Phase 6
青年は風呂から上がり、メインルームに入った。
そこは彼の“仕事場”であり、4台のタワー型PCに加え、幅1メートルほどのホログラフモニターが2台並んでいる。
その部屋の側壁には、壁いっぱいを埋めるように量子プロセッサが置かれていて、別室の“作業部屋”には光化学3Dプリンターなど、趣味に使う道具・機器が置いてある。
青年はU字型に配置されたパソコンラックの中心、そこに置かれた回転椅子にふかぶかと座った。
PCに時計型携帯端末をかざし、シリアル認証をパスする。モニターに光がやどり、タイル型ウィンドウマネージャが浮かび上がった。
デスクに投影されたキーボードを操作し、作っておいた解析ツールを起動させて、今日の仕事が終わった。
青年は立て掛けてあったヘッドマウント・ディスプレイを手に取り、頭に被る。
「……さて。いっちょボコってやりますか」
青年はここ数週間をかけて、国の軍事サーバーにクラッキングをしかけていた。
その防壁は厚く、その数も47層と半端ではない。
何度も攻撃用スクリプトを組み直したり、防壁プログラム組んでそれに対する侵入プログラムを作ったりと、侵入の痕跡を残さないように、氷山を溶かすようにゆっくり、そして確実に侵入を重ねている最中だった。
よく映画や小説であるようなハック、クラック描写などを見ると、カタカタとキーボードを鳴らし、さも簡単にやってのけていたりするが、実際はあくびが出るほど退屈で、根気のいる作業なのだ。なにより防壁プログラムを即席で作成するなんて、ナンセンスにもほどがある。前もっての下準備は大切だ。
青年は自作ツールを動かし、半オートマニュアルで進行させてはいるが、それでもかなりの時間がかかる。パスワードを推測するだけでも独自のノウハウが必要になるし、セキュリティーホールの脆弱性を見つけて悪用するのは想像を絶するほど難しい。
しかし――それは常人の話であって、世界が数字に見えてしまう青年にかかればその難易度は極端に下がる。現に、超厳重な中央銀行にクラッキングしプログラムを仕掛けたときも、当時は技術が甘かったこともあるが、それでも数ヶ月で済んだほどだ。
「……マッチング……」
ちなみに。
青年が威勢のいい掛け声とともにやり始めたのは、普通に市販されているネット対戦型格闘ゲーム。
頭を覆うヘッドマウント・ディスプレイ内で、でかでかと表示される360度全方位のゲーム画面。2D画面のゲームもあるにはあるが、いまの主流はこれだ。
青年の視界から外れたホログラフモニターの隅っこでは、クラッキングツールが働く処理画面が静かに動いていた。
「BBP4500か……。退屈させないでくれよ」
画面が切り替わる。
顔も知らない対戦相手が選ばれ、対決画面へと移行する。
青年のやっているゲームにおいてBBPとは、プレイヤーの強さを表す大まかな数値。勝つと対戦相手の強さに比例してBBPを奪え、負けると奪われる簡単な仕組みだ。
初心者を200とし、中級者は1000の壁にぶつかる。その壁を乗り越えた猛者が3000、4000の数値を叩きだしてやっと上級者と呼ばれるようになる。
青年のBBPは11000を超えていた。
桁が違った。
最近の青年の悩みは、勝っても勝っても貰えるBBPが1であり、全然数値が上がっていかないことだった。
青年は対戦ゲームが好きだ。
現実ではコミュニケーション能力に乏しいから――だからゲームキャラクターというインターフェイスを介して、他者と対戦というコミュニケーションをとることが楽しかった。自分も人間らしく振るまえている気がしたからだ。
当然、画面の向こうの人間は青年を見ることができない。そういう匿名性がなければ、圧倒的多数を占める“普通”の人間とコミュニケーションを取れないというのは、少し寂しいものがあった。
そうやってBBPを10ほど増やしたところで、合成音声が彼を呼ぶ。
ニーナだ。
『■■■さま。軍事サーバーへの侵入が成功したようです。ご確認を』
「え、いま対戦中だから忙しいんだけど」
『では後ほどご確認を』
「うん、そうするよ。ありがとうニーナ」
それからまた二時間ほどして。
ようやく青年はヘッドマウントを取り、侵入を終えたツールのホログラフ画面に目をやる。
投影されたキーボードを操作し、中央モニタにそれを寄せた。
そこにあったのは軍事作戦、兵器とその運用、外国政府の情報、諜報活動、外交・国防に関わる科学・技術・経済・インフラなどの情報、核・原子力施設に関わる政府の安全プログラム、大量殺戮兵器の開発・生産・使用――などの情報だった。
七万ほどの情報を、まるで小説を流し読むかのようにスクロールさせる。
(……ふうん……思ったよりつまらないな……)
(……あれ? ……これは……)
ページ最下部にあった最重要機密の文字に目が止まった。その隣には高度AIを示すロゴ。
開いてみると、『人類未到達産物』――という、見慣れない単語が記された書面が現れた。
他にも、
インプラント。
フルメモリーアーカイブ。
反響感知式光化学迷彩。
軍事用FI自立型ユニット。
委託型IA拡張ユニット。
UUCVX。
MA電磁投射砲。
BB内臓型AI。
そして、
「NLO……『ニューロ・リンク・オペレーティング計画』……?」
どうやら――これは軍によって考案された技術データが置かれたページらしい。なぜこんなものがネットワークシステムに接続されているのか、なぜスタンド・アローンにしていなかったのか、少し疑問に思った。
「フルメモリーアーカイブ……永久記憶端末……外部ストレージを宇宙空間に設置、電子化した人間の脳を……テキスト化し、保存する……」
ナノマシンで脳と神経を繋ぐ部位を機械化・構築し――疑似神経を形成。作りあげた疑似神経から脳とコンピュータを繋ぎ、記憶をテキスト化する。
「へえ?」
湧き上がってくる好奇心を感じる。
卓上の理論としては、理に適っているように思えた。それも当然ではある。青年は知るよしもないが、これを設計しているのは高度AI『アカツキ』なのだから。
仮に製作するとなると――部品は光化学3Dプリンターで賄えるとして、ネックになるのが人間の脳という、膨大なデータのシミュレートだ。
人間の脳内では、それぞれの分子が強力なコンピュータであり、それを正確に計るには、膨大な分子間の相互作用を、正確にシミュレートする必要がある。
部屋に置かれた量子プロセッサならば、それに必要とされる性能や容量も足りるかもしれない。それが無理であっても、港に借りてある倉庫には万が一のため、より高性能なプロセッサが保管してある。
「……疑似シナプスか、面白そうだ」
『またお造りになられるのですか?』
ニーナがコーヒーを淹れてきた。
搭載してある人体スキャナーが、青年の体温・心拍数・脳波から欲しているであろうものを予測し、用意させたのだ。これは他のヒューマノイドにはない機能で、青年が医療機器と行動ソフトなどを駆使し、組み上げた機能だ。
少しの音も立てず、ニーナはカップを丁寧にデスクにと置いた。
「人間ってさ、結局は二つに分類されると僕は思うんだ。創造を追究するタイプと、想像を創造するタイプの二種類にね」
『■■■さまは後者ですね』
少年は肩をすくめてみせる。
「僕はこう見えてワガママだからさ、両者でありたいと願うよ」
淹れて貰ったコーヒーをすする。
無表情な青年の目の色が変わった。“コレクション”に加えるに相応しいものだ、と認識したのだ。
「さて、早速ナノマシンの製作と洒落込もうかな」
『■■■さまはナノサイズを目視出来るのですか?』
「……言われてみればその通りだ。まずはマイクロマシンを作ってみるか」
『それでも無理があると思われますが』
「じゃあミリだ。ミリマシン」
……ちなみに。
青年がナノ技術の壁にぶち当たるのは、これから一か月後――ミリマシンとやらを作り上げてからだ。
そもそも、発案からして間違っていたのだ。
体内に置く微小な機器が電波など放とうものなら熱が溜まるし、その電波だって人体が吸収して上手く出せない。……というか、なにより免疫が黙っていない。
思考錯誤の末、最終的にはガン治療などに使われている、投与型光応性ナノマシンを改良するに至った。