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サイコ×ロジック  作者: 独楽
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-011-



「――憂沙戯ちゃん! 自分がなにしてんのかわかってんのか!?」


 横合いから入り込んできたキメラを≪阿修羅≫のひとつで斬りつけ、霞臥は叫ぶ。


「わたしは――」


 憂沙戯は高速の斬撃を鼻先でかわしつつ、


「わたしは、わたしでいて、わたしであることを望みます。だから、それを奪おうとするあなたたちを、わたしは許せない!」


 スウェーで仰け反らせた体勢をくんっと前へ。一切の無駄のない動きでユニットの斬撃を縫い、霞臥の目の前に躍り出る。憂沙戯は腕を十字に、片手には電磁ナイフ。逆手に構えたそれを外側へと振い、青白く発光する刃先が霞臥の首に触れる。

 躊躇なく急所を狙われたが、その的確な攻撃パターンのほうが読みやくはある。反射的に防御に回した左腕と憂沙戯の腕がかち合い、腕の骨が軋み砕けそうな痛みを感覚。

 だが、痛覚は高ぶった感情より上には上がってこない。


「――わっけのわっかんねえこと言ってんじゃねえぞ! いったいどうしちまったってんだよ、憂沙戯ちゃん!」


 視線をかわしながら、霞臥は訴えた。

 なぜ?

 なぜ、憂沙戯が自分らを襲うのか。キメラを引き連れているのか。

 支離滅裂な発言も気にかかるが――しかし、彼女の鋭い眼光に迷いのようなものは見えない。霞臥が受けているこの殺意は、まぎれもなく本気のそれだ。

 霞臥は猛烈に混乱していた。

 それでも、ぐるぐると渦巻く思考を置いてけぼりに、経験が身体を勝手に動かす。

 鍔迫り合いならぬ腕迫り合いから憂沙戯の袖をつかみ、地面へと力まかせに押し付ける。そのまま制圧の形に持っていこうとするが、憂沙戯はあろうことか自ら地面へと身体を投げ、猫のように翻り霞臥の手をほどく。

 体幹を崩され、背後を取られた。

 背筋に殺気を感じる転瞬、霞臥は無意識的に操作した≪阿修羅≫を走らせる。

 床に身体を打つと同時に、凄まじい風圧を背中に感じる。が、手ごたえはなかった。彼女はすでに距離を置き、斬撃は虚しく宙を薙いだだけだった。

 それはまるで背中に目があるような動き。

 察知した、というより、霞臥の≪阿修羅≫を感知していたような――。

 

「……≪陽気な兎≫……か」


 笑えねえよ、と苦笑しつつ、霞臥は立ち上がった。

 憂沙戯の持つ“道具”は、“人間の持つ能力をただ単純に底上げする”。

 それは身体能力しかり、反射・判断能力しかり。

 きっといまの憂沙戯には、映しだされる世界の動きがゆっくりと緩慢に感じられているに違いない。憂沙戯はこれをよく『フレーム』と言っていた。一秒が60枚ほどの静止画像フレームのコマ送りに感じられる、と。

 その六十分の一毎秒に、思考判断されてしまえば、常人に勝てる道理など無い。

 殴ろうと拳を振り上げようとした瞬間に対策を取られ、銃口を向けた瞬間に軌道を読まれてしまう。加えて、憂沙戯の趣味とする格闘ゲームで培われた状況把握能力が、その脅威をより確固たるものへと押し上げていた。


「随分と上手く扱うようになったな、憂沙戯ちゃん。優秀な後輩を持って先輩として鼻が高いぜ」


 霞臥から憂沙戯が離れた瞬間を狙って、キメラが襲いかかる。

 それを邪魔くさそうに払いながら、


「いい加減、話をしようぜ。なんでここに来た? ここでなにがあった? なんでキメラが俺ばっかりを狙って、なんで憂沙戯ちゃんを攻撃しようとしない? まるでこいつらの女王さまじゃねえか」

「……あなたが簡単に殺してみせるこの子たちは、わたしの子です。わたしと同じように自由を求めて、この場所から出たがっている」

「はあ?」


 わたしの子?

 理解不能だ。意味がわからない。

 と、そこで怪訝に眉をひそめる霞臥の頭上を、影が覆った。

 卵が腐ったような臭いが鼻を刺し――振り返るとそこには、生理的嫌悪を覚える派手な体色、蜘蛛かタコか判別に苦しむキメラの姿があった。鋏角と牙を向けて迫ってくるそれに冷たいものを感じるが、トロ過ぎる動きに付き合ってやる筋合いもない。

 瞬間、すさまじいインパクト音とともに、≪阿修羅≫に横殴りにされたキメラは地面と平行に吹っ飛ぶ。二度のバウンドを経て、他のキメラを巻き込み、壁へとぶち当たった。


「……ちょっと理解できねーんだけどよ、こんな化物が憂沙戯ちゃんの子供? ……いやいや、冗談にしても笑えねーって。ゲームのし過ぎで頭ん中にタンポポでも咲いたのか?」

「化物……」


 憂沙戯は唾棄するように顔をしかめ、


「わたしたちが化物なら、あなたたちは怪物ですよ、ifのヒト。こうしてこの身体になってみてわかりました――わたしたちとあなたたちに違いはない。同じように意思を持ち、同じように感情を抱き、行動を起こす。なのに、それなのにあなたたちは対等と扱わない」

「どっから目線だよ、その台詞……」


 まるで違う人格が乗り移ったかのようだった。

 姿かたちは月野憂沙戯なのだが、中身が挿げ変わっている……まさかとは思うが、本当に変えられたのか? そんなことが可能なのだろうか……憂沙戯に似せられた精巧なヒューマノイドかとも考えたが、それだと≪陽気な兎≫を扱えている説明がつかない。


「あなたたちには、わたしたちの言葉は届かない。理解されない。だから、拒まなくちゃいけない。だから、戦わなくちゃいけない。償わせなきゃいけない」


 話すことなどない。

 そう言わんばかりに、憂沙戯は殺意を狂気をもって凶器を振り廻す。

 受ける霞臥は腹が立って、身体が熱くてたまらなかった。

 憂沙戯と闘わなくてはいけないという不条理が、未だ霞臥の腑に落ちないでいた。“理論”と“イメージ”で辻褄を合せようとしても、すっぽりと抜け落ちるものが考え直せと叫ぶ。それはどこまでも判断を狂わせる、かけがえのない愚かしさの源でもある“想い”だ。

 しかし、想いの対象は脅威となって自分を追いつめている。

 そして皮肉なことに、そんな“脅威”を潰すことこそが、特殊戦闘員の務めだ。

 翔兵に言った言葉が、まさかそのまま自分の身に降りかかるとは思ってもいなかった。

 社会にとって害となる存在――対抗するための武力、脅威を恣意的に振りかざし、環境中にそれを講じるとなれば、いくら憂沙戯が親しい後輩だとしても、排除しなくてはならない対象となる。手を抜いている事実は、しかし情報遮断膜ヴェールによって外部隔離されているため露見していない。が、それも時間制限つきだ。

 憂沙戯がなにを言っているのか、理解出来ない。

 しかし、それでもはっきりしていることが三つだけあった。

 ひとつは憂沙戯が正気を失い、敵対していること。もうひとつは、どういう方法かは解らないが、憂沙戯がキメラを従えていること。そして最後のひとつが、憂沙戯が明らかに“限度を越えた道具の使い方”をしていることだ。

 幸いなことに、うち二つはすぐに判然とした。


『霞臥さん!』


 通信が入った。翔兵だ。

 ちらりと彼のほうに目を向けると、羨ましいことに詩織とコンビネーションを発揮してキメラの群れを掃討しているところだった。こちらもランデブーと洒落こみたかったが、殺意丸出しに向かってくる憂沙戯に、それを望むべくもない。


『こいつらをトレースしました。すぐにデータをかれんに解析して――』

『もう解析は完了しました』


 矢継ぎ早に真心かれんの声に切り替わる。

 流石は真心。早くも中継ドローンの設置を完了したらしい。瞬時に解析も終わらせるとは、まったく恐れ入る。

 声を意識の片隅に聴きながら、霞臥は憂沙戯を迎え撃つ。


『研究所一帯の民間人の退避完了の報告を。通信機材配置に伴い、そちらに“応援”を送りました。……勝手ながら視界ARにドアを開かせて貰いましたが……事態はどうやら芳しくないようですね。なぜ月野憂沙戯と戦闘中ですか?』

『知らねーよ! それは俺が教えて欲しいくらいだ!』

『ですか。まあ、なんにせよ取り込み中のようなので、簡潔に。多重因子生物たちは、イルカのように独自のコミュニケーションを用いて連携しているようです』

『イルカ……超音波か?』

『いえ。クリック、バースト・パルス、ホイッスル音などとは違い、これには高度な物理法則を用いたセキリュティが掛けられ、傍受はおろか干渉すら難しい。手段を断定することはできませんが、恐らく量子通信かと――危ない!』

「ちょっ――!」


 憂沙戯のフェイントに引っ掛かり、おっかなびっくり鼻先で電磁ナイフをかわしつつ霞臥はうめく。


『っぶねえ! いま死にかけた!』

『私も見ているだけなのに冷や汗ものでしたよ。……ちょっと怖いので、眼をつぶらせて貰いますね』


 おい、と思う。


『つか、待てよ。量子通信って、こんな海底で量子中継器もねえのにか?』


 究極的にセキュアなネットワークによる安心安全な現代社会において、量子通信はもはやメジャーであり、スタンダードだ。量子ネットワークでは、エンタングルメントの技術によって、データは量子状態として光ファイバーリンク、または空気中を経由して通信が行われる。

 だから、電波通信と同じく、水というのは大きな遮蔽物となる。キメラだって霞臥らと同じく、地上へと繋がる中継器が無ければ通信は不可能のはず。

 だが、真心かれんはきっぱりと言いきる。


『多重因子生物らが通信可能なのは、中継器を設ける必要がないからです』


 その意味をすぐには理解出来なかった。

 憂沙戯と戦闘中というのもあったが、勝手な思い込みからその可能性を最初から検討していなかった。


『つまり、海底プラント内で専用の量子ネットワークが構築されているということです』


 真心かれんの言葉にハッとする。

 驚きに意識を削がれ、疎かになったガードの合間から憂沙戯の拳がねじ込まれた。まさに頬を引っ叩かれる思いだった――なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのか。こんな広大な施設で、通信を行えないはずがない。内線があって然るべきである。

 盛大に床をすっ転びながら、霞臥は思考する。

 憂沙戯が指揮をとり、キメラが連携を謀れるのはその量子通信の恩恵だろう。憂沙戯の異常こそ判然とはしないが――しかし、通信によって外部干渉を受けているのは確実だ。

 だったらその大本を潰せば、憂沙戯を正常に戻せる――かもしれない。

 受け身をとり、体勢を立て直す。捨て駒の遮蔽物とばかりに突っ込んでくるキメラを≪阿修羅≫で斬り伏せ、返す刃でその陰から煌くナイフを弾く。

 火花が散ると同時に、憂沙戯は軽やかなバックステップで距離を置いた。


『ただひとつ。懸念としてあるのが、およそ人間とは比較にならないほど小さい脳を持つキメラまでもを操っている点です。施設内すべてのキメラをシステムが統括しているのであれば、それは高度AI並の処理能力に匹敵しかねない……現実的に考えれば、あり得ない話です』

『連続自殺だのキメラだの、ありえねーことが現実起きてんだ。いまさらそれが増えたところで、別段なんとも思わねーよ』


 なにより、その“あり得ないこと”の元凶が、この場所にあるような気がしてならない。

 考えてみれば、霞臥や翔兵らはもちろん、憂沙戯だって糸を手繰るうちにこのプラントに行き着いたのだ。


「……ともあれ」


 目的は定まった。

 しかし、目下の憂沙戯(御乱心)をどうにかしなければ、大本を探ることすらできない。

 霞臥は見据える――五メートルほど先、憂沙戯の姿。

 正直言って、彼女を抑えることが一番の手間だ。二重の意味で。

 ≪致命的な道具≫は有用ではあるが、万能ではない。刹那的に≪陽気な兎≫を使用するならともかく、こうして常時身体を拡張していては、すぐにガタがきてしまう。車のアクセルを踏みっぱなしにしているようなものだからだ。

 そして、霞臥が後輩である憂沙戯に苦戦している理由もそこにあった。

 フルスロットル状態の憂沙戯は、一瞬だろうと“間”を与えようとしない。

 感覚的に理解しているのだろう、人間が最も隙を生む“息を吐いて吸う瞬間”を狙って攻撃を仕掛けてくる。人は力を入れる際に無意識的に息を止める。緩める際に息を吐く。その力の切り替えのタイミングを突かれるというのは、どうしても後手に回らざるを得ないということだ。

 たとえそれがコンマ数秒の一瞬だとしても――その一瞬が、拡張された月野憂沙戯にとって、どれだけ有益に働いているのか、もはや言うまでもない。

 憂沙戯の持つ銀色の刀身がきらきらと光を零し、その電磁ナイフがぴたりと“自分の顔の横”に構えられる様に――気付かないうちに距離を詰められていることに――息を呑む。

 霞臥には感覚出来ない一瞬の虚。

 意識の間。

 そこをつかれ、コンマ遅れて辛うじて回避。

 が、憂沙戯はその動作に合わせ、霞臥が最も遅れるだろう位置取りに切り替え、防がれることを前提とした初撃。あえて防御させ相手の行動の択を奪いつつ、二の矢、三の矢を放ってくる。詰将棋のような戦法だが、これは憂沙戯だからこそできることであって、やられてみればこれほど厄介なこともない。

 彼女に傷を負わせないよう単調に振るっていた≪阿修羅≫も、流石に読まれてきた。

 周囲には無数のキメラが取り囲み、一定のスパンで送られてくる。その度にやはり≪阿修羅≫を使わざるを得ず、周囲に意識を回しつつ憂沙戯を相手取るのは、流石の霞臥も骨だ。

 憂沙戯に回せる≪阿修羅≫は、五つのうち、せいぜい二つ。

 そのひとつの斬撃を最小動作でかわし、接近を許したと思えば間もなく強靭な蹴りが飛んでくる。ガードに片腕を使えば、死角方向から拳打。ユニットを滑り込ませれば視覚が増え、感覚域の広い憂沙戯に有利になるため、中途半端な武器はかえって邪魔になる。

 霞臥は冷静にそれをいなすが――しかし、遠心力をもった憂沙戯の手首に繋がれたハンドルが巻き付き、霞臥の腕を絡めとった。その腕に重心を投げ、憂沙戯が軽やかに地面を蹴る。いきなり前方に体重をかけられ、霞臥の身体はバランスを失う。

 再度地面に身体を打ったときには、霞臥の首は鎖に掛けられ、背に憂沙戯が乗っかっている形となっていた。


「≪阿修羅≫ッ!」


 しかし、一進一退の攻防は変わりない。

 憂沙戯がナイフを降り落とそうする動作にコンマ遅れて、≪阿修羅≫が無造作にも背後を薙ぐ。それを察知した憂沙戯は、≪阿修羅≫に鎖を切らせて、再度距離を置く。

 要するに瞬間的に接近して、利益が出たらさっと引く。これほど的確なヒット・アンド・アウェイも憂沙戯だからこそ成し得る芸当――ただ、今回はおまけがついていた。

 カチン、という音が聞こえ、霞臥の顔の間横で黒い塊が床を叩いた。

 手榴弾だ。


「あっ……」



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