-005-
「被害に遭ったのは、軍立夢見ヶ丘高校に通う女子学生」
某所、オフィス。
デスクに座る線の細い白衣姿の男――楽天は言った。
目の前のPCモニタには情報誌だろうか、Webサイトのページが開かれている。
斉藤詩織は長い前髪を耳に掛けながらモニタを覗き込む。
――難しい日本語は苦手だ。
なにが書いてあるのかが解らず、詩織はモニタとにらめっこをする。
「NLOインプラントにインストールしてあったソフトが原因で、暴露ウイルスに感染――ああ、最近流行りのあれだね。よくニュースに取り上げられてる。それでデータがインターネット上に公開されてしまった……と。可哀想にねえ」
「……うっせーなあ、自業自得だろ? わざわざ取り上げるようなことでもねえ」
と、険呑な口調で合いを打つ男――不運は、深々と腰を掛けたソファーから長い足を放りながら言った。行儀の悪いことに、その足をテーブルに乗せている。とても趣味が良いとは言えない黒い皮のコートを着、その下には毒々しいシルバーアクセがじゃらじゃらと飾られていた。細いパンツにも同様に。
夏も近いのに不運は暑くないのかな……と詩織は思うが、当の詩織だってショートパンツではあるものの、袖が異常に長い白のカーディガンを着ているので強くは言えない。
詩織は訊く。
「ねえ、楽天。暴露ウイルスってなあに?」
「そうだね……梅雨時期に発生する花粉症みたいなもの……かな。感染した埋め込み機器、つまりインプラントが風邪をひいちゃって、寝込んじゃってる状態。もしかしたらカビちゃったのかもしれないね」
と嘯く楽天。
「なるほどー」
と感心する詩織。
難しい話も苦手なので、正直、楽天が何を言っているのかチンプンカンプンだった。まさか虚言を並べられ、遊ばれているだなんて夢にも思わない。
詩織は即座にこの話に飽きたので、紅茶でも淹れようとモニタに寄せていた顔をあげる。
「ねえ。僕、紅茶飲むけど……みんな何か飲む?」
「俺コーヒー。またミルクと砂糖入れたらぶっ殺すかんな」
「ワタクシもコーヒーで。ミルク二回の砂糖四回ね」
オーダーに頷き、詩織は全自動配膳機へと向かう。
メニューを選択するだけで大抵の献立を賄ってくれるこの機器は、この22世紀において欠かせない生活必需品だ。こういった便利アイテムのおかげで、人の生活はより豊かになった。
「……『流出したデータの中身は、“目”の持ち主である少女の私生活を暴くものだった。起床から就寝までのプライベートが、自身の目を通してリアルタイムでネットで放映された――それはもちろん入浴やトイレ、読んでいた小説の内容まですべてだ』。……まあ、普通に生活をしていれば、当然鏡を見ることだってあるだろうね。少女の容姿は不特定多数の人間の目に晒されたことになる――もちろん音声付で」
「おいっ!」
ドン、とテーブルを叩く音が響き、詩織はビクッと跳ねて驚く。
不運が足を振り上げ、突き落としたのだ。
「さっきから黙ってりゃ、グダグダうっせーんだよ楽天。てめーはモノ読むとき声に出さなきゃいけねえクチか? だいたい、だからなんだってんだ? そのガキが俺らになんの関係があるってんだよ!」
不運が怒鳴るように言った。
その声色は、明らかに不機嫌の調子を含んでいる。
「いや? 関係はないよ。ただ、ワタクシの関心があるだけ――だってさ、考えてもみてよ。可哀想だと思わない? この歳で人生壊されちゃって、構成するにはきっと時間が掛かるだろうし、ほとぼり冷めるにはもっと時間が掛かるだろうし、それならいっそ死んじゃったほうが楽だとか考えて、そんで案外簡単に自殺して、またこうしてワタクシたちの日常的な娯楽として人生を提供してくれる――とか思うとさ。ホント可哀想で仕方がないよねぇ。違う?」
「……そのガキもクソだが、てめーはもっとクソ野郎だな。楽天」
「あはは」
楽天は風が吹いたように笑い飛ばし、ワタクシについて否定はないよ――と言葉を繋ぐ。
「でも、彼女がクソかどうかは不運の偏見だよね。その凝り固まった頭が生み出した人間像で、もしかしたら彼女は聖母マリア並の人格の持ち主かもしれないじゃないか。それに彼女はガキじゃなくて、『蒼井雫』ちゃんっていう名前がある。理不尽に不条理を押し付けられて……嗚呼、可哀想に。きっと彼女はいま死にたい気分なんじゃないかな。……で、そこで提案なんだけど……」
「却下だ。前置きが長ぇ。御託がうぜぇ。いっぺん死んでこい」
「彼女を仲間に加えよう」
「あ?」
不運の眉が鋭くなる。
ただでさえ人相の悪い顔が、さらに凶悪のそれとなった。
「はいはい、ケンカだめー。なんでそうやってすぐ喧嘩するかなあ」
詩織は仲裁しつつ、淹れたコーヒーを各々の前に置いた。
そして自分のデスクに腰を降ろして、引出しを開く。デスクの中にあるのはいっぱいに詰められたお菓子の品々だ。……さて、紅茶に合うのはスコーンと相場は決まっているけれど、それも毎日は流石に飽きる。今日は趣向を変えてビスケットとか……あ、チョコもいいなあ。でもでも、ここであえてのグミというのも悪くないかもしれない。
詩織は一人なごやかに小休止打つことにした。
「はっ。馬鹿だとは思ってたが、やっぱ筋金入りの馬鹿だなてめーは。ガキなんか仲間に加えてメリットなんかねーだろ」
「そうでもないよ。……いや、むしろ子供じゃないとダメかな」
不運はコーヒーを啜りつつ、
「……理由を訊いてやる。なんでだよ?」
と心底嫌そうに言う。
楽天は楽しそうにスプーンでコーヒーを混ぜつつ応える。
「義務教育を終えるまでの期間、NLOを使ったASTS(Action Standard Transmission Sort)を脳にインストールすることは法律で禁じられている――ってのは不運も知っているよね?」
「ああ。頭がちゃんと出来てねーうちは、頭に書き込むのが危険なんだろ。んで、それがなんだよ?」
「つまりさ、用量のあるまっさらな脳ミソが必要なんだよ。ワタクシたちみたいに弄って凝り固まったお脳じゃ駄目なんだ。適応したとしても、機能を十全には使えない――たとえば、詩織ちゃんみたいな空っぽ……じゃなかった。素直な器じゃないとダメなんだよ。人間を“致命的なまでに拡張する道具”を植え込むには、そういった人間――適格者が必要なのさ」
「ねえねえ、楽天。僕って素直なのかな?」
「ああ、もちろん」
まるで純白の天使みたいだよ――と、楽天は嘯く。
褒められてちょっと嬉しくなる詩織。口に運ぶグミは幸せの味がした。
「その点、まだ高校生の彼女なら問題はない。加えて、“たとえ死んだとしても自殺する動機”は十分過ぎるくらいにあるしね。多感なお年頃だから尚更だ。……でも、晒された当人はたまったもんじゃないよねぇ。ほんと同情するよ。はあと」
「てめーはマジモンのクソ野郎だな楽天。しかしなるほど……、わかった。戦力は多いほうがいい――つっても、また女かよ。俺はこき使えるクソ野郎のが欲しいんだがな」
「えー? 不運は十分僕をこき使ってるじゃん」
「同じクソでも、ちっとは考えられるクソが欲しいんだよ」
なんだか貶された気がして、詩織はむっとする。
そのとき、ポーン、とインターフォンが鳴った。
「おっと? どうやらこの話はまた後日。お客さんだよ」
「客? 誰だ?」
「いやいや、しっかりしてよ。一応表向きは会社だからね? 請負代行。そんで不運は一応社長なんだからさ」
「うるせえよ! じゃんけんで決めた社長職に責任なんて持てるかッ!」
不運が怒鳴った。
しかし、慣れている楽天はどこ吹く風だ。
「ダベりに付き合ってあげたいけど、残念ながら今日はここまで。委員会の軍人さんだ。……わかってると思うけど、コードネームは控えてね? 『不・動・さん』」
「言われるまでもねえ。……おい、ボロが出ねぇようにお前は黙っとけよ。わかったか、『斉藤さん』」
と、不運は詩織を見遣る。
詩織は少し考えた後、
「……えーっと……不運が『不動さん』で、楽天が『天木さん』で、僕が『斉藤さん』……で合ってたっけ?」
「そう。よく覚えていたね、すごいよ『斉藤さん』!」
「んふふ」
褒められてちょっと嬉しくなる詩織。
けれど、自分だけ『斉藤』という苗字がまんまなのには気がつかない。




