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車に乗り込み、発着エリアを出る。
そこに待っていたのは完全な海中だった。
外部から――正確に言えば海中アクア・ラインを走る車の窓から――見たポートシティの全貌は、果たして翔兵の想像とはまったく違うそれだ。
海面に頭を出す串に貫かれた三つのお団子。
その周囲にはインフラを支えるゴンドラルートがくるくると螺旋状に巻かれ、一見すると巨大な三段アイスのようにも見える。
そんな比喩がしっくりきそうな水中立体建造物は大きく三つの層に分けられていており、一番上――海面にあるのが、観光など外部から人間を受け入れるエリア。言わば船着場だ。その由縁からかポートシティと呼ばれているとも聞いた。
表向きは環境都市という名目だが、しかし実のところ観光商業を生業とする面も多く、施設内には屋内ビーチにスライダー、モールなどの娯楽施設が設けられ、バカンスを味わうための最適な環境が整えられている。
『二層』は住居区。『一層』で働く人たちが住み込み、観光用とは別のマーケットなどが展開されている。言ってしまえば、華やかな『一層』の舞台裏だ。
そしていま翔兵たちが全自動車で向かっている『三層』が海洋生物モニタリング拠点。発着ゴンドラの中継地点で、つまり『海洋生物研究所』のある層らしい。
向かう大型全自動車の車内、入江は饒舌に弁垂れていた。
「――地球表面の約70%は海であり、その約80%は深海です。深海は地球生命圏を正しく循環させる大きなポテンシャルを持っていると、私たちはそう睨みました。ポートシティは大気・海面・深海・海底を垂直に統合することにより、深海・海底という資源を最大限に活かすよう作られています」
説明のために流されるARのレジェメ。
海底火山の熱エネルギーで電力供給。
非常用に大型偏光性メビウス・ジェネレーターを複数基完備。
海底プラントでの食物栽培に始まり、漁業、海水の淡水化浄水施設。さらには潜水艇の深海港まで設けられ、軍の潜水艇の電気・水・酸素補給や物資援助にも一役買っているという。つまりは外部隔離されても自給自足可能な都市、ということだ。
愉快そうに語る入江は、まだ話足りなさそうだったが、
「……するってーとつまりだ、ミスタ。その研究所には、あとどのくらいで着くんだ?」
うざったそうに不動が口を挟みこむ。
「ざっと一時間くらいですね」
「……おいおい……マジかよ……」
不動は、いかにもうんざりといった様子でシートに深く沈み込んだ。そして一応はもう既に仕事は始まっているにも関わらず、「寝るわ。着いたら起こしてくれ」と、そう言って沈黙した。
……まさに名の通り不動だな、なんて思ったりする翔兵ではあったけれど、それにいらつきを覚えずにはいられない。なんだかんだで翔兵は責任感が強い。任されたことに対して真摯に向き合う性格なのだ。そんな真っすぐな性格もあってか、妹のゆゆには良いように使われている。
「……私の話……つまらなかったでしょうか……」
まるで捨て猫のような目をして、入江はしょんぼりした。
「いえいえ、不動さんがこういう話が苦手なだけですから。ワタクシとしては興味が尽きませんよ。それより――これから行く研究所ではどんなことをされているので?」
「“海洋哺乳類の脳”について研究しています」
「脳……ですか。哺乳類っていうと、クジラとか?」
「そうですね」
入江は鷹揚に頷き、目の前で指をなぞってみせる。
「それとイルカ、シャチなどですね。見ていただけるとわかると思いますが……」
車内に設置されていた半透明なテーブル――リジェクタから新たなARホログラフが映し出された。わざわざ目で視覚できるモノを用いたことを鑑みるに、入江が翔兵に気を使ってくれたのだろうと察する。映像はどうやら研究所内部の様子らしい。
卓を囲むように座っていた皆の視線が集中する。
「……プール? いや……水槽……か?」
主観的に映し出されるそれには、水族館のような大きな水槽があった。
そこに泳ぐ生物はやはりイルカやクジラ。シャチの姿もあったが、安全のためか、違う別枠に区切られていた。
「ふぅん。海の中に海があるってのは、なんだか妙ちくりんな話ですね」
たしかに。
天木のその言は、実に言い得て妙だった。
海の中――それも深海にわざわざこんな施設を設けているのだから、妙というか建設的ではない。深海でなくとも、海に面していれば手間を幾分は省けたように思うが……しかし、
「私がここで行っている研究は、『海洋哺乳類の脳』についてです」
と、話を進める入江に、そんな疑問を挟む猶予はなかった。
入江はまた饒舌に語り始める。
「皆さんもイルカは当然ご存じですよね? あの子たちのとても賢い。さらに言えば、人がいないと仮定した疑似世界で、人間の代役として地球を治めるのは、あるいはイルカなのではないか、という説まであるくらいです。というのも、イルカやクジラは自分という存在を識別できる感覚をもっていて、私たちと同じような自己認識能力を有し、人間特有のものとされてきた、『自意識』や『社会文化』なども備えているからです」
「……人と同じように、ねえ」
天木がどこか嘲笑う様に呟く。
「天木さんが仰りたいことはわかりますよ。彼らは人と同じように高い知能を得ているだけであって、人間じゃない。けど、それは単に“カタチ”の問題だとは思いませんか?」
「……かたち?」
疑問符を頭に浮かべるように、天木は首を傾げた。
人とイルカとはカタチが違う――それはわざわざ言うまでもなく、至極当然で当たり前のことだ。
「つまり……」
聞きに徹していたかれんが口を開く。
「つまり……“人というカタチに拘らなければ”、海洋哺乳類とヒトに違いはない、と? ですがそれは倫理的に問題があるように思えますが……」
「人類の歴史において、問題がなかったことなんて一度だってありませんよ」
「と、そう嘯くでしょうね。人類はいつだって問題を抱えて、それを先送りにしてきました。目先の利益に捉われて、その先にどんな弊害が待っているか――それを想像することもしないで、何度も失敗を繰り返しています。50年前に起きた≪ウラヌスの憂欝≫……機械災害もそうですし、もっと辿れば核兵器など……そんな風に、後に問題となることを簡単に作りだしてしまう」
「……私の研究が、後に問題を残す……真心さんはそう仰りたいのですか?」
「いいえ」
かれんは小さく首を振り、
「それを吟味するために、私たちはこうやって監査に来たのです」
厳しい視線を入江に送った。
その表情はつい数時間前までバカンスにうつつを抜かしていたとは思えないほど、真剣のそれだ。
入江は委縮するように視線を泳がせる。
自分の研究が問題だと――そう言い切られては面白くはないだろう。けれど、過去を遡れば、研究者が過ちを幾度となく繰り返しているのは自明だ。それは言い逃れできる問題ではない。科学者という人種が残した大き禍根は、今に生きる科学者たちに降りかかる。だからこそ、狼狽も仕方ないといえばそうなるだろう。
さらに言えば、こちらには“異形生物が打ち上げられた”という疑うべき根拠があるのだ。
その二つをあぶり出すという意味では、かれんのこの牽制は的確だったと言える。
かれんの言葉を数十回は舌の上で咀嚼しただろう入江は、ゆっくりと口を開く。
「……私たちが行っている研究は……人命を救うと、信じています」
それは覚悟の籠った声だった。
「……あの子たちは、イルカたちは独自の言葉を以って、コミュニケーションを行っています。私たちが行っているのは、NLOがヒトと機械を繋ぐように、電子媒体にヒトとイルカの会話を成立させること――その研究です。夢物語って笑われるかもしれませんが……例えば海難事故があったとして……なんらかの理由で救助が間に合わない、そんなときにイルカたちが助けに来てくれたら……素敵だと思いませんか? 私はそんな夢を実現のものにするため、日夜研究を続けています」
入江が嘘をついているのか……あるいは本当に無関係なのか……。
それは翔兵には区別がつかなかったが、かれんは厳しい相貌をやわらかくする。監査の対応に回る入江は堅実そうで、保身のために人を欺くような人間にはとても見えなかった。
若干気まずい空気が流れる。
しかし、それとはお構いなしに車は自動運転で三層へ向かって走る。
「……そういえば、イルカって同族をいじめ殺す事でも有名だよねぇ……」
ぽつりと天木が零した言葉が、なぜだかいつまでも頭から離れなかった。




