Phase 4
“千切れた人間の腕”。
その隣には、倒れる少女の姿があった。
青年は無言でそれを見つめる。
背後には人があふれ――自動歩道には機械に大半の仕事を奪われつつも、いまだ人間らしくビジネスにいそしむ姿があった。もちろん、その全てが仕事とはいかないだろうし、休日を楽しむ人間もそれは多くいるだろう。
しかし、誰一人としてそれに目をくれる者はいない。
ふと――見、
そして、反らす。
慌てるようなことも、叫ぶようなこともせず、ただ、反らす。
彼女が人間の形をしたモノ。
“ヒューマノイド”だと認識しているからだ。
(……これが人間だったら……あの人たちも叫ぶんだろうか……?)
そんなことを考えつつ、青年は眼下に横たわるそれを見る。
白と黒のフリフリしたドレスを纏う“少女”。俗にいう、ゴスロリというやつだ。
千切れた腕からは血の代わりに白いオイルが溢れ――断面からはコードが糸を引き、辛うじて身体と腕を繋げていた。長い白色の人口毛髪は埃で煤けて、綺麗だったであろうその姿はボロ雑巾のように――まるで用済みになったから捨てたとばかりに放棄されていた。
人間に似せて作られた機械の顔。
それが表情を模倣することは、少なくともこの機械の少女にはもうない。
(たしか……ヒューマノイドの不法投棄は犯罪だったよな……)
少し遅れて、一ノ瀬が追いついた。
「もう、■■■くん! いきなりどこいくんですか――って、わあっ! なんですかこれ! なにやっちゃってるんですか!」
「……一応念のため、まさかとは思うけど念のために言っておくけれど。これ、やったのは僕じゃないからね?」
「そうなんですか? ああ、よかった。一瞬本気で、ついに■■■くんが犯罪者になっちゃった! とか思いましたよ」
サイレントに人間失格みたいなことを言われた。
が、しかし青年は何も言い返さない。
そろそろ怒ってもいいかな、くらいは思っていたけれど。
「うわー、見事に壊されちゃってますね。ヒューマノイドって高いのに。たしか自動車くらいの値はしましたよね」
「良い機体になると、一千万はくだらないからね」
ヒューマノイド。
それは高度AI『アカツキ』によって設計された人間をサポートするロボットであり――自己知能、つまりAIを持たず、入力された行動のみを行う、人間社会を円滑に回すための周辺機器だ。
そのヒューマノイド本機をハードウェアとし、事務作業や介護などの企業・医療用から、戦場で前線に送られる兵士の代役としての軍事用、接客や家事などを受け持つ民間用のソフトが星の数ほど生み出された。
そして、見るからにロボットの風貌だったヒューマノイドは、やはり日本人らしく改変されていき――まるで人形のような容姿を手に入れ、やがて当初の目的とは全く違う愛玩用に用いられてしまったことは、言うまでもないことかもしれない。
リアル二次元アイドルなど、よくわからない造語がメディアに飛び交い始めたのも最近だ。
「どうするんですか、こんなもの見つけちゃって。保安局に通報します? 嫌ですよ、私。任意同行とかそんな暇ありませんし」
「別にどうするってわけでもないけど。放置……かな。僕も厄介事は嫌いだし」
ほっと肩を撫で下ろす一ノ瀬。
仮にこれが本当の人間だったなら、一ノ瀬はそんな安堵するようなことが出来ただろうか……? と、青年は思った。
自己意識を持たない機械人形は、死を迎えても他者の同情を買うようなことはできない。心を持たない、別の意味を持ったカタチだからだ。
「ううう……けど、私ヒューマノイドって嫌いです。人間みたいな顔して、なんかぎこちないっていうか、そういうのところが不気味です」
「…………」
心の中で大きく嘆息する。
深く息を吸って、そして吐いた。
「……寄り道しちゃったね。さて、帰ろうか」
「ん、そうですね。っていうか■■■くん、テンションさらに低くないです? ちゃんと生きてますか?」
「さあね」
青年はいつも通り、つまらなさそうに返事を返した。
ふと、苦い過去を想起する。
『てんかん・共感覚・アスペルガー症候群――』
医師からそう告げられたのは、青年が物心ついて間もない頃で。
簡単にいえば、それは人間性の欠陥だった。
当時はその意味がわからなかったが――周りの反応から、自分が劣性であることは本能的に感じていたし、理解もしていた。子供が行うイジメなどの迫害行為は、陰湿で苛烈だ。
欠陥を抱えていた青年が標的になりやすかった、というのもあるが、その異常性を排他的に突きつけられた幼少期は、それはそれは悲惨なものだった。
(……なんでいまさら、こんなことを思いだすかな……)
心が腐ってくような感覚に、不快感を思い出す。
しかし、迫害する側に理由があるように、迫害される側にも理由がある。
ここに『不気味の谷現象』という言葉があり、これはロボットや他の非人間的対象に対する、人間の感情的反応の概念であるが……大学で青年を嫌悪の目で見、敵意を顕わにした彼らの行為は、当然の行為だった――と言えるかもしれない。
なぜなら、ヒューマロイドが人間を模した存在だとすると、青年はそちら側の存在に近いからだ。
(……不気味……ね)
(笑えるよ、まったく……)
ロボットはその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的・共感的になっていくが――ある時点で、突然強い嫌悪感に変わる。模したカタチの機械以上、人間以下の微妙な振る舞いに、親近感が持てなくなるのだ。
青年の場合は逆だった。
精巧に作られた人間なのに、ヒューマノイドよりも著しく感情表現能力に劣っている。
そのことを誰よりも理解している青年は、だから他者からの迫害を肯定する。人間のふりをして、社会に紛れこんでいる化け物に対し、誰が手なんか差し伸べようか――と。
産み落とした親だって見捨てたのに。
「……なあ、一ノ瀬」
「はい?」
独白するかのように、青年は言う。
「……人間って、なんだろうな。人のカタチをしていたらそれが人間なのか? 違うよね、ヒューマノイドは人間じゃない。だったら人間の定義はなんだ? 人のカタチをして、自由意思を持てばそれは人間に成り得るのかな?」
なにがおかしいのか、一ノ瀬は笑う。
「相変わらず面白いこと言いますよね、■■■くんは」
「はぐらかすなよ」
「……んー、笑顔じゃないですか?」
「笑顔?」
「そ」
一ノ瀬は目を細めて、頬を緩ませる。
「誰かの笑顔を見て心があったかくなる。楽しくなる。ぽかぽかする。きっとそれが人間なんだろうなーって、私は思います」
春先の風が吹き抜け、一ノ瀬の髪がなびいた。
心臓をきゅっと掴まれたような……そんな気がした。
「……月並みだね」
「な、なんですかそれ! せっかく真面目に答えたのに!」
「一ノ瀬に訊いた僕が馬鹿だった」
「ひどい! 抗議します、断固抗議しますよ!」
帰り道、青年は一ノ瀬の顔が見れなかった。
胸の内を気付かれるのが怖かったからだ。