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サイコ×ロジック  作者: 独楽
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53/97

-003-

 夢の世界。

 そんなものは存在しない。


 しかし、人は夢を見る。

 これはほかの生物でも確認されていて――犬だろうが猫だろうが、脳という器官を持っている限り見ることのできる虚構の世界だ。が、それは脳が眠っている間にみせる幻覚であって、決して現実には存在しない世界であることは、重ねて言うことでもない。


 それに比べれば『副現実オルタナ』――ネットで繋がったヴァーチャル世界――は唯一人間のみが持ち得る、体裁のとれた夢の世界、と言い換えることも出来るだろうか。

 著しい技術発展に伴い、人は現実とは違う世界で他者とコミュニケーションを行うことを可能にし、電子的なツールを用いてブログやアバターなど『自身の代役』を作り上げた。大小なりともコミュニティという枠を形成することが常となったのは、思い返せば21世紀初頭からだ。そういった疑似的な世界において、現実と副現実の差異は、“肉体を持つか否か”の単純なアンサーでしかなく、未来的に言ってもその差が埋まったり、縮まったりすることもない。


 こうして20世紀から普及し始めたインターネットは、やがて人にとっても社会にとっても欠かせないツールとなった。そして数多ある情報を一つの端末で補えるように個々は拡張していき、電子の海でグローバル・エリア・ネットワークとして電子世界から『副現実』という虚構を象るようになる。

 これを『夢の世界』と言い換えて、異論を唱える者もそうはいないはずだ。



 ――白黒の賽の目に仕切られた仮想空間。

 チェス盤を思わせるタイル張り床の上には、それに似合わないトゥーン調の丸太テーブルが置かれている。それを前に切り株を椅子代わりにデフォルメされた可愛らしいウサギがちょこんと座り――対面には、悪趣味なツギハギになったクマが同じように腰をおろしていた。

 オルタナティブ・コミュニティ・フィールドの一室ルームで、月野憂沙戯はスマイルと対峙していた。


「こうして面と向かって話しができる日を待っていました」


 不愛想なクマがテーブルの上に合わせた手を置きつつ言った。これはスマイルのアバターだ。憂沙戯――アバター名は『うさ』――はどこか歯切れ悪そうな仏頂面で、彼を睨んでいる。


「そう不機嫌そうにしないでくださいよ」


 わざとらしく肩を竦めるクマ。

 あの時あの場所にスマイルが現れたのは、偶然なんて言葉で済ませられるものではない。だからではないが、憂沙戯もここが現実じゃないからといって警戒しないわけにはいかなかった。


「……単刀直入に訊きますけど……連続変死事件、あなたがやったんですか?」

「……なぜ、そう思うんですか?」


 スマイルは困ったような顔をする。

 こういうとき、親しみなれた現実とは違う副現実は面倒だった。顔の微妙なサインから嘘とか思考が見抜けないからだ。たとえ現実じゃなくとも得意の格闘ゲームなら、フレームの少ない(動作の速い)有効技の多様や、操作キャラの挙動、体力ゲージ、EXゲージなどから相手の思考が読めるのだけれど……馴れていないアバターとの対話だと、その読みも期待できそうにない。

 憂沙戯は今ある可能性を思考のテーブルに並べつつ、


「だって場が整い過ぎていると思いませんか? あなたが……その……」


 言い掛けて、すぐに語尾を濁す。

 軍の監視がないとも限らない場所で――確実にログが残るだろう電子空間で“それ”を言うのがはばかられたからだ。

 しかしスマイルはそんな懸念を悟ったのか、


「大丈夫です。傍受の心配はありませんから、好きに続けてください」


 と先を促した。

 そういえばセキュリティ・ヴェール張られてたんだっけ……と、憂沙戯は口をへの字にする。なんだかスマイルの手の平の上で転がされているような……そんな気がしなくもない。

 憂沙戯は鼻息をやや荒げつつ、促されるままに続ける。


「……あなたがどこの誰かは知りませんけど、“軍内部の人間”――それも秘中の秘を知る程度には深いポストにいることは察しがついています。でなければ、あんな具合よくわたしを特殊戦闘要員にすることはできないですし、予言したようにわたしに“機能”を与えることだって出来るはずがない。それに、さっきのビルでの出来事が決定的でした。あなたは男の――銃の発砲から、恐らくはセキュリティ会社からの情報を逸早く入手して、現場に駆け付けたんでしょう?」


 実体のないARとして。

 電子の世界を駆け抜け――それに自分の意識を乗せて――現場へと現れた。

 ……という、読み。


「そんなこと出来るはずがない――なんて、言わせませんよ? 仮にこの推察が違っていたとしても、あなたが軍に精通していることは間違いない。だったら当然、『致命的な道具』を知らないはずはありません」


 さらに根拠を上乗せする。

 『致命的な道具』――≪リーサル・ツール・マキナ≫。

 それは憂沙戯ら特殊戦闘要員が軍から渡されている、“人間を致命的なまでに拡張する道具”の総称だ。

 開発室の羽衣絹糸の持つ道具、≪真紅の絹を織る者≫から“自らの遺伝子をベース”に作りだされる、個体に最も適した“カタチ”を持つ唯一無二の兵器デバイス。

 それら性質は様々で、自らを拡張する機能を持つ憂沙戯の≪陽気な兎≫だったり、特殊兵器ユニットを思考操作する銀守霞臥の≪阿修羅≫であったりと、形状や機能に一貫性を持つものでもない。言ってしまえば人の――遺伝子の数だけの多様性がある。

 だから、電子戦に特化した機能がないとも限らない。

 そして自分たちと同じように人間から外れた機能をスマイルが持っているとすれば、彼と初めて会ったあの時から、全ての出来事の辻褄が合うことになる。


「……なるほど。そういう見方も出来ますか」


 スマイルは興味深そうに呟いた。

 肘を置いていた木目調テーブルから悩ましげに腕を組むようにする。

 ――的を外しているのだろうか、なぜこのタイミングで姿勢を後方に反らす?


「面白い推測です。……でもそれには憶測が含まれてますよね。半ば強引に切り出してますけど、僕が軍に属しているという根拠が薄いように思えます」


 穏やかな口調で、それでいて品定めするような視線を送られた。

 ……見透かされているのか? 実際見透かされているのかも。

 『精通している』に触れず、尚且つ否定しない点もいやらしいと言えばそれだ。ともすれば探り合いを終わらせて、さっさと彼の持ち出してくるであろう本題に移ったほうが効率的に思えたが、しかし相手の思考・傾向を探っておくのも悪くないと憂沙戯は定型句を返す。


「ちなみに……それはなぜ?」

「わかってるでしょう。僕が軍に属しているなら、あんな回りくどい持ち出し方はしませんよ。それに“僕を探してくれ”だなんて荒唐無稽な達成条件を述べたりもしません。……軍人ならね」


 念を押すように。

 そこに偽りのないことは、この話を持ち出す前から憂沙戯だってわかっていたことだ。

 憂沙戯は、スマイルがなんらかの枠に属していられるような人種タイプではないことを、直感で理解していた。認めたくない気持ちもわずかにあるが、スマイルは似ている――内面じゃなく、タイプ的な意味で。

 自分と。

 自分以外の何者も受け付けない。

 自分以外には何も信じていないような――そんな口ぶりが――気味悪いほど瓜二つだ。


「だから言うように僕は軍人じゃありません。さらに加えるなら、関わってすらいませんよ。僕は群れるのが苦手ですからね」

「知ってます」

「でしょうね。だからこそ僕はあなたに一目惚れしたんです」

「やん。愛の告白をされるほど親しんだ覚えはないんですけれど?」

「じゃあ『I』への告白ということにしておいてください」

「…………」


 乾いた息が漏れてしまう。

 こんな捻くれた軽口を理解できる人間は、自分の他にいるのだろうか?

 憂沙戯の態度を受けてか、スマイルのツギハギの口元がにっと吊り上がる。


「それに、普通ならまず一番に訊きそうな、『なんでわたしを選んだのか』がない辺り、憂沙戯さんらしいと言えばまさにですよね。そういった意味合いでも、やっぱり僕があなたに一目惚れしたというのは、あながち間違いでもない」

「それは自己愛的な意味で?」

「答えはNOです。理由は僕は世界でいちばん自分が嫌いだから」

「わたしは世界でいちばん自分が好きですけどね」

「知っています」

「でしょうね。だからこそわたしは、その『I』の告白とやらをお断りしようと思います」


 先手を打って、彼の持ち出してくるであろう本題を否定した。

 ここで憂沙戯は初めて彼の感情らしきものを感じた。

 それは……


「……“僕”を探してくれないという意味ですか?」


 物悲しげな、哀の感情だった。

 だが生憎と憂沙戯が他人とそういった感情を共有――共感することはない。

 憂沙戯は月野憂沙戯という“枠”で固定出来ていることを自負している。


「どう受け取って貰っても構いませんよ。けど、やっぱりわたしは誰かの言い成りに動くのは好きじゃない。ビールとゲームとスイーツと対戦相手がいれば憂沙戯の世は事なかれ――それはあなただって承知のはずでしょう?」

「……あなたらしい意見です。けれど、なにかを“選ぶ”ことは、それ以外のなにかを“捨てる”行為です。憂沙戯さん、その“選択”に後悔はありませんか?」


 スマイルがなにを見て、なにを思ってその言葉を口にするのか……それは憂沙戯にとっては与り知らぬも良いところではあったが、そんなの教えられるまでもない。

 いや、むしろ教えられたくなどない。


「わたし、失敗とか間違えることは嫌いじゃないんです。結果として悔しい思いをしても、他の人たちみたいに知能増幅(IA)デバイスとかを使って自分の生き方まで機械に委託し、なにも考えなくなるよりは救いがあると思っています。知っていますか? 『愛』ってのは自己中心的な考えの最上位に位置するものなのですよ。たしかに、わたしとあなたは似ているかもしれません。けれど決定的な差異がある。『自己愛』と『他愛』は違う。だから――」


 遠まわしに突きつける。

 理解しろ。――“他人に縋るな、他人の迷惑だ”。


「……わたしの『きもち』、伝わりました?」


 険に言い放ったその刹那。疑似空間にノイズが走った。

 ツギハギのスマイルの姿が乱れ異形に歪む――ふっと、無愛想なクマが不気味に微笑んだ気がした。

 転瞬、聴覚と視覚に強烈な刺激を感じる。

 憂沙戯は指先の人工的なパルス――触覚に、現実の世界に戻ったことを実感する。

 ハッと気がつけば、目の前にはイチゴジャムを頭に塗りたくった男が床に伏せていた。


『……おい……おいってば! 憂沙戯ちゃん聞いてんの?』


 うろんに霞む目をしぱしぱする。

 視界いっぱいに広げていたはずのARはいつの間にか閉じられていて、喧騒に意識が覚醒。聴覚に霞臥の声がめいいっぱい響いていた。あまりの喧しさに耳が痛くなる。もういっそブロックしてやろうか、と憂沙戯は暴れようとする男を拘束しつつ、再度ARを開く。


「ん?」


 そこでメッセージが届いていることに気が付いた。


「……趣向を変えてのラブレター……といったところでしょうか」


 どうやら何かのデータが添付されているらしいそれ。

 差出人は匿名。

 中身は見ずとも大体の察しはついた。懲りない人だ。


「ていうか、わたしってこんなにモテましたっけ……?」





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