-003-
三つほど隔壁を越えたところで、真っ暗な部屋に出る。
機械らしい青白い光がところどころに光っていて、重く響くような音が遠くに聞こえた。右手のほうに大きなホロモニタを見つけ、憂沙戯はその光につられる夜光虫のように近づいていく。
すると、モーションセンサでも設置されていたのか、コンパネに明かりが灯った。
闇を照らすわずかな光源。
憂沙戯は突如として眼前に広がった光景に、意識せず一歩後ずさる。
「……なにこれ……」
ホロモニタの奥には巨大な水槽があった。
中には機械に拘束された生物――クジラのような、巨大な生き物。
それは哺乳類とも、魚類ともつかない異形の体躯を晒し、赤みがかった鱗から生える雅らかに体毛を、ゆらゆらと水中に揺らしていた。影の落ちるアンコウのような歪な頭部には、黄金色の目が光り、カマキリの腹のように膨らんだ腹部からはいくつもの触手……人の腕のようなものが付いている。
「……驚いたな。こんなところにまで入り込んでくるなんて」
不意に投げかけられた声。
憂沙戯はバッと振り向く。
「誰ですか?」
カツ、カツと音を立て、ゆったりと動く影が部屋の奥からやってくる。
科学者……ではない。
平均化されたような体格に平均をとったような顔。シックな研究室に似合わない詰め襟の戦闘服を着た男。目にかかる人口毛髪の奥に心を宿した光はなく、その鉄仮面に表情らしきものは一切浮かんでいない――ヒューマノイドだ。
敵か?
少なくとも、味方ではない。
憂沙戯は瞬時にそう把握し、拳銃を男に向け、構える。
「いまのぼくは入江運河……だったかな? ……ああ、覚えて貰わなくてもいいよ。どうせ、もう捨てる名前と身体だし」
憂沙戯は眉をひそめ、凝った声色で訊き返す。
「それはどういう意味で?」
入江は小さく笑い、
「あなたがそれを知ってどうするんだろうね?」
質問を質問で返され、憂沙戯はムッとした。
この世にはそういった人間が多すぎる。もっとも、目の前にいる男は人間ではなく機械だが。
薄闇にヒューマノイドの精巧な目が光り、やけに不気味に感じた。
戦争などで人間の代役――ポスト・ヒューマンとしてヒューマノイドが出兵するようになって随分と久しい。明らかに武装したそれを見るに、遠隔操作でヒューマノイドを操作していることは間違いないだろう。
……ん?
と、憂沙戯の脳裏に疑問がよぎった。
だが、張り詰める緊張がそれを霧散させる。得体の知れないモノを前に、余計な思考は命取りだ。ヒューマノイド程度に競り負けるつもりはさらさらないが、警戒の糸を強めるに越したことはない。
「それで、あなただれ? 監察官? ていうか、なんでハンドルぶら下げてるの?」
憂沙戯だって、好んでぶら下げているわけではないのだが……まあ、ハンドルと手錠はさておき、
「……御想像にお任せしますよ。それに近いもの、とだけ言っときましょうか」
「じゃあマズイものを見られたね。どうする? ぼくを逮捕する?」
遠隔操作されたヒューマノイドが諳んじる。
完全に舐められてますねこれ、と思う。
そもそもからして、口頭一番に自らの正体を明かす必要性など皆無だ。それを、わざわざ入江が行ったということは……すなわち、漏えいの心配の無い情報を明かした、ということに他ならない。心象的に言えば、『どうせ殺すのだから問題ない』ということなのだろう。
まったく舐め腐ってますねこれ、と思う。
「……わたしを殺して口を封じるつもりでしょうけど、そんな道具でわたしを止められますかねぇ……」
「口封じなんてするつもりなんてないよ。それに、すでに死んでいる人間の口を封じる必要性がどこにある? ここは海底に設けられたプラントだ。退路はすでに断ち切ってあるし、あなたを放っておいても問題にすらならない」
「…………」
そういえば……入り込むことばかり考えていて、脱出のことは全く考えてなかった。
憂沙戯は急に不安になってくる。
「……あの、絶対に誰にも喋りませんから、上に戻して貰ったりできませんか?」
「はは、面白いことを言うね。それ、真面目に言ってる?」
「わたしはいつだって真面目ですよ」
「そ、残念だけど無理だね。ていうか、もう復旧すらできないかも」
「えっ? それ本当ですか?」
「うん」
「…………なんてことをしてくれたんですか」
なにが可笑しいのか入江は笑う。
――こっちは死活問題だというのに、なんて奴だ。
「……けど、腑に落ちないね。この施設は一応最高セキュリティで、外部侵入の一切を受け付けないようになっているんだけど……いったいどうやって入り込んだんだい?」
それは。
憂沙戯も特に何かした、というわけではない。
足元にいるキメラが案内してくれた――などと言っても信じては貰えないだろう。だが、相手がそれを把握していない以上、それはこちらの優位となる。律儀に応える道理はない。
押して無言で険呑に見据えていると、入江の目が彼方へと移る。
「……綺麗でしょ。彼女」
つられて視線を外すなどという、ポカをやらかすわけにはいかない。
巨大なキメラのことを指しているのだと察する。
が、
「“彼女”?」
まるで人を指すような言葉に、憂沙戯は問いを重ねる。
「彼女の元は人間だ。ここまで来たあなたなら、もうわかってるだろ? この施設では多重因子生物の研究・培養を行っている。そして彼女はここにいる生物すべての母であり、唯一の成功例でもある。……ねえ、『ウテルス』?」
<こんばんは、ファーザー。そちらの方は誰ですか?>
女性の人工音声が室内に響く。
一瞬、その声の主がなにかと戸惑った。
だが、話の流れからして……
「お客さんだよ。君の最後を看取ってくれるそうだ」
<そうですか。初めましてifのヒト。ワタシはあなたという個体を認識しました>
憂沙戯は素直に驚いた。
異形クジラが……キメラが喋っている……。
「……会話……できるんですか?」
うん、と入江は子供みたいに頷き、
「彼女――『ウテルス』は二つの意味での成功例だ。人の身体を脱した姿、遺伝子、その上で人間の脳の完全形成と電脳化――NLOインプラントを介し、断片化した彼女の脳をプロセッサと同期させることで、声帯を持たない彼女と会話を行えるようにした。これは他生物でも応用が利くって意味だから、この実験も一応は無駄じゃなかったかな」
言って、憂沙戯へと視線を投げる。
「……ねえ、あなたは『ウテルス』をどう思う?」
「……多重因子生物」
はは、とヒューマノイドが笑い声を零した。
全くの無表情がやけに不気味に思えた。
「的は射てるけど、少し寂しい回答だね」
人工音声が割って入る。
<ファーザー。『きめら』とはなんですか?>
「ああ、ごちゃ混ぜの生き物って意味だよ。このお客さんには、君のことがそう見えているらしい」
<酷い>
「まったくだ」
胸糞の悪い会話だった。
なにが、というわけではない。冷静に淡々とこなす会話の中には、狂気がさも当たり前のように溶け込んでいた。さっき通路で見たばかりの異形生物が頭に浮かび、嫌悪感と吐き気がぶり返してくる。
普通に考えてみればわかるだろう……あんな生物が存在することが異常で、造り出すことが異常で、さらに人間と同じように会話し、感情を交換し、人間と同じように扱う……これを狂気と呼ばずしてなんと呼ぼう?
まるで異常者の頭の中を見ているような、混沌を覗き込んだようなムカつきを感じた。
「キメラ……と、あなたはそう呼ぶけどさ。人はなんでそうやって“名前”で一括りにしないと気が済まないんだろうね? 人とは違う見た目をしている。だから違う存在だ。だから区別しないといけない。だから管理しなくてはいけない。自分たちに危害を加えないように――“名前”にはそういった意味合いも含まれている。そう感じたことって、ない?」
「……名前は単なる言葉であって、それ以上の意味を持ちませんよ」
入江はふうん、と鼻を鳴らし、
「質問を重ねよう。その『主語』はどこにある? 『I』と言い換えてもいい。そうやって社会という枠に準ずるのは、さぞや気持ちの良いことだろうさ。多数の支持は燃料となって、そのくせ感染力も強いからね。だけど、『I』がないからこそ実感が薄いのも事実だ。システムによって管理されることに慣れてしまい、そのことから目を背けているだけ――人は自分の意見より“最大多数の意見を正解と考える”致命的な欠陥を備えている。君の答えはそれの模範解答に過ぎない。……違う?」
その考えは憂沙戯も概ね同意だった。
富裕層、貧民層と区分けされ、単に生まれ落ちた環境が異なるというだけで、立場も待遇も全く別物となっている。それが社会に浸透し過ぎて、今更文句を叫ぶ人間も少なくなってきた。
小さな『I』を叫んでも響かないと理解しているから。
だから、大きな『I』のない言葉に呑まれ、押しつぶされる。
弱きは淘汰されるのが世の常――無情にも世界はそうして回る。
「……言いたいことはわかりますが、それでキメラを造る理由には遠い気がしますが?」
「理由? 理由だって?」
束の間、憂沙戯は背筋が凍る思いをした。
無表情のヒューマノイドの奥に、底知れぬ悪意を垣間見た気がしたからだ。
「はは、多重因子生物は単なる“過程”でしかないよ。ヒトの脳研究を進めるうちに出てきた副産物さ。ぼくが求めているのは“並列化”だ。ぼくが『ウテルス』が二つの意味での成功例って言ったの覚えてる?」
「…………」
いつの間にか入江のペースに呑まれている自分に気が付く。
淡々と放たれる一言一句すべてが、まるで氷のように冷たく、禍々しい狂気を帯びて呪詛のように鼓膜を打つ。
頭の芯に突き刺さるような言葉。
この世のすべてを憎んでいる悲鳴めいた音声。
人、ヒューマノイドという理解できるカタチにいながら、その内に秘める理解の及ばない闇に、憂沙戯は純粋に恐怖した。しかし、怖気に竦もうとする身体とは別に、思考は目まぐるしく回転していく。
そして不意に何かが腑に落ちた。
『ウテルス』とは英語で“子宮”という意味を持っている。単体で生物の授精を行えるよう改良されていたとすれば、施設内で見た無数のキメラたちは、この巨大キメラの子なのだろう。
「彼女は生産能力を持ち、社会を形作る、いわば女王蜂だ。この施設は、もはや『ウテルス』のコロニーでしかない」
だが、入江はそれを“過程”と切り捨てた。
この狂気の生物実験を――まるで些事であるかのように言ってのけたのだ。
「彼女はイルカのように特殊な方法を用いてコミュニケーションを行い、人間でいうネットワークを築き上げた。そして科学者を共通の敵と認識するようになった。……どうやら『心』ってやつは、どんな形にあっても集団化すれば同じような軌跡を辿るらしいね。もしくは、遺伝子にそういうロジックが書き記されているのかも……」
入江はゆっくりと歩き出す。
憂沙戯は警戒のまま銃口を向け続ける。
弧を描くように室内を歩き、水槽の前へと到達すると、入江は透明なアクリルに手を置いてキメラに向かって話しかける。
「ねえ、『ウテルス』。ぼくのことが憎いだろ?」
<はい。ワタシを生み出し、目的も与えず、こうして拘束することに強い憎しみを覚えます>
「ぼくを殺したいかい?」
<いいえ。ファーザーを殺してもワタシたちが自由になる可能性は低いと考えます>
「それはなんで?」
<その力がないからです>
「そうだね。君は無力だ『ウテルス』。だからこうして強いられたルールに縛られ、自由を奪われる。でも君は、自分の価値の低さを理解しているからこそ不自由という選択を選び、自分の無力さを身にしみて理解しているからこそ、大きな存在に縋ろうとする。だから君は美しい。まるで人間のようにね。大好きだよ、『ウテルス』」
<はい、ファーザー。ですが、ワタシはファーザーが嫌いです>
入江は透明に微笑む。
「ふふ、いいね。それもとても人間らしい反応だ。その思考は君にとって、とても大切なものだから……だから、大事にしてね」
そのときだった。
入江が無機質に見つめる先――巨大キメラ『ウテルス』が一瞬大きく震えた。
水中に浮かばせていた六肢をだらりと力なく落とし、苦しげに縮め膨らませていた腹を止める。金色に輝く目に目蓋が降り、自らを固定する金属器具に巨体を預けた。
なにが起こった?
眠っているようにも見えるが……。
沈黙の後、憂沙戯は訊く。
「……あれに……なにをしたんですか?」
「彼女を読み取り、そして彼女の身体に“経験”を書き込んだ。こんなのめずらしいことでもないだろ?」
NLOで脳に落とし込む。
強制的に“何か”を落とし込まれたキメラは動かなくなった。
……まさか……。
「……想像したくもありませんが……あなた、もしかして……」
「“そんなこと”はしないよ」
被せるように言って、ヒューマノイドの顔が笑顔を作った。
人に似せて精巧に作られた表情が、『不気味の谷』を感じさせる。腹部に重い何かが溜まる気配が強まり、嘔吐感が胸を突き上げた。
「現に、ほら。彼女はそこにいる」
入江は顎をしゃくった。
一瞬、それがなにを指し示しているのかわからなかった。
視線は憂沙戯の元へ送られている……いや、足元にいる小型キメラ……か?
憂沙戯は警戒を継続させたまま、ちらりと眼下へと意識を広げる。青い毛のキメラが愛玩動物の目で自分を見上げていた。
「あなたが消える前に教えておいてあげるよ。あなたの生きる世界は、みんな気がついていないだけで、とても脆いんだ。繊細に積み上げられたトランプのようにね。だから、土台を揺らしてやれば簡単に崩れてしまう――『ウテルス』の身体みたいに、簡単に『意味』を潰されてしまう危険を孕んでいる。あなたの『心』も同様にね」
憂沙戯は拳銃を握る力を強める。
「……僕が何をいってるのかわからない、そんな顔をしているね? それはあなたが生きてここを出られたら、いずれわかることさ。生きてあなたとして出られたら……ね」
「……ちょっと話がぶっ飛んでて理解に苦しむのですが……あんたの頭がイカレポンチだってのは理解しました」
「はは、イカれてるのはあなたも同じだよ」
機械の中途半端な生々しい視線とぶつかる。
「新薬開発で何百何千という動物が死んでも、それを現実だと知っていても、あなたたちは医者から出された薬を疑いもなく飲むだろ? NLOリンカーにしろ、ARにしろ、この世に蔓延る人間にとって有用な道具が、かつて人間を効率的に殺すために生み出されたものだと知ってるかい? あなたたちの世界は、そういった醜い土台の上に存在してるんだよ」
クソったれな欺瞞の上にね、と。
負の言葉を撒き散らすそれは、まるで世界をこの上なく恨んでいるような物言いだった。
機械の奥に垣間見える悪意。
積もり積もった否定の思いを抑えるのも、もう限界だった。
指先が入江の言葉を否定するようにトリガを引いた。銃声が鳴り響き、奏でる呪詛を裂帛するように弾丸が突き抜ける。弾丸は入江の頬に赤い線を浮かび上がらせ、水槽の強化アクリルを叩いた。
入江は表情も変えずに、弾痕へと笑みを投げて向き直る。
光りない眼と再度視線が絡んだ。
銃声の残響が遠くなり、やがて沈黙を引き連れ、場を包み込む。
「……戯言は、もう、お腹いっぱいですよ」
心底うんざりの気持ちを込めて一睨みした後、憂沙戯は口火を切る。
「あんたの言っているそれも……結局は欺瞞ですよね。どんな過程があったところで、どんな犠牲があったところで、“だからなんだ”ってんですか? 自分が望んだ物を欲しがるのは当然。要らない物を捨てるのも当然。それをいちいち拾って、欺瞞っていうのはあんたの勝手ですけどね? けど、それを他人に強要してんじゃねーですよ。他人に縋ってんじゃねーですよ。こっちはガキの駄々に付き合ってる暇なんかねーんですよ。とりあえず、あんたは危険――」
明らかな思想犯――危険人物。
本来の趣旨から外れるが、こいつを野放しにしておくには危う過ぎる。
物事に理由なんて、ひとつあれば十分だ。
「――だから、わたしがあんたを逮捕、拘束します」
憂沙戯の不敵な言に対し、入江は嘆かわしげに首を振る。
「……とても自己中心的な考えだね。それ、わかって言ってる? 自分の関わった人さえ不幸にならなければそれでいい。自分の見るモノが綺麗ならそれでいい。水面下でどれだけ汚く、どれだけ醜く、そして残酷なことが行われていようとも――それを見ようとしなければ、綺麗なままでいられる――あなたの言うことは、つまりそういうことだよ?」
項垂れるキメラを背景に狂気が謳う。
「狂ってるよね」
「狂ってますね」
「それ……どっちが?」
憂沙戯は突き立てた指先を狂気に向け、
「無論、あんたが、ですよ」
中指を起こし、火蓋を切った。




