-007-
やがて車はセカンドエリアに入った。
ホログラフに飾られた街並みを過ぎ、中心街から外れた一角で停車する。
――どうらや到着したらしい、そこ。
翔兵は車内から怪訝そうに建物を見る。五階層のそのビジネスビルは寂れていて、一階には怪しげなバー。二階と四階にはペナントがなく、五階にはいかにもそっち方面な金融業者の看板が立てられていた。そして三階には今回仕事をともにする民間軍事請負代行――『マネー・ブラボー』の看板。
「……うわぁ」
思わず引いてしまう。
その景観を見るに、そこにあるのがとてもまともな会社ではないことは、まだ人生経験も未熟な翔兵にだって察することができた。というか、この立地条件で運営する会社がまともだと思える者もそうはいないだろう――いやいや、立地条件も勿論そうだったが、しかし、翔兵が声をあげて露骨に引いてしまった理由はすなわち、掲げられている看板の悪趣味さを除いて他にはなかった。
……なんだこれ。
……どう考えてもまともな会社じゃないぞ……。
ピカピカと電飾が施され(目視出来るので恐らくはLEDかメビウスといった電飾系統か)、そのセンスの無さそうな『マネー・ブラボー』という欲望丸出しの社名看板を、街並みに似合わない異質のそれで着飾っていた。至極わかりやすく例えるなら、まさに風俗店のそれだ。
「さて、行きましょうか」
と。
事もなさ気に、かれんは音もなく開く全自動車のドアを開かせる。
マジかよ……そう溢しつつ、翔兵は釈然としないまま後に続く。
このご時世において、エレベーターのないビルが存在するとは思いもしなかった。本当にここがセカンドに位置する建物なのか怪しくなってくる。下手をしたら翔兵らの住む貧民街の立ち物とさして変わらない。
けれど、請負代行の事務所前に立ってみると、違いがよくわかった。
扉端に設置されたスキャナー。
この手のバイオメトリクス認証機は網膜・静脈・虹彩などの人間の身体的特徴の情報を用いて行う個人認証技術ではあるが、複製などによって破られてしまうと、一生安全性を回復できなくなる可能性もはらむ。しかし、国家登録ID――翔兵、ゆゆらが首から下げている『国家扶養証明タグ』、富裕層ならばNLOリンカーなど――による生体登録の定期的な更新が行われているため、そのセキュリティ性は極めて高い。人とヒューマノイド、人間と非人間が混在する現代において、“個人”の認証の意味と価値は、年々肥大傾向にある。
かれんは扉を前に、そのスキャナーの隣にある呼び鈴のパネルモニタをタッチする。
『はーい。軍の方でしょうか? 時間通りですね』
パネルのスピーカーから、少し高い中性的な声が言った。
「世界保健機構(WHO)帝国支部、螺旋監察官の真心かれん、と……」
「陸軍倫理委員会、民間軍事請負代行業務監視官の戸津甲翔兵です」
と、二人は偽りの身分を晒す。
十七歳の身空でこれだけ政治的な職に付き、政治的な挨拶の中で堂々と嘘をつくというのは、なんだか面白いものがあった。それだけ自分が特別な位置に立っているということなのだろうが、まるで映画のスパイになったみたいで気分が良い。
『はい、そう伺っています。疑うわけではありませんが、一応の仕来りとしてスキャニングをお願いしてもよろしいですか?』
その促しに、かれんは立ち位置をスキャナーの前に移して、開いたアンクルのような口に手を差し入れた。赤外線がかれんの顔を上から下へと撫でる。四つのチェックカウントを終えたスキャナーは、ピッという軽快な電子音を立てる。
続いて翔兵も同じように。
『真心かれんさん、と、戸津甲翔兵さん……めずらしい名前ですね。本人と確認いたしました。それではどうぞ中へ。汚いところですが、気にしないでください』
入口が開くと、ジーパンにジャケットというスマートカジュアルな格好の優男が笑顔で迎えた。
「どうも。ワタクシは天木っていいます、ここの会計事務をやってます」
明らかに手入れの怠ったボサボサな金色の髪と不精ヒゲ。彫りの深い顔立ちと鮮やかなブラウンの瞳に、一瞬外国人かと疑う。けれど、前もってこの男の情報は軍から受け取っている。
彼の名は、天木流――見た目は実年齢より若く見えるが、二十代後半。請負代行を生業としている者にはめずらしく、学歴や生い立ちに目立つような経歴は見当たらない。
意外と気さくそうなその男に、翔兵はほっと胸を撫でおろした。野蛮な輩が出てきたらどうしようかと、わりと真面目に不安になっていたのだ。
「わざわざ足を運んで頂いて光栄です。言ったようにせまっ苦しくて汚いとこですが、どうぞあがってください」
天木は進めるように手を事務所の奥へとやる。
しかしかれんは、「いえ」と、それを制して、
「今回の業務内容は移動中の車内にて御説明いたします。通信遮断膜のない場所でお伝えできる内容ではありませんので」
やんわりと断りをいれた。
天木の目がわずかに細まる。
言わずもがな、軍から委託される仕事は秘中だ。なので、通信手段を絶った環境以外では口にすることは基本的に禁じられているし、電話、メール、その他情報交換ツールなどでの受諾も基本的にありえない。国民の大多数が埋め込んでいるであろうNLOリンカーから映し出されるAR――拡張現実(Augmented Reality)は、その本人以外には視覚認知できないからだ。
仮に、作戦会議中に他者との通信でもされていたら、それはたまらない。
請負代行なら当然そのことは周知のはず。
天木はボサボサな後頭をぐしゃぐしゃと掻きつつ、
「あー……そうでしたね、これは失礼。失念していました。いま支度をしますので、ちょっとお待ちいただけますか?」
そう言って、中へと消えていった。
彼らが再び出て来たのは、それから三十分後だった。
その間、事務所内から、「ふざけんな、ぶっ殺すぞポップ! 話が違ぇじゃねーか!」などと、野蛮な生き物の荒声が度々聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
きっと気のせいだと信じたい。




