倉は中里の右腕を拾い上げて走り去った。
「が・・・はぁ・・・」
中里は何とか姿勢を保たせていたが、やはりフラフラしていて安定していない。こんな状態では戦うこともままならない。しかも、周囲は浪士組に包囲されている。
「くっそ・・・いよいよまずいか・・・」
「ねぇ・・・、大丈夫かなぁ・・・」
セレネが武者小路の袖を引っ張っていうが、そんなこと知りたいのは自分だって同じだ。
今の自分には余裕が無い。そんなこと分かっていた。
しかし、いま必死な顔で自分の足に抱きつく少女を守りたい。そのためになら。
武者小路は心のどこかでそう思えた。
京の裏道。千鳥足で歩く芹沢とそれを不安そうに見つめる平山はよき盟友同士であるにもかかわらず、その二人の間には精神的に大きな溝が存在していた。
「光幹の旦那よ、何してんだ」
光幹とは芹沢の諱だ。
「いっつもどーりだぁ。一杯引っ掛けてきてんだぁヨォ」
平山は例のごとく頭を抱えた。
「あんた、いつもの事ながら酒ばっかり飲んでるってのは感心しないぜ?」
しかし、芹沢は既に酔っている。
「酔っ払いに常人の論理は通用しないぜ」
平山のどこかでそんな声が聞こえた。
平山は諦めの顔をして首を振ると、フラフラ千鳥足で歩き回る芹沢との距離が広がっている事に何とも言えない喜びを噛み締めていた。なぜ盟友から離れていくのが喜びなのか。酔っ払いだからだ。
しかし、突如芹沢の目つきが変わった。芹沢は一気に平山との間合いをつめると、平山の口を塞ぐと、道の角に身をひそめた。
「ムゴムゴムゴ・・・・」
芹沢の大きな手に覆われては息もできない。
「黙ってろ・・・」
芹沢は低く抑えた声で言った。
そして、目の前をドクロの面をつけた何者かが誰かの口を抑えて上がっていくのが見えた。
「今のは誰だ・・・」
芹沢の手から開放された平山が息を整えながら言った。
芹沢は鬚をこすりながら腕組みをして考えた。
「どっかで見た顔だったよなぁ・・・」
しかし、平山には口を抑えられて拉致されそうになっていく者の顔に見覚えは無かった。
「浪士組の・・・誰だ・・・」
200人以上いる浪士組の隊士を全員知っているはずもないが、なぜ覚えているのかが分からない。
「そうだ・・・中沢にひっついてきた奴だった・・・」
「中沢なら確か殿内と一緒に組まされてたのだけは見たなぁ・・・」
平山が呆然と言ったが、芹沢は別の事を考えていた。
そして、芹沢は角から飛び出すと仮面の男の背後で叫んだ。
「おい、お前は何者だ」
仮面の男はゆっくりと振り向いた。
「ねぇ・・・、お姉ちゃん。どうしよう・・・」
武者小路は背後に感じる集団の気配にセレネが不安を感じていることには気づいていた。しかし、向こうはこちらを牽制する一方で何の動きもない。背後からついてくる連中の間合いはかなり遠いし、気配もわざと分かるようにしている。こちらから仕掛ければすぐに散っていくだろうが、それと同じ早さですぐに終結するのだろう。
一番厄介な相手だ。何が目的なのかも分からない。将軍すらもツクヨミが抱き込んだとは思えない。
しかし、その疑いも晴らせない。晴らすことのできる決定的確証は無いのに、それを浮き上がらせる根拠はあるのだ。お庭番衆は将軍の直命によってのみ動くとされている。それが今動いているということは・・・。
「お姉ちゃん・・・」
セレネが不安そうに武者小路の手を引っ張った。武者小路はいつの間にか思考に没頭して足を止めていたのだ。
武者小路は一条橋に戻る分けにもいかず、そのまま前進するしか無かった。
どうしていつもいつもこの連中はこんな手を使うのだ・・・。と思う共に、ずいぶん下りたな、と武者小路は思った。丸太町通りまで来てしまった。
そして、武者小路はある気配を感じた。
それは、初め武者小路には何の気配なのか分からなかった。
しかし、カタカタと震え出す邪紋壊機と、擦り寄ってくるセレネがその不穏な気配の根源を武者小路に嫌というほど語りかけてきた。
芹沢は仮面の男と対峙した瞬間、自分の体を恐怖が貫いたことに気づいた。
「くっそ、俺らしくもねえ・・・」
芹沢は腰の水筒から酒を煽ると、懐の扇子を抜いた。
「答えろよ。なんで女を連れてんだ」
芹沢は完全に戦闘態勢だった。
平山はやれやれとため息をつきながら刀を抜いて角から出てきた。
「我ら不定浪士を取り締まる浪士組、貴様容赦せんぞ」
芹沢の鉄扇がジャラッと音を立てて開いた。
髑髏の仮面の男、幻影はゆっくりと振り返った。
「散れ。雑魚」
その瞬間、幻影は女性を抱えたままスッと動き出した。
「右かっ」
平山の右目は見えない。必然的に死角になる。しかも芹沢は平山の左側にいるので、平山のせいで右側が同じく死角になる。
幻影の蹴りを何とか受け止める平山。
その背後から芹沢が飛び出して一撃を振り下ろす。
しかし、幻影はスッと後ろに退く。
「女一人を抱えてるにゃ早すぎんじゃねーの?」
平山はブツブツ言った。それ以上に戦いなれている相手に戦慄した。
相手は一回ほぼ背後に回り込んだ。その上で戻って平山の真右に戻ってきているのだ。
その角度なら芹沢も勢いが鈍る。
平山は後ろに下がった。
「旦那、俺は少し引いてるぜ」
「意気地の無い野郎だなぁ」
芹沢は腰の水筒をさらにもう一個空にした。
芹沢はその瞬間、見た。
相手の右腕は仮面の歯と歯の隙間から出ている細い糸で吊られていることを。
芹沢は扇子を閉じて構える。
幻影が動き出す一瞬前に芹沢の顔面が仮面に迫っている。
芹沢の背後から鉄扇が開かれて斬撃を放つ。
幻影は体をそらせて避ける。
そった勢いで背後に飛びのく。
と同時に蹴りを放つ。
芹沢はその間、左腕に斬撃を放つ。
しかし、蹴りは顎に炸裂する。
芹沢の体が空中高くに放り上げられた。
「弱い。その程度で我は倒せん」
幻影はそのまま女性を拘束したまま去っていった。
「ちっきしょ・・・」
顎の蹴りは自分の体が浮くほど強力ではあったが、ツボを的確に抑えていたため、力自体は入っていなかった。
「旦那、しっかりしろ」
しかし、芹沢の意識は酒の勢いもあってどんどんと遠のいていった。
そして、もう一人意識が遠のいている男がいた。
「くそ・・・畜生・・・」
中里は右肩を抑えてうなった。
「あの傷でまだ立てる奴がいるとはなぁ・・・」
原田が槍を構えた。
「おい、中里。その傷じゃ無理だ」
紙がバサバサと降ってくると同時に芦屋の不敵な声が響いた。
「大体、この人数お前が相手ってのが無理があんだよ」
積もりだした紙の山はだんだんと人間の形を作っていった。
「あ、妖しかっ」
「おいおい、大層な言い方じゃねえか。俺は単なる陰陽師だ」
そして、芦屋は式符をバッと目の前に突き出した。
「芦屋鬼十郎。京都でケチな陰陽師をやってる。怨霊妖、困ったときはすぐに呼びませうってな」
中里は頬をピクピクと引きつらせた。痛みだからではない。
芦屋は立ち上がると言った。
「おらおら、中里。お前はさっさと逃げろ」
中里はすまん、と言って右肩を抑えると飛んでいった。
「んで?俺様と戦おうっていう勇者はだれだい?」
すると、一人の男がつかつかと歩み寄ってきた。
「勇者?ふざけるな。僕はお前みたいなバカが嫌いなんだよ」
そして、芦屋の首筋を貫いた。
「何の事はない。ここまで弱いとは思わなかったぞ」
そして刀を引き抜いてから、血糊を落とすために振ろうとして沖田はその手を止めた。
血が、まだまるで振っていないのに血がついていない。確かに芦屋の首を貫いた。にもかかわらず血がついていない。
「後だっ」
沖田が振り返ると同時に、原田の槍が空中から襲いかかってきた芦屋の胸を貫いた。
しかし、原田は手応えを感じなかった。空中に槍でさされて吊るし上げられている芦屋の体の重さを感じないのだ。
「バケモノめ・・・」
「その通りだよ」
芦屋はガッと顔をあげると、笑顔を浮かべた。
「俺はいかにもバケモノだ。正真正銘のな」
そして、芦屋の体はどんどん紙片に散っていった。
「あいつは・・・」
「原田」
沖田は闇を見つめて呆然としていた。しかし、原田には分かっていた。
沖田は今芦屋に対する壮絶な執念を感じていると。
「僕は残る。君たちはどっかにいけ」
原田は槍をクルッと背中で回すとへいへい、と笑顔で言った。
「そんな言い方じゃ、友達が減るぞ。もっと、格好良く、『ここは僕一人で充分だ』とか『死ぬのは僕一人でいい』とか言わないのか?」
沖田は原田を睨みつけると言った。
「友達に魅力は感じないね」
原田はそーですかー、と言うとまわりの連中に移動を指示した。
「それに、僕は死ぬ気なんてない。ここで、この程度で死ぬ僕じゃないことぐらい、分かっているだろう」
原田はその過剰なまでの自信に呆れ顔をした。
しかし、すぐに振り向いた。
「さっさといくぞ。あのバケモノ退治は沖田がやってくれるそうだからな」
原田は不安そうに振り返りながら言った。
沖田が死ぬとは思えない。
しかし、だからと言って芦屋が死ぬとは原田には思えなかった。
それほどにまで禍々しい雰囲気を、芦屋から感じた。
「死ぬなよ。まだまだ、日本は俺らを必要としているはずだ」
芦屋の紙刀が沖田の刀を受け止めた。
「ひゃっはー、俺の術で硬化した紙はもはやお前の刀では斬れねえぞ」
沖田は周囲を見渡すも、水らしい水はどこにも存在しない。
確かに芦屋の紙は固い。
下手をすればこちらの刀の歯がこぼれるかもしれない。
刀を合わせることは極力さけて刀を操らねばならない。
相手は一方的な棒線を続けている。
しかし、その動きには余裕がにじみ出ている。
沖田はだんだんと焦りを感じた。
芦屋からは殺意を感じないというのは真面目にやっていないということだ。
「おいおいおいおいおいおい、それで本気かよ」
沖田は芦屋の顔に飽きを感じていた。それは芦屋の顔に飽きの表情が現れているということだった。
このままいけばつまらない男だとして殺されるのは必至だ。
紅蓮は見ているきりで動く気配が無い。
もし動くとしたら、は中里の血痕を追い求めるためだろう。
刀をふるっているのにやけに冷静に分析できる。
沖田は地を蹴って後ろに下がったときに自分の顔から何かが離れていくのを見た。
「そうか・・・」
沖田は自分の顔を刀で撫でた。
ほてった顔に刀の冷たさが気持ちいい。
そして、沖田は突進した。
「無駄だろぉ?」
芦屋が紙刀で防ぐ。
その瞬間、沖田の顔に歓喜が宿った。
「青門龍刀ッ」
沖田の刀は紙刀をへし折って、芦屋の顔に一撃を入れた。
「なぜだ・・・」
芦屋は自分の額の傷を抑えていった。
自分の手にヌットリとついた血を信じられないという風に見つめる芦屋の顔が沖田の狂喜を呼び覚ました。
「そういうことか・・・」
芦屋は迫ってきた沖田を見ていった。
沖田の顔中に滲む汗。それも水。
その水をもってすれば紙刀を砕ける。
芦屋が理解した瞬間。
沖田の刀が芦屋の腕を斬った。
芦屋は苦痛に顔を歪めた。
「て、くっそ・・・」
沖田は斬撃の手を一切休めない。
「奥義ッ・三段突きッ」
一瞬にして三回の突きを繰り出す沖田の奥義が炸裂した。
「ば・・・か・・・な・・・」
芦屋は全身を貫かれてそのままばたりと倒れた。
「爆殺ッ」
紅蓮は笑みを浮かべた。
「奴の全身を爆破した。お前の不完全な殺しで復活でもされると困るからな」
沖田はどうしてお庭番衆はいつもいつもこういう連中なのだ、と思いながらも刀をしまった。
実際これ以上交戦を続けていれば確実に敗北していだろう。しかも情けをかけられて生き恥をさらすハメになっていただろう。
敗北の屈辱を味わうよりは、こうして他人に手を出された方がまだマシだったと沖田は自分に言い聞かせると、その場を去って原田が去ったであろう方向にゆらゆらと体を揺らしながら歩いていった。
武者小路は刀を押し込めると、セレネを背負った。
「いくぞ」
武者小路は疾走した。
そして、その気配の根源に向かって拳を放った。
「蛇鉄甲壁ッ」
武者小路の拳が防がれた。
「我が能力はいかなる鉾をも防ぐ鉄壁の防御」
スッと立ち上がった人間はあまりにも大きかった。
「お前に会いたがっている方がいらしている」
刀の冷たさを思わせる様な抑揚の無い声に武者小路は身の毛もよだつ思いをしていたが、それ以上にセレネは恐怖を感じていた。
「お久しぶりですねぇ。武者小路凪さん」
「お前は・・・」
ツクヨミ。その立ち昇る独特の雰囲気は間違えることなど無い。今まで土方の気配に気圧されて消えていたが、いや正確にいえば、消していたのだろうが、その邪悪な気配が再び蛇紋壊機とセレネを通じて武者小路にその現実をありありと語りかけてきた。
「貴様さえいなければ・・・」
武者小路の全身がふるえ始めた。視界も揺らぎ、手でしっかりと握っているはずの刀の柄の感覚すら危うい。
「人の体は恐怖に満たされたとき、何よりもよい表情をする」
ツクヨミは武者小路の周囲をゆったりと、日曜日に公園の池のまわりを散歩する老人の様にゆったりと歩いていた。
「頼みの綱の中里もいない。芦屋も手一杯。守るべき人間は二人。いくらあなたでも無理が無いですか?」
邪門壊機が飛び出した。
「ふざけるなぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ツクヨミは振り下ろされた一撃を軽く避けた。
「おっと、卑怯な手ですね。不意打ちとは。私はお話をするつもりでここにきたのですよ」
土方が動こうとする素振りを見せたが、ツクヨミは手で制した。
「ダメだ。美しくなった故人との会話を楽しみに来たんだ。邪魔をしないでくれ」
「ほざけぇっ、貴様に、貴様にだけは言われたくないわっ」
セレネは恐怖で身を縮めていた。それはツクヨミが恐ろしかったからではない。
まったく別の物が恐ろしかったからだ。
怒りに暴走した武者小路が恐ろしかったからだ。
「貴様っ、貴様っ、貴様ぁああああああああああああああああああああああああああああああああ」
激しい斬撃だが、軌道は簡単に読め、避けることもたやすい。
怒りに任せ、ただ本能に飲まれた武者小路の目はだんだんと狂気の赤に染まっていった。
「手を引け、武者小路」
幻影の低い声が武者小路の背後でした。
武者小路は刀を抜いたまま振り返って歯ぎしりをした。
「申し訳・・・ありません・・・お姉様・・・」
琴が幻影にとらえられている。
「何の真似だ・・・」
武者小路の怒りは邪念と呼べるほどの物に染まっている。
「話をしたいとツクヨミさまがおっしゃればそれを遂行するのが我々の目的。それだけだ」
武者小路はツクヨミを振り返った。
「貴様・・・、何が目的だ・・・」
「『欠片』の撃破。そして、世界への干渉。存在自体を安定化せんとする存在を放置しておけば我々にとっても甚大なる影響が出る。その前に、その前に奴を撃破することだ」
武者小路にはツクヨミが言っている意味が丸で分からなかった。
刹那。
幻影に動きがあった。
「貴様は・・・」
幻影の背後から刀が振り下ろされた。
幻影は琴をつかんだまま飛びのいた。
「拙者の妹に手を出すとは・・・、貴様等何者だ」
「中沢良之介・・・」
土方がうなった。
「武者小路、こやつらは・・・」
中沢はゆっくりと歩みを進めて問うた。
「あたしが戦い続けてきた相手だ。生きるためだけにな」
武者小路は刀をチャッと振った。
「そうか。土方歳三・・・、貴様までも悪魔に魂を売ったか」
武者小路は刀を構えたままだが、いささか不安を感じていた。土方程度なら斬れる。しかし、そこから先が続かない。
「やれやれ・・・いつまでも・・・、世話の焼ける、連中だ・・・」
中里が壁に右肩を寄せてズルズルと歩きながら言った。見れば、壁にはヌットリと血痕が続いていた。
「ツクヨミ。何のためにここまで大規模に事を起こした。俺と武者小路を分断して話をさせるだけならもっと簡単な方法はいくらでもッ・・・」
中里は右肩を抑えて地に膝をつけた。さすがに右肩を根元から引きちぎられて平然としてはいられない。
「ツクヨミ・・・、何だ。この騒ぎは・・・」
中里は必死に意識を保っているが、既に目の前がクラクラしてきた。今戦ったとしても、誰一人も倒せぬどころか、誰一人も守れないだろう。
「中里殿っ」
中沢が声をかけてくれるが、その声は中里に届かなかった。
「武者小路・・・諦めんな・・・よ・・・」
中里はグシャリと倒れた。
「意識は無いが生きている」
中沢の判断は早かった。
「君に、日本を守れるかい?」
ツクヨミの嘲笑が武者小路の脳裏にこびりつき、離れることは無かった。
「中里・・・私は・・・守れるのか・・・」
「頑張れや・・・。俺はそのためになら・・・もう五、六本腕を・・・くれてやってもいいぞ・・・」




