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この映像がネットに流出し、メディアは大きく騒ぎ立てた。
心的外傷を及ぼす内容としてその映像自体が流されることはなかったが、『暴露ウイルス』による初の死亡者として取りあげられる“予定”だった。
予定……というのも、確実に死んだであろう少女、蒼井雫の死体が発見されなかったからである。
映像ログから場所を特定されたが――警察なら国家登録IDから引っ張ってきただろう――しかし、間違いなくその現場だった場所に駆けつけても、死体はおろか血痕すらも確認できなかった。
……手の込んだ悪戯か?
と、そう思われても仕方のないことだったが……例えば、蒼井雫が自殺した場所に、偶然にも“元のカタチに修復することの出来る誰か”が遭遇して、その対処に当たったとすれば話は当然違ってくる。
さらに言うと、同じくその場に“記憶を改ざん出来る誰か”がいれば、このように世間を騒がせることもなかっただろうが……残念ながら、偶然はそこまで用意はしてくれなかったようだ。
ともあれ。
蒼井雫は一命を取り留めた。
『どこかの誰かさん』のおかげで。
これを幸と取るか――それとも不幸と取るかは、おおよそのところ雫次第ではあるわけだけれど、ここで確実に言えることは、雫を救った『どこかの誰かさん』は絶賛不幸の真っただ中だった。
「――残念で仕方ないよ、翔兵くん。君は死刑だ」
デスクの前の女性――麻倉添音は足を組みコーヒを啜りつつ、心底残念そうな重苦しい表情で言った。
翔兵は黙ったまま、うつむきを続ける。
彼女の口もとが仄かにニヤついている気がしたが、いまの翔兵には横槍を入れることはできない。
「まあ、間違いなく軍法会議で銃殺刑を言い渡されることだろうさ。今のうちに遺書でも書いておくんだね」
添音はやれやれと手を振り、
「……ああ、しかし可哀想だなぁ、ゆゆちゃんは。こんな馬鹿な兄を持つと大変だ。許可の下りていないエリアで≪致命的な道具≫を使うことは禁忌だ――って何度も言い聞かせてきただろう? それを無視して、君はなにを王子様を気取っているんだい? 君のおかげで軍がどれだけの苦労を強いられたかわかるかい? 君みたいな欠陥製品を扱ってしまって、事態を鎮圧するのにどれだけのコストが掛かったか想像がつくかい? 君の安い給料じゃあ一生かかっても返せないほどの莫大なお金が飛んでいったんだよ?」
いつになく饒舌な添音は、ふよふよと、手を羽ばたかせる仕草をする。
「それもすべて君の軽率な行動で、君の安易な考えで、だ。その罪を君はどうやって償う気だい? そもそも償いきれるのかい? いいや、償いきれないと断じて言わせて貰うよ。君の犯した罪は、それほどに重い重罪だ」
話している最中で耐えきれなくなったのか、添音はニヤつきを隠そうともせず楽しそうに続けた。
「そういうわけで、君は死刑だ。私はとても悲しいよ翔兵くん。でも安心してくれ。君の死体は私が有効的に活用することを先に誓っておくよ。ああ、惜しい人を亡くした。君のことはしばらく忘れない」
「――いや、しばらくかよ!?」
翔兵が突っ込んだ。
その突っ込みを待っていたかのように、添音は口をつけたカップの中で殺した笑い声を上げる。
「くふふ。いいね、いいよそのリアクション。こっちとしても遊び甲斐があるってもんだ」
魔女だ。
魔女がいる……と、翔兵はげんなりする。
「……しかし、君の行いは私も褒めてあげたいというのが正直なところなのだけれど、立場上それは出来ない……残念だけどね。だから心苦しいけれど、君には刑罰を与えなきゃいけない。もちろん死刑ってのは冗談だ。軽いジョークだよ、そう重っ苦しい顔をするな。もっといじめたくなっちゃうだろ?」
嬉々としてそんなことを言う添音。
翔兵は、添音が未だに独身なのがわかった気がした。
少なくとも結婚生活なんて枠に収まるような器じゃない。良い意味でも悪い意味でも。
添音はコンパネにカップを置き、鷹揚にチェアへ背中を埋める。
「しっかしまあ、君のトラブル体質はどうなんだろうね? 先日のポートシティの一件といい、面倒事に巻き込まれる才能でも持っているのかい? 大したもんだと感心するよ」
「そんな才能があるんだったら、今すぐにでも引き取って欲しいもんだけどな……ていうか先生。前置きはいいよ、本題に入ってくれ」
少し不機嫌を含んだ物言いに、添音は寂しそうな顔をした。
このラボに訪れる人は少ない。だからだろうか、関係ないではないにしても、遠回しな話ばかりを並べて回り道をしようとする。翔兵も会話をするのは嫌いじゃないが、それも時と場合による。今回は当事者として裁かれる立ち位置にいるのだから、正直に早く話を進めて欲しかった。
「……ま。それもそうだ。翔兵くんの機能は――今更言うまでもないけど、社会にとって混乱を招く恐れのある、扱いに注意が必要なものだ。それは当然熟知しているだろう?」
翔兵は頷く。
「厳密にいえば≪致命的な道具≫を含む≪人類未到達産物≫――レッドボックスには、管理制限と規定が設けられている。これもちゃんと説明したはずだ。君の機能は『カテゴリC』――認可を受けた施設内、または区域内でなら、許容された機能の利用を許容される――君は許可もなくそれを扱い、街中という環境内でそれを講じた」
「…………」
添音の言っていることが理解出来ないわけではない。
けれど、緊急を要する場合っていうものもある。
昨日、翔兵がセカンドエリアを歩いているときに、頭上から女の子が落下してきた。これだけなら、ちょっとファンタジックに聞こえるかもしれないけれど、しかし、落下の衝撃でひしゃげてしまった女の子の姿は、どうしようもないほど現実的なそれだった。
翔兵は迷うことなく機能を行使し、目の前の命を救った。
結果として、それがルール違反となって、翔兵はこうして罪を問われてしまっているわけだけれど……翔兵がそのルールを破らなければ、間違いなく女の子は死んでいた。思い出したくはないが、彼女は――『蒼井雫』という少女は、それほど無残なかたちで翔兵の前に横たわっていたのだ。
翔兵の不満そうな表情から何かを汲み取ったのか、
「……実際、辛い立場だったと思うよ。不運だったと言ってもいい。私だってその場にいたらどうしていたかわからない。ルールってのは人の善意、倫理とは程遠いところにあるからね。出来ることなら、もう君がこういった事件に巻き込まれないことを望んでいたよ」
切実にね……、と添音は憂いたように言う。
それが心からの言葉なのだと、なんとなく察した。
自分でもわかる。
誰かが傷つくのを見るのは苦手だった。
感情的になり易い――といえばそうなのだろうけれど、翔兵がまだ幼いというのもある。目に映るものすべてが笑顔であって欲しい――そんな幼稚な想いを強く持っている。最初はその対象が妹であるゆゆだけだったけれど、自分の出来ることの範囲が増え、手が届くならば全部に差し伸べてあげたいと思うようになっていた。
これはポートシティでの一件が――斉藤詩織の言葉が――翔兵の心に変化のきっかけを与えていたのかもしれない。
「要するに翔兵くん。君はおせっかい気質なんだよ。育った環境がそうだったからかもしれないが、君は無駄に感傷するきらいが――」
「いや、待てよ」
翔兵は添音の発言を遮る。
「……先生、“おせっかい”ってなんだ?」
その台詞に反応しないというのは翔兵にとって難しかった。
死にかけている人を助けて、おせっかい呼ばわりされたら誰だってそうなる。翔兵だったら尚更だ。
強い言葉は使わない。けれど翔兵にはめずらしく、親しい人間に負の感情を乗せた眼でにらみつけた。
「――……君にそんな目で見られちゃ、私としてもたまらないな。いや、そんな目を出来るようになったんだと、戸惑ってるのが素直なところかな」
添音は視線を外し、カップの口を指で撫でながら、
「いやいや、少しは大人になったんじゃないかい翔兵くん。ついでに、ちょっと嫌な話をしよう。……人ってのはね、実にめんどくさい過程によって動いてる生き物なんだよ。認証が街のあちこちで必要になり、歩く道のりもリンカーやタグによって逐一記録されるようになっても、ある種の犯罪は一向に減る傾向はないんだ。
たしかに個人情報管理されたことによって犯罪自体は減少したさ。けれどそれは計画的犯行の抑止力にしかならなくて、突発的犯行――つまり、人間の感情の荒振りによって起こされる無計画な殺人・自殺とか、追い詰められた人間の犯罪を防ぐ手ってのは、今も昔もいつの時代だって存在しない。さらに言えば――この国において――そんな犯行を行うのは、富裕層に属する人間たちばかりだ」
……なぜだかわかるかい?
と、そう問われてもわかるはずもない翔兵は、添音と目を合わさず、小さくかぶりを振る。
「その答えは単純さ。貧民層は『ウラヌス』が作った社会を“受け入れている”から――国に飼われ養って貰うことと引き換えに自由を差し出しているから――だからある程度の不条理なら、押しつけられても受け入れることができるし、最低限の生活を国から保障されているから、無駄な強欲に駆り立てられることも少ない」
添音はデコピンでカップをいじめる。陶器を叩く澄んだ音が、やけに響いて聞こえた。
「だけど、資本主義に身を置く、富裕層に属する人間にはそれがない。あるのは自分らの下に貧民層がいるという事実と、それに対するわずかながらの優越感。故に、“自らの価値が下がれば、比較的簡単に破滅的行動に駆り立てられる”――それは“自らの価値の低さを理解できない人間”と、“自らの価値の低さを自覚しながら生きている人間”の差異だ」
「…………」
聞き入る翔兵は、自然と唇を尖らせていた。
富裕層、貧民層と言葉を並べられて不機嫌にならない貧民層はいない。
2102年現在――この国は二分化されている。国は分化したつもりもないだろうけれど、おのずと社会はそういう具合に出来あがってしまっていた。
NLOという疑似神経技術により、人間の機能性は格段に向上した。
けれど、それもいいことばかりではない。自動化される社会で、大半の人間が機械に仕事を奪われた――“最先端技術を自分の身体にインストール”出来ない経済弱者は、その機能性の無さゆえ、次第に管理される側へと移り変わっていった。
この国を回している50パーセントは機械で、25パーセントは機能性のある人間で、残りの25パーセントは仕事もせず、ただ生かされているだけの存在。言いかたは悪いが、機能性のある人間の優越感を満たすためだけの存在、とも言える。
「……価値が低いって、そんな言い方するなよ……」
いまは違うにしても、翔兵は機能性の無い25パーセントの人間だった。
だから、こんな話を振られて不機嫌にならないほうがおかしい。
前もって『嫌な話』だと言ってくれるぶん、そこに添音の心遣いが見え隠れしていたが――これは折り合い付けられる話ではない。
一方で、『飼われ、養われている』と言われてみれば、たしかにその通りだという思いもあった。貧民層と区切りられ、見下されこそしても、生活が困窮を極めることは一度としてなかったからだ。
貧民層は機能性はないものの、御膳立てされた社会で、ちゃんと管理されて生かされている。テレビのニュースで流れる、よその国の難民を見れば、その差は歴然だろう。たしかに文明の利器を持てないという不便はある。だがそれは、受けとっている保護に比べれば、ほんの小さな不自由であることを翔兵はすでに知っている。
そうやって沈み込む翔兵に対し、しかし添音はかぶりを振って、
「勘違いしないでくれよ。私はたしかに社会的に無価値と言ったけれど、機能性があろうがなかろうが、人間なんてものは本質的に無価値なんだ。だから気にするようなことじゃない」
と、慰めのつもりだろうが、まったく慰めになってないことを言う。
「話を戻すけど、翔兵くん。君は無価値だからこそ、“本当の無価値を理解できていない”。本当の無価値ってのは崩壊であり、絶望だ。絶望を知った人間が選択するのは、いずれも破壊的で非道徳的な結末ばかり――それは自殺であったり、自爆テロであったりね。
矛盾しているようだけれど、君たちは無価値の中で生きてきたから、本当の無価値を知りえない。価値のある環境から無価値に落とされた人間の心を――絶望を――“だから”理解できない。人が社会という枠で生きている限り、社会から発生したそれらを防ぐことなんて不可能なんだよ」
喩えそれが『機械仕掛けの神』であったとしてもね――なんて皮肉のように言ってみせる添音。
きっとこの国を調律した高度AIのことを指しているのだろう。
正直なところ、『天』が作ったこの社会はうまいこと出来ていると思う。自由の代わりに保護のない富裕層、自由を代償に一定水準の保護を受けている貧民層――どちらも無条件な愛ではないにしても、互いのニーズを埋め合わせていると言えなくもない。それが倫理的にどうなのかは、また別の話だが。
「君の倫理的価値観がどうなってるかなんて知らないけどさ、君は正しいことをしたと思ってるだろ? “死にかけている女の子を助けた”、――助けるのは当然だ、ってね」
翔兵は言い返す。
「当たり前だろそんなの。俺は間違ったことをした覚えはない。そりゃたしかに軍に面倒は掛けたし、それについて申し訳ないって思ってるけどさ……でも、なんで罰を与えられなきゃいけないのか、それは全然わかんねえよ!」
が、添音はそれを鼻で笑う。
「ふうん? 傲慢だね。でも、“それは本当に必要なこと”だったのかな?」
「……どういう意味だよ」
「君はたしかに女の子の命を救ったよ。けれど、忘れちゃいけない。その女の子は“自ら望んで死を選んだ人間”だ。人は……特に私のようなか弱い女性は、自分の存在価値に傷を付けられると、生存を放棄したり憎悪を抱いたりする不条理な生き物だからね。どれだけの理由があって、どれだけの決心をして、彼女が自殺を選択したのか……翔兵くんには想像さえつかないだろう?」
「……そんなの……だって、死んだら何にもならねえじゃねえか!」
「だから、“何にも成れなかったからこそ選んだんだよ”。つまり言わせて貰うと、君は彼女から『自由』を奪ったんだ。死んで社会から解放されるっていう、決死の選択をね。彼女が目覚めて、もしまた『自由』を望んだら……君はいったいどうするつもりなんだい?」
「……お、俺は……」
威勢のよかった口が、途端に濁り始める。
そこまで考えていたわけじゃない。
目の前に落ちてきた人を助けた。助けなきゃいけないと思って助けた。それだけだ。
だから、彼女が自由という死を選択したことなんて当然考えていなかったし、彼女がまた死を選ぶ可能性があるだなんて――それこそ予想もしていなかった。
ルールに反することをしたことには自覚はある。
それについての罰は甘んじて受けるつもりだった。
けれど、なんだこれは?
まるで『人が生きていることに真価はない。必要なのは需要なんだよ』――みたいな添音の言い草に、翔兵は困惑する。
「彼女は生存を放棄する可能性がある。助けた君を恨む可能性だってね」
それが翔兵の犯した罪。
善意は受け取り手によっては、おせっかいにしかならない場合だってある。
添音はその事実を翔兵に明かしたのだ。
「……ちょっと説教臭くなってしまったね。すまない。ただ、私は君の行いが悪だとは思わないよ。君は正しいことをした……うん、私もそう思う」
添音は頷き、まっすぐな目で翔兵を見、
「私は君みたいな愚直で誠実な人間は嫌いじゃないからね。出来る限り良い方へ向かうよう、上と掛けあってみるよ」
「……先生」
続く言葉が出てこなかった。
こんなことを言ったら添音に怒られるかもしれないけれど、この辺はやっぱり年の功というものなのだろう。翔兵はちょっぴり感動した。
自分には親がいない手前、わざわざ悪役に徹してまで心配してくれている添音に感謝の気持ちを抱かずにはいられない。それだけじゃなく、自分の罰が和らぐように上部に掛けあってくれるとまで言ってくれて――……って、あれ?
「……ちょっと待ってくれ、先生……その、『掛けあってみるよ』……って、もしかして俺の処罰ってまだ決まってないの?」
「……あっ」
やべっ! みたいな顔をする添音。
おい、と思う。
しかし……なんというべきか……言っていることは難しくて、理解出来ないことも多いけど、添音はなんだかんだで憎めない人だ。ただ感謝だった。自分のことを心配してくれている人がいる――というだけで、ここまで心が暖かくなれる。
「……先生って、実は良い人だよな」
「おいおい、私をそんな安っぽいツンデレキャラみたいに言うなよ」
添音はコーヒーを啜りつつ、モニタに視線を投げ、言った。
「……単純に嫌いなだけだよ。こんな世界がね」




