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早朝から迷惑にもコール入れてくる輩がいて、自宅マンションのソファーにて絶賛爆睡中だった銀守霞臥は執拗にも繰り返し頭に鳴り続けるそれを切ろうと視界ARを開き、着信先を見たところで、それが軍の第一部隊隊長である久那霧イリアであることを知り、本気で出ようか無視しようか悩み抜いた末に無視を決め込み、しばし現実から目を逸らし夢の中へ逃亡を計ろうと寝返りを打ったそのとき――ふと、窓から差し込む陽日に目がゆき、窓ガラスの奥のベランダに黒い軍服を着た真っ赤な髪色の女性――久那霧イリアが立っていることに気が付いた。
「…………」
イリアは相変わらずの仏頂面で、律儀にも窓を二回ノックしたのち、こう言った。
「おはよう銀守。なぜ無視する?」
嫌なところを見られてしまった。
というか、六階だぞ……ここ……。
「……お前なにしてんの?」
「話せば長い。とりあえず、中に入れてくれないか?」
「…………」
自分の知る限り、一番の危険人物を自室に招き入れることに躊躇はあったが……しかし、霞臥にはそれを断れる理由を持たない。
内部固有端末から家内システムのセキリュティロックを外し、窓の電磁ロックを解除する。
イリアは靴を脱ぎ、丁寧に置き並べて部屋へと上り込む。
「少し散らかっているな」
「余計な御世話だ」
霞臥はソファーから身体を起こす。
興味深げに部屋を観察するイリアは、どこか所在なさげだ。
「……で? なんだって一部隊の隊長サマが朝っぱらから俺んとこに?」
置かれた鑑賞植物の広く平たい葉をつんと突く背中に、霞臥は問いかける。
トゲを含ませたのはわざとだ。
イリアは元々霞臥たちの上司ではない。
そんな意図を汲んだのか、イリアは少し寂しそうな顔をする。
「いまは兼任で君らの隊長でもある」
イリアは胸を張り、霞臥に凛とした眼差しを向けて、
「部下の元へ足を運ぶことは、そんなにおかしいことだろうか?」
「……時と場合によりけりだ」
くしゃくしゃと頭を掻き、霞臥は立ち上がる。
「どこへいく?」
「隊長サマが来たってんのに、なにも出さないわけにゃいかないだろ。コーヒーでいいか?」
「自分は煎茶でお願いしたい」
「そんなもんはねえ。コーヒーで我慢しろ」
ならばなぜ訊いた……と、ぼやくイリアを後ろにダイニングキッチンへと向かう。
マグカップを下部に設置、オートメーカーのボタン押すと、香ばしい挽きたての豆の香りが鼻孔をくすぐった。寝起きの頭が、徐々にクリアになっていく。
……わざわざイリアが自宅に来るとは、正直言って不吉だ。
セカンドエリアで起こった<連続怪死事件>。それの調査を霞臥らに振ったのもイリアだ。もしかしたら事件の進展があったのかもしれないが……それでも部下の自宅に、しかも早朝から押しかけてくるとは思いにくい。軍機密情報でもないのだから、簡単な通信連絡で済む話だ。
察するところ……イリアが押し掛けた理由のひとつに、『口頭でしか伝えられない』というのも含まれているのだろう。
「……となると、また任務……か?」
うわ、めんどくせ、と思う。
考えれば考えるほど不吉に思えてきた。
霞臥は、ちらり、とリビングのほうへ目を向ける。
軍服の赤髪の女性は、ちょこんとソファーに正座していた。
「…………」
なぜに正座?
しかも、そんなとこに座られたら霞臥の座る場所がない。
……俺はどこに座ればいいのだろうか。まさか隣同士並んで座りたいのか?
勘弁してくれよ、と考えに口元を引き攣らせていると、オートメーカーから注がれる音が止む。霞臥は両手にカップを持ち、リビングへと向かう。ちょっと悩んでから、テーブルの対面――フローリングの床の上に腰を降ろした。
「ありがとう」
差し出したコーヒーに御礼を述べるイリアは、そのまま本題へと移る。
「要件は二つだ」言って、懐から手帳タイプの小型端末を取り出し、「昨日の発砲事件だが、あの容疑者を覚えているか?」
「ああ」
霞臥も現場へ向かったので、それは当然覚えている。
イリアの言う容疑者――『伊藤タクヤ』はAR広告代理店で勤務していて、その日は会社が休みだったのだが、なぜか出勤し、窓ガラスに頭をぶちつけ続けるという奇行に勤しんでいた。
その現場を偶然にも目撃したのが、霞臥の後輩である月野憂沙戯で、自傷行為を止めに入った際に拳銃で発砲され、事件となる。
現場に駆け付けた霞臥は、無傷で制圧する彼女と、血まみれの伊藤タクヤを見、『またやらかしやがったよコイツ……』と思ったものだが、後の調査で憂沙戯は本当に被害者であることがわかった。
……そういえばあの後、憂沙戯ちゃんはどこへ行ったんだろ。
……少し様子がおかしい気がしたけど……またなにか企んでるんじゃねーだろうなぁ……。
ともあれ。
昨日の事件も、一連の怪死事件と関連がないとは霞臥も思ってはいなかった。
それは確信的なものではなく――自殺と自傷という奇行が、どこか似ているような気がしていた程度だが。
「あいつがどうかしたのか?」
霞臥の問いにイリアは一呼吸おいて、
「留置場で死んだよ。自分の舌を引き抜いてな」
と。
「驚かないのか?」
「……いや、驚いてはいる。けど……」
歯ブラシ自殺から始まり、次にステーキナイフでの自殺……刑務所らんちき騒ぎからの脳死ときて、今度は自分の舌を引き抜いての自殺ときたのだから、驚くには驚く。
だが、その程度でイリア自らが動くとは、やはり思えない。
この話はまだ先があるのだろう――あるいは、なにか事件の糸口を掴んだ……か。
霞臥は、「続けてくれ」と先を促し、イリアは頷いて端末を開き、起動させた。
浮かび上がったのは、もはや見慣れた人間の脳みその断片化された映像。白いぶよぶよしたプリン――その側面、ちょうど人間の両耳あたりから極細のコードが引かれ、脳の中心位置で小さな機械が白太い疑似神経によって脳幹と繋がれている。
NLOインプラントだ。
それを形成・維持するためのナノプラントも取り付けられているはずだが……マイクロサイズの機器は、さすがに目視できない。
そこで霞臥は異変に気が付いた。
「これ……」
「そう」
綺麗に繋がれていなければならないはずの疑似神経が断裂し、小脳が褐色に変色していた。
それがどういう意味を齎すのか――イリアは続ける。
「NLOインプラント・リンカーと脳を繋ぐ疑似シナプスが焼き切れていた……いや、焼き切られていた、と言ったほうが正確かもしれん」
「どっちにしたってオーバーヒートってのは間違いないだろ。リンカーがエラーでも起こして発熱でもしたってのか?」
「その可能性はゼロだ。NLOインプラントは、それ専用のメタマテリアルによって配線から全て作られている。ナノマシンも体内電子から動く有機のものだ。脳だけでなく、免疫によって発熱作用することも考えられない」
「……絹糸ちゃんには見せたのか?」
絹糸――開発室の羽衣絹糸は、軍内随一の機械工学者でもある。
彼女なら、原因がわかるかもしれない。
と、そう思っての発言だったが、しかしすぐに否定される。
「無論だ。いの一番に見せた――」
イリアは目蓋に影を落とし、思い返すように目を閉じる。
「――が、羽衣絹糸も原因はわからないと頭を抱えてしまった。『……あぅ……ご、ごめんなさい、絹糸がわからなくて、ごめんなさい』……とな」
「……そっか」
「うむ」
「……絹糸ちゃんて、可愛いよな」
「うむ」
重々しく頷き合う二人。
きっと絹糸は涙目であたふたしながら平謝りしたのだろう。
その姿は簡単に想像できた。
「……まあ、そんなことはいいんだよ」
「無論だ」
「だいたい読めたぜ。問題は被害者の脳の異常――ついでに異常行動の究明ってとこか。だけどよ、それを俺に任せようってのは、ちょっち荷が勝ち過ぎねえか? 絹糸ちゃんにもわかんねーのを、俺らがどうにか出来るとは思えねえんだけど……」
透過するホロの向こう側で、イリアは片目を開き、薄い笑みを浮かべる。
「相変わらず聡明だな銀守。真心ひれんも良い部下を持っている。話が早くて助かるよ――と、言いたいところだが、実はそうじゃない」
「……というと?」
赤眼に色付かせるイリアに、霞臥は眉をひそめつつ訊いた。
「公にはしていないが、先週海岸に“奇妙な生物”が打ち上げられたのは、お前も承知だろう? あれの解剖の結果が、伊藤タクヤの損傷した脳神経と類似した点がいくつかあった」
そこで霞臥は、「ん?」と思う。
「ちょっと待てよ。それってもしかしてさ、あの生物の頭ん中にリンカーが入ってたってことか?」
「……驚いたな。お前は本当に話が早い」
目を丸くしたイリアは感心したように頷き、
「そうだ。異形生物の脳内にNLOインプラントが備えられていたんだ。第一発見者である漁師が生物の声を聞いたと述べていたが、恐らくは範囲通信から漁師のインプラントに干渉したんだろう……まあ、それはさておき。検出されたインプラントを羽衣絹糸に預けてみたが、内部データは完全に消されていたらしい。ファームウェア制御と、落とし込まれていたASTS(Action Standard Transmission Sort)履歴もバックアップも、インプラント製造元のシリアルから文字通りすべてな。少しばかり気味が悪いとは思わないか?」
「……気味が悪い……っていうか……」
通常、それはあり得ない話だ。
情報社会の現代において、リンカーは社会と個人を接続する生命線で、身分証であり、財布であり、プライバシーそのものだ。
だから当然、そのセキュリティは当然超厳重で、幾重にも保険が掛けてある。一昔前ならともかく、現在の個人認証管理は並列された情報セキュリティ会社によって統合管理され――街を歩き、買い物をするだけでも無数のログが必ず残るのだから――それらすべての痕跡を末梢し、製造元のデータすらも消失させてしまうとは、ジョークにしても度が過ぎている。
さらに言えば、人間に書き込まれる経験や知識――NLOインプラント思考制御操作のための高機能トランスミッター類や、行動基準伝達(ASTS)アプリケーションなら、人の脳に直接干渉する手前、セキュリティレベルは最大と言っていい。つまるところ、個人情報の保全というのは現代にあって、航空管理、軍事、医療と並んで致命的な業務とされている。
それに、イリアは絹糸に預けたと言った。
恐らく依頼内容は、記憶、記録のサルベージだろうが……それは絹糸の持つ『致命的な道具』、≪真紅の絹を織る者≫を使用してもなお、問題の一糸すら掴めなかったということになる。
「……もし仮にだ」
霞臥は言う。
「もし仮に、それを行った犯人がいたとして……そいつは人間か?」
「無論だ」
イリアは頷く。
そこに一切の迷いは見受けられない。
「現代機器類のほとんどが、高度AI『ウラヌス』によって認可が下りたのち、一般に普及されている。この国の社会システムである『ウラヌス』が“人間の道具の管理”を誤ることなどあり得ない。仮に犯人がいたとすれば人間であり、高度AIと肩を並べるか……考えたくはないが、それ以上の能力……技術を持った者……と、なるだろうな」
「……仮に、だよな?」
「無論だ。そんなことは万が一にもあり得んよ。いくら人間の機能性が拡張されようとも、高度AIを上回ることはない。とても人の脳に納まるメモリでは済まないからな」
複雑な人間脳を高度AIが解析変換しようとも、その逆はあり得ない。人間が機械を管理する世界は、2000年代から始まり2050年代には逆転した。思考機器、つまりAIによるサポートなしでは、すでに人間は社会を回せなくなっている。
とりあえず、これがひとつ――とイリアは区切りをつける。
「もうひとつは、月野憂沙戯についてだ」
「……憂沙戯ちゃん? 憂沙戯ちゃんがどうかしたのか?」
ちょっとギクリとしてしまうのはなぜだろうか。
イリアの重い口ぶりに内心、「やっぱりやらかしやがったか」とか思った霞臥ではあったが、
「追って訊きたいことがあって連絡を試みたのだが、なぜか圏外でな。気になってGPSを辿ってみたが、やはり反応がない。インプラントから送られる信号が消失――自宅のマンションにも、どうやら帰っていないらしい」
「はあっ!?」
霞臥はうめく。
「憂沙戯ちゃんが家に帰っていない!? あり得ねーだろ、それ!」
怪死以上の衝撃に、思わず声を荒げてしまった。
それは異常だった。
霞臥の知る限り、憂沙戯は根っからのゲーマーで、「一日六時間以上のゲームプレイ時間をとらないと、わたしが発狂して世界がヤバいっ!」と自ら豪語しているのを耳が痛くなるほど聞いていた。その意味こそわからなかったが、現に憂沙戯は任務が終われば一目散に帰宅し、平日だろうが休日だろうが引き籠ってゲームに勤しんでいる。一度、彼女の家に行ったことがあるが、客である霞臥を完全に無視して終始ゲームに熱中していたほどだ。
そんな憂沙戯が一日でも家を開けるなんて、よほどのことがない限り考えられない。
驚愕の体で身を乗り出す霞臥を前に、イリアは啜ったコーヒーを静かにテーブルへと置き、
「最後に信号が確認されたのが日本海海上――ポートシティと呼ばれる次世代環境都市だ。昨夜、月野の信号はそこを最後に消失している」
「……情報遮断膜か?」
「その可能性もあるが、あの場所には“とある海底施設が設けられている”。海洋生物の研究所とはまた別にな。海水が電波を通さない――正確に言えば阻害する働きがある――のは、お前だって知っているだろう? 入り込んだとすれば、そこだ」
……で、何らかのトラブルに巻き込まれた、と。
人間機能を遺脱せしめる彼女の身を案じる必要性は皆無だが……やはり、万が一ということもある。
やれやれ……出来の悪い後輩を持つと大変だ。
「……なるほどな。状況は把握したよ」
霞臥はすっと立ち上がる。
「すぐに向かうのか?」
「当然。後輩の面倒見るのは先輩の仕事だろ? それに……」
胸のうちに燻る憤りもあった。
……行くなら行くで、一声かけろってんだ。
俺たち仲間だろ。馬鹿野郎。
「……勝手気ままやる憂沙戯ちゃんに、ちょっと腹立ってきた。探すついでに、お灸据えてとっちめてやる」
唇を尖らせる霞臥に、イリアは小さく微笑む。
「偶然にもポートシティには、準備室の真心かれんが別件で滞在している」
「真心……ひれんのおねーちゃんか」
「“姉妹機”だ。仔細はアレに伝えてあるから、詳しくは向こうで訊いてくれ」
「……りょーかい」




