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1.依頼人(代理)の登場

「この辺りの筈なんだけど……。お、あった!」


二月初旬の寒空の下、砂埃を被った真っ赤の財布を見つけた僕は、急いで電話を掛けた。相手は今回の依頼人だ。


「もしもし、高橋さん。見つかりました。これから戻りますので十五分位で事務所に着くと思います。いえいえ、とんでもないです。はい、では後程」


 電話を切っても尚、高橋さんの甲高い喜びの声が耳で反響する。耳鳴りみたいだ。顔をぶるりと振って気を取り直し、財布を握り締めて事務所までの道を走り始めた。



 僕は“探し物探偵”神咲歩(かんざきあゆむ)。依頼人が無くしてしまった持ち物や居なくなってしまったペット等を探す、という仕事をしている。探偵、と呼んでいるのは僕だけで、依頼人や近所の人からは“探し物屋さん”と呼ばれている。だけど誰に何と言われようと僕は探偵だ。

 この街に事務所を立ち上げて早五年。最近では僕の仕事もかなり認知されてきたらしく、この街以外からも声が掛かる事がある。今日も夕方に隣の街から依頼をしたいという人が訪ねてくる予定だ。 電話の相手はとても落ち着いた年配の女性だった。僕としては電話で依頼内容を聞いても良かったのだけど、わざわざ使いの者を寄越す、と言われては断りようもなく。恐らくは結構なお家柄の方だろう。儲けの少ない“探偵”にとってかなり期待のできる依頼人に違いない。楽しみだ。


 二階建ての小さなビルの、端の削れたコンクリートの階段を駆け上がると、正面に簡素なアルミのドアが現れる。ここが僕の探偵事務所だ。<只今捜索中!>と書かれた鈍い銀色のプレートを裏返して<只今待機中。ようこそ!>にする。


「戻りましたー」


 ドアを開けて中に入ると、厚化粧の大きな顔が地響きと共に迫ってきた。


「これよ、これ。ありがとうね! 本当にありがとう!」


 高橋さんは僕が握っていた財布をもぎ取って、その上空いた手を握り締めて思い切り上下に振るものだから、割と細身の僕の体は踊るように揺さぶられる。


「ちょ、気持ち悪……」

「あら、大丈夫? またやってしまったわ」


 悪気はないと分かっているから今更腹立ちはしないけどそろそろやめてほしい。へなへなとソファに付いた手がぐんぐん沈み込んでいく。

 高橋さんはこのご近所に住む五十代の専業主婦の方でお得意様。最初の依頼人でもある。初仕事以来何度も依頼をしてくれるので嬉しい半面、二、三ヶ月に一度は物を無くしてしまうので心配になってくる。今では来ない方が正直嬉しい。


「じゃ、依頼料ここに置いていくわね。風邪引かないように気を付けるのよ!」

「た、高橋さんも……」


 恰幅の良い体型がドアの向こうに消えていったのを確認して、ソファに座り直した。全身を預けてふと上げた視線の先、掛け時計が三時四十分を指している。そういえば依頼人はいつ来るだろう。夕方とは言っていたけど、何時に来るか分からないな。良いお家柄の方の使いとして来る人だから、かなりきちんとした人かもしれない。このジャージで対応というのは、いただけないな。


 僕はソファから跳ね起きて、住居として使っている隣の部屋に駆け込む。ここはやっぱりスーツだろうか。友人からは七五三みたいだな、なんて言われるが自分では結構いけていると思っている。裾上げというものも覚えたし。袖が短くならないのは惜しいけど。

 白いワイシャツ、紺地に赤いラインの入ったネクタイ、紺のスーツ、茶の革靴がお気に入り。大きな姿鏡に映る自分に、我ながら惚れ惚れしてしまう。探偵と言えばここにハットも付けたいところだけど、自分の事務所で帽子を被るというのも可笑しいだろうか。



 僕がうーん、と唸り続けていると遠くでコツコツと小さな音が鳴った。不思議に思って部屋のドアを開けて顔を出すと、事務所のドアの向こうに揺れる人影が見える。おや、もうお客様のご到着のようだ。

 急いで、しかしあまり音を立てないようにドアに近付き、スマートな動作でドアを開けた。


「ようこそ、探し物探偵事務所へ!」


 溌剌と高らかに声を上げた僕を呆気に取られた表情で見つめているのは背筋の伸びた紳士でも、麗しい淑女でもなく、質素な身なりをした二十代前半らしい若い女性だった。これは……違うな。


「お客様、今日は何用で?」

「あれ、昨日奥様がお電話しておりませんか? 姫井(ひめい)の使いで参りましたが」

「……伺っております、どうぞ中へ」


 スーツに着替えた意味があまりなかったような気がする。まさかこのような若くて、正直に言って地味な女性が相手とは思わなかった。まぁ相手がどうあれ、その向こうが大物ならそれで良し。誠心誠意お話を伺おうではないか。

 手でソファに座るよう促すと、失礼しますと一言添えて着席した。礼儀はなっているらしい。僕自身も対面の一人掛けのソファに腰を下ろして、基本のご挨拶から始める事にする。


「今日は遠い所を御足労頂きありがとうございます。私、探し物探偵をしております神咲歩と申します」


 そう言って名刺を差し出すと、女性はおずおずと受け取り自身も自己紹介を始めた。


「わたしは、明灯(めいとう)ホテル現会長である姫井壱様の下で仕えております、志賀(しが)むつみと申します。宜しくお願い致します。……言えた」


 最後の呟きは聞かなかった事にした方が良いのだろうか。丁寧な自己紹介は急遽覚えてきたものらしい。

 そんな事は置いておいて。明灯ホテルと言えば今や海外にも知られている超有名ホテルじゃないか! しかも会長の姫井壱氏は一代でこの大ホテルを築き上げた張本人。これはかなりの大仕事と見た。

 緩む口元を引き伸ばして、早速本題に移る事にしよう。


「では志賀さん。今回のご依頼内容をお聞かせ願えますか?」

「あ、はい。姫井家には旦那様の壱様と奥様の詩園様の他に、今月二十歳になられるお嬢様がおられます」

「お嬢様? そんな話は聞いた事がないですが」

「当然です。これまで表舞台に出られた事はありませんから。旦那様も奥様も、この厳しく欲に塗れた世界には出したくないと、業界の人間にはひた隠しにしておられます。嗅ぎつけた全てのマスコミにも口止めする徹底ぶりです」


 それでは情報が出て来ないのも無理はない。姫井家の口止め料とは一体如何程の金額になるのだろう。……危ない危ない。涎が垂れるところだった。

 しかし姫井御夫婦はもうかなりの年齢だったのではないだろうか。それで二十歳になる娘とは、何か事情がおありなのではないだろうか。そしてそれ程までに守られたお嬢様はどんな方なのだろうか。箱入り娘の姿を是非一目見てみたい。


「お嬢様、名前を雪様と申しますが、お嬢様には許嫁がおりまして」

「このご時世に許嫁ですか」

「はい。それでここからが本題なのですが」


 淡々と、どんどんと先に進んでいく志賀さん。本題、という言葉に背筋が伸びた。


「今月の十一日までに、屋敷内にある筈のお嬢様のペンダントを探してほしいのです」


 これまでの話から急に脈絡なく飛び出したペンダントという言葉。そして三日後の十一日までに、という期限付き。さぞ大きいだろう屋敷の敷地内から探すには小さすぎて、また短すぎる。

 だけど僕は“探し物探偵”だ。ここで諦める訳にはいかない。まずは詳しく事情を聞かなければならないだろう。スーツの襟を軽く引っ張ると、前のめりに問い掛ける。


「詳しくお話頂けますか?」

「はい。この二月十一日はお嬢様の誕生日です。そしてその日、お嬢様と許嫁の宇加治順(うかじじゅん)様は正式に婚姻届を出す事になっています」

「ほう」

「婚姻届の方は、あとお嬢様が名前を書いて判を押すだけなのですが、その際に婚約指輪と結婚指輪の交換を行なう事になっていまして、お嬢様の婚約指輪が無いとどうにも……」


 そこまで聞いて僕の頭は疲れていた。彼女の話し方が悪いのか僕の頭が悪いのか。無くした指輪と探すペンダントが繋がらない。


「探すのはペンダントではなかったですか?」

「え? あ、言い方が悪かったですね。ペンダントと言ってもチェーンに婚約指輪を通したものなんです」

「何故婚約指輪を指にされないのですか?」

「さぁ、聞いてみた事はありますが、指輪は苦手なんだとしかお答え下さいませんでした」


 それならどうして相手は指輪を贈ったのだろう。愛する人が苦手だと言っているなら、結婚には指輪という固定概念は捨てて然るべきだと思うのだけど。

 かつて僕も愛する人にバラの花束を贈った時に、女が全員花で喜ぶと思うな、と叱られてからは相手の好きな物を選ぶ事にしている。やはり相手への思いやりというのは最も大切な事だと、


「あの、すみません。話続けて良いですか?」

「あ、はい。どうぞ」


 訝しげな瞳がこちらを見ていた。自分の世界に入り込んでしまっていたらしい。気を付けなければ。先を促して、続く話に集中する。


「それで、婚約指輪が無くなっている事はまだ宇加治様に知られていません。ですので知られないように内密に探してほしいのです」

「さっさと見つければ良いという事ですね」

「言ってしまえばそうですが、明日から宇加治様は屋敷の方に滞在される事になっているんです」


聞くと宇加治氏は許嫁であり、明灯ホテルの副支配人であると言う。ただの許嫁であるよりもこの家族や屋敷に近い、厄介な人物となりそうだ。


「という事は、見つからないように見つけろ、と?」

「そうして頂けると助かるのですが流石に無理だと思いますので、旦那様のお知り合いという事で屋敷に滞在して頂こうと思っております。結婚の誓いの見届け人という事で。如何でしょう」

「それなら動きやすい。助かります。明日から伺って宜しいですね?」

「はい、結構です」


 という訳で、明日からの二日間で姫井家のお嬢様の婚約指輪を探す事になった。

 正直こんなちゃんとした仕事は初めてかもしれない。普段はこの界隈の、主に高橋さんの財布やら携帯やらペットの亀を探したり、隣の地区で用水路に落ちたストラップを探してほしいなんて訳の分からない依頼を受けたりと、思い出すと悲しくなることばかりだ。

 でも今回は違う。お金持ちの箱入り娘の為に無くした指輪を探すという、考えただけでわくわくしてくる依頼だ。早速明日の準備を始めなければ。


「では明日、お待ちしております」

「はい。宜しくお願いします」


 丁寧なお辞儀をして静かに帰って行く志賀さんを見送る。意外にもしっかりした女性だった。最近の若い女性だからと言って馬鹿にしてはいけないな。と言って僕もまだ二十五な訳だけど。


「そんな事より準備、準備!」


 手を一つ叩いて自室に駆け込むと、散らばった探偵グッズをかき集めるところから準備は始まるのだった。


 

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