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先行く道が徐々に設備された歩道に変わっていき、やがて翔兵らはセカンドに着いた。
四車線の通りには、音もなく行き交うタマゴ状の全自動車が川を流れるようにスムーズに走り過ぎていく。繁華街に入ると、あまりの人の多さにめまいを起こしそうになった。暑さと無縁な環境セルを着た人や、服そのものが無縁のヒューマノイド。中には機械化した体の一部を晒す人も見受けられる。
「さて。昼飯って言ってもなに食べるか考えてなかったな……。なあ、ゆゆ」
「え? えと……そうだね、ゆゆはなんでもいいかなー。あはは」
ここに来るのも久しぶりとあってか、ゆゆは若干浮き足立っているように感じた。というか完全に浮き足立って、きょろきょろと好奇心に満ちた視線を振りまいている。その内には、人の目を気にしているような、そんな含みもあった。
ゆゆは首からぶら下げていたタグを、さりげなく服の中に隠した。
翔兵はそれに気付きつつも、見ていないふりをする。
やがて二人は装飾されたエアカーテンをくぐり、近場にあった飲食店へと入った。
「……わあ」
感嘆の声を上げるゆゆ。
夏の蒸し暑さをかき消す冷房の利いた店内、その冷気を倍増させる視覚演出が翔兵らを出迎えた。
「……雪だ」
店内には雪が降っていた。
もちろん、屋内に雪が降るはずもない。これは実態ではなく、立体映像だ。
氷窟のような氷の外壁。天井には氷柱がぶらさがっていて、大きく空いた穴からは夜空――煌く星々に琉璃色のオーロラが風になびくように揺れている。それはまるで南極の風景のようだった。
「えい! あっ……」
舞う雪を掴もうとするゆゆ。
当然、すり抜ける。
恥ずかしいからやめて欲しい。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
カウンターの向いで、ロシア帽をかぶった女性店員が迎えた。ふかふかのダウンコートに、可愛らしい紺色のマフラー。きっと足元はムートンブーツでも履いているのだろう、それは寒冷地さながらの防寒着姿だ。
店員の笑顔に頷き、翔兵らは案内された席へと座る。
「……はー、すごいねえ……これってもう魔法だよね」
ゆゆは雪景色に見蕩れている。
「ほらほら、感動してないでメニュー決めろ」
ふと、向いのテーブルに目がいく。
四人で来ているのに会話もなく、顔の前で指を動かす翔兵と同世代くらいの若者ら。彼らはきっと『リンカー』を通じて、ネットの世界に没頭しているのだろう。それを知らない翔兵から見れば、無言で虚空を見つつ宙をなでるその姿は、やはり不気味のそれにしか見えない。
まるで店内は会話が禁止だとでも言うようだ――そんな雰囲気が、やけに窮屈に感じた。
「ううーんと……」
視線を戻す。
ゆゆはテーブルに設けられているオーダー用の紙面ディスプレイに向かい、頭を抱えて悩んでいた。どうやら豊富なメニューを選びかねているらしい。
一方で翔兵は、今日くらいは贅沢しても良いだろうという気になっていた。初給料を得た手前、心にゆとりが出来たのかもしれない。それに――翔兵らには親がいない。国の援助金でやりくりしていて、当然貧乏なのだ。だから普段から不憫を背負わせている妹に、こんなときくらいは好きなモノを買ってやりたい――という、兄の気持ちもあった。
「どうした? いつもならアレもコレもーって、ギャーギャー言うくせに」
「……ホントになんでもいいの?」
「予算内ならどーんと来いだ!」
「じゃあ……ゆゆ、サンドイッチとジュースがいい」
「おう! 任せとけ――って、ええ!?」
ノリツッコミ気味に驚く翔兵。
「……おい、ゆゆ。どうした、具合でも悪いのか? ほら、これ見てみろ。ステーキあるぞ? お肉様だぞ? ビフテキだぞ?」
「むぅ。だってさー、なんか勿体ないじゃん」
ゆゆは唇を尖らせてそう言った。
翔兵は胸を貫かれ、打ちひしがれる想いをした。
悲しいかな妹には貧乏が染み着いていたのだ。
「……ごめんな。お兄ちゃんが不甲斐ないばかりに……お前に苦労ばかりかけちまって……」
おずおずと目頭を揉みながら、翔兵はゆゆを直視できなくなった。
家では傲慢な妹だったが、いざ店に来てみれば火の車というか絶賛炎上中である家計を気にしてくれている――良い子に育った妹を前に翔兵は感涙しかけるが……しかし、忘れてはいけない。今日の翔兵の懐は厚いのだ。
「ゆゆ……家のことは気にすんな。今日は好きなもんを好きなだけ頼んでいいんだぞ……?」
鼻声混じりに見栄を張る。
いや、二十五万円という大金が財布に収まっているのだから、決して見栄なんかじゃない。たまにはこういう大盤振る舞いも必要だ。妹のために使うなら、お金なんて惜しくもない。
「……ホントに?」
「ああ」
「……後で怒らない?」
「怒ったりするもんか。お兄ちゃんに二言はない!」
「わあ!」
ゆゆは胸の前に手を重ね、子供みたく天真に頬をほころばせた。
可愛すぎる。なんだか親馬鹿になった気分だ。
「じゃあね、これとあれとそれと――」
容赦なく注文しまくる妹。
翔兵はうんうんと頷き、それを見守る。
やがて料理が届き、
「あの、大変申し訳ありませんお客様。大変恐縮なのですが、“支払い能力の有無”を確認させて頂いてもよろしいですか?」
と。
ふかふかのコート姿の店員が、テーブルに来て一番にそう言った。片手には伝票、差し出すもう片方の手には認証端末。タグのスキャニングを要求しているのだろうと、すぐに察する。
兄妹水いらずの空気に水を差された気分だった。
翔兵は店員の無礼にムッとする。あろうことか無銭飲食を疑われていたのだ。
「…………」
翔兵は店員をちらりと見遣り、
「ああ、悪いけど電子マネーは持たない主義でね」
若干挑発的に対応する。
技術発展も著しく自動化が進む2102年現在において、これほど意味の解らない主義もないように思える――店員がヒューマノイドじゃなかったら、間違いなく変人扱いされていること請け合いだ――がしかし、だからといってヒューマノイドも反応を示さないわけでもない。無銭飲食とおぼしき客の発言に書き込まれたデータ、そのテンプレートにならった反応を返す。
「申し訳ありませんお客様。無銭飲食の場合は当局に即時通報させて頂きますが……」
「……おいおい、勘違いするなよ。ほら」
翔兵は胸ポケットからお札をちらつかせて、
「お金ならある。これで文句はないだろ?」
ニヒルな笑みを浮かべつつ言った。
それを見た店員は謝罪の言葉を述べ、ぺこりと綺麗なお辞儀をして去っていく。
「おにーちゃん……カッコいい……っ!」
「いやいや、妹よ。そんな大したことじゃないさ」
「ね! おにーさま。やっぱりゆゆ、お肉も食べたい。ビフテキ頼んでいい? デザートも!」
「好きなもん頼めって言っただろ?」
「ひゃっほー!」
これを皮切りに、アレもコレもと注文しまくるゆゆ。
その姿を満足そうに見つめる翔兵。
店を出て、繁華街を歩いてもそれは止まらない。
シャツ、パンツ、ハットにサンダル。小物から中学生らしいアクセまで、ねだられるままに購入する。聞いたところによると、最近の中学生の間では、時間帯によって色彩変化するグロスや、ファンデが流行っているらしい。カメレオンみたいで気味が悪く、なにが良いのか翔兵にはさっぱりだった。
途中、家電量販店へと足を運び、当初の目的であるNLO疑似神経ポロックとAI外部デバイスを購入しようとするが、そこで重大な事実を知り、思い留まる。
翔兵はやかましい妹の腕を引っ張り、足早に店を出た。
「え? なに? どうしたのさ、おにーちゃん」
家を出たときとまるで格好の違うゆゆ。その手には大量の紙袋がどっさりと握られている。
夕焼けに染まる空を見上げて、翔兵は途方に暮れた。
「…………」
……どうしよう。
……お金、全部なくなっちゃった。




