第九目==文久の乱・其之一
「殿、入ります」
武士は地に伏せて言った。
「入れ」
武士はそのまま慎重に歩みをすすめ、敷居をまたぐと、また伏した。
「何の用だ」
松平容保。現京都守護職を務める会津藩主だ。その端正な顔つきは真面目な性格をよく表していた
「最近上洛をして参りました浪士組についてですが・・・」
容保は筆を止めた。
「あくまで噂、ということなのですが・・・」
と前置きされた話の概要は清川が浪士組の新の目的は攘夷であるということを語ったらしい、ということだった。
「本来は京都守護職であらせられる殿の管轄に入るのですが、幕府はそこまで手をかける必要もないと判断した様で・・・」
容保は筆を置くと、ブツブツと呟いてから武士の方を向いた。
「その件については既にこちらで手を打ってある」
「へ?」
武士は思わず素っ頓狂な声をあげた。
「既にその件についての江戸への報告は済んでおり、江戸の意志も固まっている」
その決定の内容というのは、将軍家茂の上洛まで浪士組はそのままにしておき、将軍直轄という形で動きを非常に制限する。
それから、江戸へ戻し、その道中で京都へ向かう浪士を取り締まらせる。
そうすることで幕府への忠誠心を試す。もし道中で歯向かうようなことがあれば殲滅する。
「これらが現在下されている幕府の決定事項だ。そして、今日の夜、極秘裏に京の街の不逞浪士を一掃する作戦を実行すると言っている」
提案者は容保の部下だが、実際には近藤がそれを吹き込んだ。
武士はハハァッと言って深々と伏せた。そして、武士はそのままこそこそと逃げ出そうとした。
知らないだろう事を話そうとしていたのを挫かれ、少し気まずかったのだ。
「それと、もう一つ、興味深い噂をきいていてな」
容保はおもむろに言った。
「清川がツクヨミなる外敵の存在を喚いているというものだ」
武士は内心、戯言をいい始めたな、と思いつつも上司の言葉にケチをつける分けにもいかず、そのまま容保の話を聞いていた。
「この件についても既に手が打ってあってな」
容保は少々得意そうに言った。
「とある機関に調査を依頼した」
容保は慎重な口調で言った。武士は内心、それだけかい、と思いつつも沸いて出た疑問を投げかけた。
「とある機関と申しますのは・・・」
「八台将軍、吉宗さまより徳川将軍直轄の軍集団。将軍の直命によってのみ動く忍び」
日本における単体戦闘能力最強の集団。
「お庭番衆だ」
同日同刻同国。
「既にお庭番衆、2名各々の位置についたという報告を受けました」
土方は簡単に幻影に言った。
「既に中里の周囲は取り囲まれている。現在浪士組の可動員は総員集結させてございます」
土方は薄笑いを浮かべて言った。
お庭番衆、幻影は風を受けながらその報告をきいていた。
「とはいっても、彼らではあの男の足止め程度にしかなりませんが」
土方にもそれくらいは分かる。中里の戦闘能力が浪士組のそれを越えているということを。遥かに凌駕しているということを。
何よりも、中里はそれ単体でツクヨミに匹敵する能力を有していることを。
「可能な限りありとあらゆる人間及び非人間との交戦を避けよ。武者小路に関しても、追跡、攻撃を加えてきた場合の反撃を除いた全行動を禁止する」
土方は不服そうに眉をひそめた。
幻影はぽつりとつぶやいた。
「本作戦、拙者の事を考えてツクヨミ様が行ったということは承知している。しかし、小生はこの様な手はあまり好まぬ」
そして、幻影はその場からスッと消えた。
同じ考えを持っている者はいたようで、近藤も同じように考えていた。
「今回の作戦、賢しすぎるなぁ・・・」
頭をボリボリとかきながら近藤は言った。
自分は畳の上で腕を組み、何事があったのかというのを問うてくる連中を適当にあしらって、大したことはない、と追っ払うのだけの簡単な仕事だ。
何となくこの計画に加担するのは気が進まない。
「まぁ、しょうがないかぁ・・・」
近藤は壁際に立った男に目配せをして呟いた。
「既に行動は開始した。一条橋付近に無音爆薬を設置してある。連絡は来ていないが、残りの連中のあぶり出しはすぐに終わるさ」
「了解した」
男はつぶやくように言った。
「それにしても、あんたが賢しすぎると口にするのは、自分が賢しいとおもったことはないのか?」
男は冷やかに言った。
「そんな風につけあがったりはしないさ」
近藤はさらに冷やかに言い返した。
しかし、男は近藤はどう見積もっても賢しいと思っていた。
一条橋のたもとで、武者小路はジッと空を見つめていた。
琴は気づいた。その目が、今までと同じようにただ虚無を見つめているのではなく、自分の視線の届かないどこか遠方の何かを見つめているのだと。
芦屋はニヤニヤとして武者小路を見つめる琴を見下ろした。
武者小路の動きは早かった。
次の瞬間、武者小路は前に突き出していた手を後ろでぶらぶらと振っていた。
「流し技か・・・」
武者小路の背後の岩にめり込んだ黒い弾丸を見て芦屋は言った。
「発射された弾丸を見切ってその軌道を変える絶技。人間で習得してるとは思わなかったぜ」
武者小路を過小評価していたようだな・・・、と芦屋はつぶやいた。
芦屋はフッと浮き上がると言った。
「お前らはここで持ちこたえろ。俺が狙撃者を狙い撃ちだ」
芦屋はそのままとんでいった。
そして、芦屋は小声で呟いた
「悪いねぇ。一人で逃げたりして」
芦屋は東に向かって走り出した。
超弩級長を持つ狙撃銃、サヌキツクリを構えていたのは紅蓮だった。
お庭番衆の一角を務める最強の火薬使い。
サヌキノツクリの脇に飛び出した抽斗に火薬をつめ、弾丸を放り込む。
抽出しを閉じれば後は火縄銃と同じように撃てばいい。
「撃つ弾数はあと4発。内一発は起爆用にとっておく。故に攻撃用には3発だ」
投擲が隣でうなった。
「分かってるわよ」
投擲はニンマリと笑った。
「既に放たれた一発は武者小路の流し技によって回避させられている。芦屋がこっちに向かっているから、さっさと撃ち込むのが賢明だね」
投擲はそういうと、立ち上がった。
「路上にて迎撃準備をしている。この場を離れるときはいってくれないといつまでも待ちぼうけだからな」
紅蓮は鬱陶しそうに投擲の後ろ姿を見つめた。
何年も前の同じ日に、投擲はその右目を顔面の表皮とともに失った。中里との激闘の果てに彼が得た物はそれだった。
紅蓮はしかし、即座に首を振ると第二発を発射、手際よく弾込めを行い、続く第三発、第四発を撃ち込んだ。
武者小路は用心深く東に目を向けていた。
武者小路はやはり同じように弾丸を流した。
続く第三発は今までの間隔は今までの弾丸に比べると短かった。
しかし、武者小路は左手でそれを上空に流した。
「上手流しッ」
弾丸は上空に放り上げられてからやがてポトリと落ちてきた。
殿内は髷からこぼれた髪を書き上げて言った
「なぜかは分からぬが、貴殿の監視役を仰せつかった殿内にござる」
殿内はツッカツッカと歩きながら言った。
その歩き方は中沢の道場で見てきた者の誰よりも用心深い足運びだった。
殿内はおおよそ監視をする気が無いかのごとく歩いていた。
「貴殿の野望はなんであろう」
殿内は攘夷、開国のいずれかを問うていた。
しかし、中沢は黙っていた。
殿内は顔をしかめた。まさかこの男は何の意志もなくこの浪士組に参加したのだろうか。
殿内の不快そうな顔を見て中沢は首を振った。
「妹を守るつもりで参りましたが、妹も別のところに行きましたので」
「それは寂しいな」
言い方は至って同情的だが、どこか無機質で、殿内という人間をよく表していた。
その時、中沢は胸騒ぎがした。何となくだが、確信がある。
理由は無いのに根拠はある。そんな気がした。
そして、早足で歩み始めた。
紅蓮は最後の一発を込めると用心深く狙った。
「これで最後だ」
その声を聞いた瞬間。
投擲は一枚の紙が自分の頬スレスレを掠ったのに気づいた。
「来たか・・・」
できれば戦いたくない相手だった。
しかし、ここまで来てしまったのならしょうがない。
投擲は右腕を袖の中にしまった。
刹那。
投擲の左手に握られた六方手裏剣が式符を真っ二つにした。
「甘い」
その時、投擲は背後の気配に六方手裏剣を放った。
本能的に向きを変え、背後に飛ぶ。
「しまったッ」
芦屋の笑顔が積み上がる紙片と共に現れた。
「へっ、雑魚に興味はねえよ」
その時、上空でポンと音がした。
投擲はその音を聞いた瞬間、山の頂上を見上げた。
「さっさと逃げろよ。紅蓮」
「お前の相手は俺だろ?」
芦屋の顔が投擲の目の前に突き出た。
投擲は四方手裏剣を投げる。
芦屋の体が式符になって消える。
投擲の姿が山を転がり落ちる様に消えていった。
「ちっ・・・、つまらん。逃げやがったか」
芦屋は体を現しながら言った。
「しかし、まぁ、俺はここで高みの見物といきますか。何せここは一等地だからなぁ」
武者小路は次なる一撃が大きくそれたのをみて逆に不安になった。
そして、直後、大きな爆発が武者小路を襲った。
「仕掛けてたのかっ」
武者小路は次々と巻き起こる爆音の中吠えた。
爆発はどんどんと連鎖していく。
爆発以上に深刻なのは、爆発の被害を高めるために入れられた物体だ。
武者小路は何とかしてセレネと琴の方に向かおうとする。
しかし、飛来する物体に流し技を決めるのは異常に難しい。
武者小路は周囲を見渡した。
特に誰もこない。
「邪門壊機・龍影搾刀丸ッ」
刃は赤く発熱している。
これが己れの心なのかと思うと武者小路はゾッとした。
しかし、次の瞬間にはその恐怖を振り払い、刀を振った。
鋭い斬撃は煙を裂く。
武者小路は必死に刀をふるった。
素早い斬撃は空気をも裂く。
「斬空ッ・剛刃将怨ッ」
一瞬の隙をも逃さず武者小路は歩みを前に進める。
その瞬間、爆発が止んだ。
「美しくない。破壊的だ」
武者小路の背後で声がした。
「お前をここで殺せとの命が降っている。覚悟をしろ」
沖田が背後から斬撃をかけてきた。
本能的に刀を構える。
しかし、それを即座に腰に収める。
人間相手にこれは使えない。
爆発が止んだのは沖田が消したのだろう。
沖田の斬撃を避けつつ二人の方へと後退していく。
しかし、沖田は川の水を武者小路の方へ放った。
「瀑川ッ」
武者小路は蹴りを背後に繰り出した。
武者小路の背後の水の壁に穴ができる。
そこに躊躇無く飛び込む。
その時、武者小路は自分の体が浮くのを感じた。
沖田の能力ではない。
振り返るとセレネが自分の方に手をかざしている。
そして、目が。目が半透明な緑色を帯びていた。
「貴様ぁっ、邪魔をするなっ」
沖田が吠えたが、セレネは無表情のまま沖田の方に左手をかざした。
沖田はそのまま吹き飛ばされた。
「貴様ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ」
どんどんと遠ざかっていく声を武者小路は夢を見ているかの様に見つめた。
それから、武者小路は地に降り立った。
それと同時にセレネがパタリと倒れた。気を失っているだけで命に別状はなさそうだ。
「琴、お前は逃げろ」
自分とセレネが敵の目的であり、琴は関係ない。今ならまだ逃げきれる可能性もある。
「嫌です。・・・私、お姉様といたいから・・・」
「別の時にしろっ」
武者小路は吠えた。そして、自分の腰を見つめた。刀がカタカタと音を立てている。
このままでは何もできずに終わる。
武者小路はそのまま琴を抱きしめた。
無理やりにでもこの場は収めるしかない。
「頼むから・・・。な」
武者小路が穏やかな声で言うと、琴はおとなしく頷いた。
武者小路はそのままセレネを抱えて飛び上がった。
「抱きしめられた・・・抱きしめられた・・・」
琴は全身を真っ赤にしてブツブツつぶやいていた。
「オチはチンケだったじゃねえか」
遠目の印を解きながら芦屋は言った。
「そうね。ま、いいんじゃないの?」
芦屋の隣には紅蓮が立っていて、素っ気なくつぶやいた。
本当は沖田に邪魔されていなければ武者小路を葬ることも可能だったろう。
紅蓮は己れの親指を噛んだ。
「さて、と・・・。夜はこれからだ。楽しませてもらおうじゃねえか」
芦屋は体を紙片にしてバラバラと飛び去っていった。
「そうね。まだまだよ」
紅蓮は笑みを浮かべると、そこから転がるような勢いで去った。
「沖田。聞こえるか」
沖田はズキズキと痛む頭を抑えて立ち上がった。
契約者同士の契約の通信で、土方が話しかけてくる。
「まさかあいつがあんな能力を持っているとは思っていなかったんだ・・・。今度は・・・」
「別の指示だ」
沖田の弁明を最後まで聞く事無く土方はしゃべり出した。
「今原田達を上がらせている。そちらに合流し、中里と戦え」
沖田は舌打ちした。
「僕を舐めているのかっ。武者小路の攻撃に僕が力ぶそ・・・」
「今回の計画の主な目的は二つ。中里の右腕奪取と、ツクヨミさまと武者小路を引き合わせる事だ。それを勘違いするな」
土方の高圧的な声でいわれては何も言い返すことはできない。
「既にその付近に阿比留、山南の二名が向かっている」
沖田は黙ってめり込んだ体をひきはがすと、立ち上がった。
「今度は・・・、お前か。中里」
沖田はそこで満足そうに笑みを浮かべた。
「あれ・・・。沖田さん」
山南が立ち上がっている沖田を見て言った。
「原田はどうした?」
阿比留は黙って原田のいる方角を指差した。
「分かった」
沖田は河原から飛び上がって橋の上に着地した。
そして、標的、中里の元へ走った。
「私たちの出番・・・、何なんですかね」
阿比留は肩をすくめた。
中里は不安を感じていた。浪士組が将軍上洛の直前の不逞浪士一掃を目的とした警備大会を開くというのは聞いていたが、雰囲気が異常だ。刺々しい物を感じる。武者小路と別行動をとったのは賢明ではなかったのだろうか。
中里は人の気配にそって歩き出した。
「なかなか面白そうじゃないの」
トゲトゲする空気の流れに身を任せて歩き出せば自然と抵抗感が増す。
しかし、中里の人生は常にそうだった。
今更抵抗感など気にする必要はない。
しかし、今の中里には大天狗に言われた言葉が脳裏にこだまして、慣れたはずの抵抗感は今までにないほどの広がりを見せていた。
その重い足を、中里は自分が自分を失ったあの日のように運んだ。
「お姉ちゃん・・・」
武者小路の腕の中でセレネは目を覚ますと同時に言った。
武者小路はほっとした様子でセレネを下ろした。
「大丈夫か・・・」
武者小路の問いにセレネは頷くが、まだ顔には疲れを感じさせる表情が残っている。
「大丈夫だよ・・・。セレネ、自分で歩けるよ」
武者小路は心配そうにセレネを見つめた。
セレネは少しふらつきながらもしっかりと立った。




