-002-
情報処理網膜に映し出されるナビを頼りに、憂沙戯は淡々と足を運ぶ。
視界に表示される目的地の場所、距離、方向を矢印としてナビしてくれる――まるでゲームマップだ、と思う。
現実と並行して、人を排除した同位体モデルを電子空間に疑似的に再現し、そこに表示させた情報をイメージセンサが読み取り、表示する――訊くに、これは内部端末と同じ仕組みらしい。
考えてみれば、土地と同じようにホログラフも位置座標に存在する。例え映像だとしても勝手に空間を占領するようなことはできないのだろう。利権的な意味でも。だから、そういった虚構らは、イメージセンサや、もはや大衆化されたリンカーを通して見えるようにしたほうがコスト的にも安くつくし、情報の取捨選択もやり易いと予想できる。
街の様子を思い返してみればわかるように、従来は大型の液晶モニタでビルの外壁に飾ってあった広告なども、現代ではすべてこれになっている。もちろん、ポスターなどの広告も未だに存在するが、それは建物や土地の所有者のみが使える特権であり、切って貼って書き直して――という手間を考えると、やはりホログラフを使ったほうが手っ取り早いのだろう。
「商業にゃ興味はありませんけどねー」
と独白。
なんだか最近やたら独り言が多くなってきた気がする……いや、通常運転か? ちょっと切なくなってくる。
三つほど保安ゲートをパスし、通路を突き当たると、やがて白い通路が開放的なガラス張りのそれに変わる。とは言っても、それは圧迫感がなくなっただけで、リノリウムで張り巡らされた殺風景な景観には違いない。
透き通る通路壁――そこからは無駄とも思えるほどの広い部屋が見下ろせた。
視界マーカーが目的の場所へ着いたことを知らせる。
「……疑似戦闘訓練所……」
それを見、格闘ゲームのトレーニングモードを思い浮かべるのは、やはり格闘ゲーマーの性だろうか。
ここ数日で溜まっていた欲求不満で、どうにもテンションが上がらない。やはり人間、好きなことを好きなようにやらなければモチベーションだって着いてこないらしい。
気が重いまま、憂沙戯はナビが示す部屋の中へと入った。
「――やあ、時間通りだ。君が月野憂沙戯だね?」
壁一面を覆うコンパネを前に、白衣の女性が言った。
彼女は腰掛けていた椅子から立ち上がり、
「私は麻倉添音だ。ここの管理者で、ついでに医者もやってる。いやいや、同じ人間の女性とは久しい――まあ、こんなところだからね。事務的な奴らばかりで酷く退屈していたところだよ」
不健康そうな白い肌。伸び放題になった黒髪。その合間から覗く顔はどこか希薄で存在感が薄く、なんだか幽霊っぽい。
憂沙戯は一目見て察する――この人、絶対引き籠り気質だ、と。
けれど、その風貌より先に、女性の顔に掛かっている物に反応した。
「……眼鏡? あなた……えっと」
「麻倉添音だよ。……というか、待て。たったいま自己紹介したばかりだろう?」
基本的に憂沙戯は興味のないことには疎い。
ゲームキャラクターならともかく、人の名前を覚えるのは苦手だ。
「わたし、どうでもいいことを覚えているのが苦手でして。とまれ、添音さんはもしかして貧民層の方なのですか?」
「なんだかひどく傷つくようなことを言われた気がするが……とりあえず否定しておこう。私はたしかに眼鏡をかけてはいるが、国から補助は受けていない。眼鏡をかけているのは、私が単純に目が悪いからだよ」
「……それ、応えになってませんよね?」
添音は髪の奥に光る眼鏡を直し、いやらしく微笑み、
「ふふ、自分の身体を弄るのが生理的に受け付けないからだよ。やはり弄るなら他人に限る。……そもそも、だ。私はそういう取っ替え引っ替えという考えが気に入らない。目が悪くなったら網膜を焼く、潰れたら義眼に付け替える。腕が飛んだら義手を、足なら義足を。頭が悪いならNLOで知識を書き込んで、情報社会に適応するために内部端末を埋め込む……なんだいそりゃ? いつから人は機械と肩を並べるようになった? 現代人は矜持というものに欠けているよ、まったく」
と、肩をすくめてみせた。
「……ん? どうかしたかい?」
「いえ……でも、ちょっと意外でした。そういう考えの人が、軍にいるとは思ってもみませんでした」
憂沙戯は意外、というか単純に驚いた。
貧民でもないのに身体の欠陥を機械で補助しない人間、というのは珍しいと思ったからだ。
「……あれ? でも、添音さんは軍医ですよね?」
「ま、一応はそういう立場になるかな」
「だったら、負傷した人に義手とかつけることもあったりはしないのですか?」
「言ったろう、『弄るなら他人に限る』と。それに腕が飛んでは生活に支障が出る。義手はあって困るものでもないし、逆になくては困るものだ。この眼鏡と同じようにね」
憂沙戯は訝しむように眉をひそめる。
「なんか言ってることが滅裂しちゃってません?」
「いやいや、そんなことはない」
添音はわざとらしく腕を広げて、
「それが私が許容できないモノだとしても、他人が同じだとは言えないだろう? 自分の信念……というと子供染みてはいるが、それを他人に押し付けるような野暮はしない。たしかに私は軍医ではあるが、他人が必要だというモノを奪うようなことはしないし、他人が望むならそれを叶えてやりたいと思う気持ちだってある。四肢を失った人間なんてものは、いつの時代だって不便なものさ」
基本的に社会や施設は五体満足な人間をベースに作られている。
人というカタチを失えば不便。当然だ。
それに、
「人の目――というものもあるしな。君ら貧民層ならわかるんじゃないかな。社会的に欠陥を持ち、社会から欠落した能力しか持たず、欠除した能力を埋めることすら難しい君らならね」
と添音は付け加えた。
この刺のある言い回しに反応しない貧民層はいないだろう。
「あれれー? もしかして喧嘩売られてますかね、わたし」
憂沙戯は嘲笑で返すが、しかし添音はやはり大仰な仕草でやんわりとかわす。
「いや、そんなつもりはないよ。私もどちらかと言えば、君らの考えに近いからね。……『天は人の上に人を造らず』……とは福沢諭吉の言葉だけれど、大衆向けに綺麗に飾られて本質が捻じ曲げられている。人間は皆平等だとね。笑わせてくれるよ、まったく」
神は人の上に立ち、人の上に人を作るようなことはしなかった。
けれど、人は人でいて、人であるにも関わらず、人という下を作った。
天という神が格差社会を作る以前の歴史を辿っても、独立戦争などが跋扈していた時代があったのは確たる事実だ。
この時点で、憂沙戯には添音の話の落とし所が見えた。
つまり、
「かの偉人が言いたかったことは……」
「――『人の差は生まれつきにあるのではなく、努力をしたか、しなかったか』――そういうことですか?」
憂沙戯は口を挟み、言った。
一番の美味しいところを奪われて添音は硬直。やがて悔しかったのか。わなわなとし始めた。
「……まあ、そういうこと。そういうことだよ、うん」
添音は見るに落ち込み、いじける風にそう言う。
うわっ面倒くさ、と思う。
「はあ……この現代社会において、すでに死語となった言葉を使わせて貰うと……どうやら君は、文学に明るいようだね。自分の知識を誇示しようとした私が情けないよ。惨めだ……もうやだ、お家帰りたい……」
面倒臭いことこの上なかった。
どこか暗い見た目をしているだけに、出鼻をくじかれたその落ち込みっぷりは本当に様になっている。
「……じゃなくて、今日呼んだのはこんなくだりをやるためじゃないでしょうに!」
「もちろんだ。いや、すまない。なんせこうやって人と会話を楽しむのも久しいものでね」
こほん、と添音は空気を変えるように咳ばらいを一つし、
「君に支給される道具は『陽気な兎』――機能説明は、実感して理解してくれ。もっとも、書き込まれたら言われずとも“わかる”だろうけれどね」
と言って、コンパネを操作し始めた。
添音がなにをしているのか――それは憂沙戯の与り知らぬところではあるけれど、この施設、もとい疑似戦闘訓練所の意味するところは想像するに容易い。というか、名前通りなのだろう。
ちょっと、わくわくしてきた。
まるでゲームの新しいタイトルのパッケージを開くような、童心をくすぐる高揚感。
「……ふうん? 早速使いたくて仕方がないって顔してるじゃないか。いいぞ、入って。『彼』が待っている」




