Phase 9
この<グレイスビル>は全12層の吹き抜け構造になっている。
入ってすぐの建物中央、出入口のエントランスには小さな噴水と、それ囲うようにベンチが設けられていて、高いガラス張りの天井からは陽光が差していた。そこはまるで室内庭園のようだった。
客層もやはり若者が多く、デートには打ってつけの場所なのだろう。
周りはカップルだらけだ。
(…………)
(……居心地が悪いことこの上ないな……)
青年は億劫そうに一ノ瀬の後に着く。
一ノ瀬に振り回されることもそれは多々あったが、大学を出てとなるとこれが初めてかもしれない。調子良くはしゃぐ一ノ瀬とは対照的に、青年の空気はじんまりと重い。
ニーナからの通信も懸念としてあるが――なにより青年は人間が多い場所が苦手だった。その理由は曖昧だけれど、理解出来ないモノに対する恐怖――というのが一番しっくりくるかもしれない。
同じ人間でも、心の仕組みはそれぞれ違う。
「あの、■■■くん」
振り返って一ノ瀬は言う。
「私、秋を先取りって感じで、服が見たいんですけど。いいですか?」
青年は肩をすくめる。
「見たいんなら見ればいいんじゃないかな。別に僕が欲しいってわけでもないんだし」
不満そうな顔をする一ノ瀬。
その膨らませた頬に、デコピンをしてやりたくなった。
「もう、相変わらず冷たいなあ。■■■くんはもっとオシャレになるべきです。そうすればツンドラって感じからハートフルな印象に仕上がるかもしれませんよ」
「……随分な物言いだよね」
しかし、ツンドラとは言い得て妙だな、と心の中で頷く。
優しさあふれる自分像を想像すると吐き気がしたが。
「せっかくですし、私が見繕ってあげますよ」
一ノ瀬はなぜか得意気だ。
けれど、料理のセンスはともかくファッションセンスがあることは、その姿を見れば明瞭だろう。
青年は肩を落として溜息をついた。
(これじゃあまるでデートじゃないか……)
(……柄でもない。こんなことしてる場合じゃないんだけどなあ……)
思いつつも、袖を引かれるまま連れていかれる。
毎度のことだが、どうも一ノ瀬相手だと具合が良くない。もちろん断固断れば、無理にとは流石に言ってこないだろうが、
「これどうですか? なかなか似合うと思うのですけど」
青年の身体に服を重ね、世にも楽しそうな表情を浮かべる一ノ瀬。
彼女は言葉よりも目や口元のほうが感情を雄弁に語るのだ。こいつがいけない。
いつになく消極的な青年の態度を踏まえてか、今日はやけに積極的だ。
(……面倒だ……)
(苦手なんだよな、どうも)
それに反抗するだけの理由があっても、逆らえる余地もなく。
結局、一ノ瀬の誕生日プレゼントという主旨から外れて、色々な店を何軒も付き合わされた。
最後に行き着いたのは雑貨店だった。
「むう……」
一ノ瀬は怪訝な表情で唸る。
目下に置かれているのは、無愛想な顔をしたクマのストラップだった。
可愛いとはまた違う、怪しげなそれ。
ハロウィンよろしく、への字を描く口はジグザグに縫いつけられて、黒とカボチャ色を折り合わせた奇怪な服に、手には歪なカンテラを持っている。
煤茶色の体毛はさわり心地がよかったが、とても欲しいとは思わなかった。
青年は訊く。
「……これが欲しいのか?」
一ノ瀬は無言でこくり、と。
どうも趣向が汲めないが、気に入ったのならそれでいい。
青年はそのストラップを手に取り、
「買ってあげるよ、誕生日プレゼントってことで」
一ノ瀬の反応を待たず、レジへと向かった。
会計は二千円。意外と高い。
包装はしてもらわない。時間の無駄だと思ったからだ。
「ほら」
会計を済ますなり、青年は一ノ瀬にストラップを手渡した。
一ノ瀬は頬を緩ませ、しずしずとそれを胸に抱き、
「……えへへ。あ、ありがとうございます」
と、童女のような可憐な笑顔を浮かべた。
(なんだ、その反応……)
(いつもと随分違うじゃないか)
ともあれ。
これで目的は達成したというわけだ。こんな場所に長居する理由はなくなった。
「じゃあ……」
プレゼントも買ったし帰ろうか――と、言いかけて、
「じゃあ、次はどこ行きますか? そろそろいい時間ですし、お昼でもどうでしょうか。お礼にご馳走しますよ」
と、被せるように一ノ瀬は言った。
青年の口から、この日一番の溜め息が漏れる。
「……いい加減にしてくれ」
「えっ?」
「買い物が終わったんならもういいだろ。僕は帰るよ、興味がない」
「あっ、ちょっと待って。待ってくださいよ」
青年は踵を返し、雑貨店を出た。
徹夜明けで虫の居所が悪かったのに加え、二―ナからの通信もあり、青年としては早々に自宅へ戻りたかった。単純にこの場所の居心地が悪い、というのもあったが。
少し悪いことをしたかな、と思った。けれどいまの御時世、わざわざショッピングになんて出掛ける必要は薄い。自宅で現物をホログラムで確認できるし――なにより、ネット購入のほうが最安値を探しやすく、手軽で便利だからだ。
「待ってってばッ!」
叫ぶような一ノ瀬の声に、足を止め、肩を落とす。
……まったく、人を振り回すのも大概にして欲しい。そう思いつつ振り向き、
「だいたい僕は……」
言いかけて、一ノ瀬と目が合った。
(……げ)
引き締められた口元、スカートを掴んでぎゅっと握りしめた拳、上目遣いの睨み付けるような視線。
瞳は少し潤んでいるように見えた。
その迫力に青年は半歩後退る。
と、
そこで一ノ瀬の背後――店内に設置されている広告モニタの一つが、ジャミングを受けたかのように映像を歪めた。
(……ん? なんだ?)
不審に声を漏らそうとする刹那。
通路に響き渡る――悲鳴。
女性の甲高い、声。
「えっ、なに? なにいまの声……」
振り向く一ノ瀬。
青年もその声の方へ視線を走らせる。
途端、店のウインドウガラスをぶち破って何かが通路に転がった。
それは赤い液体を振り撒き、白いタイルに跡を残した。
息を呑み、言葉を失う。
横たわる――酷く滑稽な塊。
それには足が二つあって、右腕があった。
反対側に腕はない。そこにあるべき頭部も――ない。
無理やり千切られたような断面からは、血と、筋肉繊維と、赤く染まった骨が覗き出ていて――なおもとめどなく溢れ出てくる血が、ゆっくりとタイルを覆っていく。
それは人のカタチをしていて、けれどヒューマノイドではなくて、
まだ温かそうな、華奢な体躯の、女性らしき、頭部と片腕を失った、
人間の――死体だった。