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サイコ×ロジック  作者: 独楽
虚構
32/97

過程 -001-


 朝。

 目が覚めると、目の前に足の裏があった。ゆゆのだ。

 どうして枕の反対方向に頭があるのか――そしてなぜ自分の顔の前に(というか、もろに押しつけられて)妹の足があるのか――毎度のこと不思議に思うが、慣れとは怖いもので、翔兵はそっとゆゆの足をどかし、起き上がる。

 だらしない顔で大の字……というか、卍みたいな形で寝ている妹。


「…………」


 うーん……。

 どれだけ寝相が悪いのだろう……。

 もしかしたら、寝ているあいだに悪魔にでも取り憑かれているのかもしれない。

 ……いや、冷静に考えてみれば、こんな妹に憑依するメリットというものが見当たらない。いくら悪魔であろうと、もう少し生産的かつ建設的な考えに至るはずだ。

 と、そんなことを思いつつ、翔兵は携帯端末を手に取り、布団から出た。

 妹のはだけたパジャマから覗いているへそを隠し、隅に追いやられてしまった布団を掛けてやる。壁にかけてある時計を見ると六時前だった。

 ……どうやら、習慣というものはなかなか抜けないらしい。

 翔兵の朝は早かった。

 毎朝、二人分の朝食と弁当を作らないといけなかったからだ。


「……あー……なんか寝足りない感があるなー」


 頭がぼうっとする。

 昨夜、なかなか寝付けなかったせいだろう。

 頭を掻きつつ、寝室から居間へ続く襖を開けると、


「あ。おはようございます、翔兵さん。今日もお早いですね」


 かれんが台所に立っていた。


「……、……おはよう」


 寝付けなかった原因の一つ。

 平穏で和やかな戸津甲家の夕食時に突然訪れた軍人。バイオノイド――真心かれん。

 出会った当初の凛としたスーツ姿はそこになく。可愛らしい薄ピンクの柄パジャマに、自前のものなのだろう、もはや見慣れたエプロン姿で台所に立っている。

 彼女が家に住み込むようになって、もう四日もの時間が過ぎていた。


「もうすぐ出来上がりますので、掛けてお待ち下さい」


 透明感のあるかれんの可憐な声。

 なんだかむず痒いものを感じながら、翔兵は促されるまま椅子へと腰を下ろす。


「……きょ、今日の朝飯はなにかな?」

「パンにスクランブルエッグを乗せて、グラタン風トーストにしてみようかなーと。日の近いお野菜がありましたので、それはツナと混ぜてサラダに。あ、お飲み物はコーヒーで良かったですよね?」


 言いつつ、かれんはコーヒーメーカーからカップを取り、持ってきてくれた。

 その際、空いたパジャマからかれんの鎖骨を間近で見てしまう。品の良いラインが、翔兵の視線を胸元へと誘導させた。まずいものを見てしまったと、翔兵は思わず目を泳がせる。


「あ、ありがと」

「いえいえ」


 翔兵はカップを手に、一口すする。目の覚める強い香りが鼻孔をくすぐった。

 コーヒーメーカーなんて家にはなかったはずだけれど、いつの間にかかれんが持ってきて、当たり前のように台所の棚に置かれている。

 その自分が使い込んだ台所風景も、彼女が来てから一変していた。

 丁寧かつ分かりやすく配置された調理器具、食器は大小きちんと分けられ、醤油などの調味料もデットスペースを作ることなく効率的かつ、立体的に収納され、尚丁寧なことに塩、砂糖の容器には乾燥剤の袋まで入っている。

 大したものだと思う。


「なにかお茶請けでもお出ししましょうか?」

「いや、いいよ。朝食前だし。それに、かれんの作ってくれた御飯が待ってるからね」


 と、シニカルな笑みを浮かべて言ってみる。


「もう翔兵さんってば。お上手ですね」


 卵の焼けるいい香りがしてきた。

 電磁調理器に向かうかれんの後姿を見、翔兵は頭を抱えた。


 ……俺は何をやっているんだ……。


 一応、親がいない手前、自分がこの家の主であるわけで。妹に対し凶器を向けた相手を――それも軍人を――招き入れていいはずもないし、それに自分はこんな歯が浮くような台詞をさらっと言えるような奴じゃなかったはずだ。

 けれどもなんでか……なんでだろう?

 これまで妹の世話を焼いてきたせいか、誰かに甘えるという行為がとても心地よく感じる。

 もっと甘えたい、と思う。

 でも、相手は軍人で、しかも人間じゃなくバイオノイドだ。

 しかし甘えたい。

 いまならゆゆの気持ちがわかる。頼れる存在がいるということが、ここまで安心を与えてくれるとは思ってもいなかった。かれんが来てくれたおかげで忙しかった朝にも余裕ができ、自堕落気味だった我が家の生活サイクルが改善しつつあるのも事実だ。

 それにかれんの態度だっていけない。

 他人なのに、軍人なのに、まるで本当の恋人のように親し気に接してくるから――当然、彼女にとっては仕事なのだろうけれど、善意を持って当たってくれていると思う――だから、どう接すればいいのか本当にわからない。

 もういっそのこと、全力で甘えてみようか――などと、つらつら考える。


「……でもなあ……。うーん……」

「どうしたんですか? そんな迷える子羊みたいな声をあげて」

「ぐう……」


 的確過ぎてぐうの音が出た。


「いや、なんていうかさ。ウチは親がいないから、ずっと俺が飯作ったり掃除やらなんやらしてきたんだけど……」

「私が来てから手持無沙汰ってことですか?」

「そういうこと……になるのかな?」

「いいじゃないですか。これまで頑張ってきたのなら、これからは私が翔兵さんを甘やかせて差し上げますよ」

「えっ、本当? いいの?」


 真顔で訊きかえす翔兵。

 言ってから恥ずかしくて死にたくなった。


「俺はバカだ……」

「いえいえ、なにも恥ずかしがるようなことはありませんよ。だって翔兵さんはまだ高校生なんですし。十分に立派です。ちょっと休憩したっていいじゃないですか。それに、私は翔兵さんの恋人なんですから」


 かれんの言葉には、胸にくるものがあった。

 これまでの苦労をわかって言ってくれていると思ったからだ。

 そんな照れ臭さを隠すように翔兵は言う。


「それはゆゆの頭の中だけ。実際にはかれんは軍人――だろ?」

「……もう。翔兵さんってば、生意気です」


 かれんは振り向き、


「もう少し頼ってくれたっていいじゃないですか」


 と、頬を膨らませて言った。

 パジャマにエプロン姿。ジトっとした目。

 破壊力を乗せたかれんの視線が、翔兵の顔を湯上がらせる。


「……お、お、お、俺はバカだあああぁぁぁっ!」


 叫び、テーブルに頭を思いきりぶちつける翔兵。

 それがなんの意味があるのか――それは定かではないけれど、気恥ずかしさを紛らわせる方法が思いつかなかった、というのが大きいだろう。

 十七歳少年の葛藤がここにあった。


「ちょっ! いきなりなにしてるんですか、大丈夫ですか?」

「……大丈夫、大丈夫だ。これでいいんだ……」


 いや、いいわけはないし、意味もわからないのだが……しかし、翔兵だってすでにゆゆと同じように存分に甘えているのだから言い訳も立たない。

 楽観的な独白の後、翔兵は訊く。


「なあ、かれんって独り暮らしでもしてたのか?」

「どうしてですか?」

「なんていうか……手慣れてるなーって思ってさ」

「ああ」


 かれんは後姿のまま、


「必要かと思い、衛星サーバーから家事用のASTS(Action Standard Transmission Sort)をインストールしただけです。実際、私はここに来るまで家事はおろか、包丁すら持ったことがありませんでした」


 まあ、ナイフはありますけどね――と。

 洒落のつもりだろうが、全然笑えないことを言うかれん。


「これも“NLO”による経験伝達・並列化のおかげですね」

「ふうん……」

「なんですか?」

「いや、俺は持ってないから知らないけどさ、やっぱり便利そうだなーって」

「たしかに便利は便利ですよ。人を拡張するツールとしての最終形ですからね。翔兵さんはまだ義務教育を終えていませんから、まだ使用することはできませんけど……」

「その“特殊戦闘員”ってのになっても無理なのか?」


 かれんにはめずらしく、その質問に即答しなかった。

 言うように帝国の教育制度では、高校までが義務教育となっていて、翔兵がNLOを使用することは金銭的な面でも法律的な面でも出来ない。脳の発育を終えるまでのその期間は、NLOを始めとする脳への直接干渉ツールが危険とされているからだ。

 ちなみに、義務教育の“義務”は国の義務だ。

 朝食が出来たのか、かれんはテーブルに皿を並べつつ、


「……残念ながら。それに私どもが“特殊戦闘員”に求めるものは、並列化によってなぞられる単純な行動パターンではありませんから」

「並列化……行動パターン……?」


 言っていることがわからなくて、翔兵は首を傾げる。


「人の考え――心というものは複雑で、かつ複合的です。その時々の状況によって猫の目のようにくるくると変わってしまいます。善にも悪にもなれますし、可能性の伸びしろは無限といっても過言ではありません。……けれど、書き加えられた情報は、やはり誰かが意図的に操作した記録ですから。個を希薄にし、伸びしろを奪ってしまう。……それにNLOは脳の容量を著しく奪います。それは“致命的な道具”を扱う上で邪魔となりますからね」


 と、寝室の襖が開いた。

 ゆゆが油断しきった顔で、枕を抱えて立っていた。


「……にー。朝からうるさいよー」


 ものすごく気だるそうに、よたよたと椅子に腰かけるゆゆ。

 妹は致命的に朝が弱い。


「なんだ、めずらしいな。とりあえず枕は置いておこうな?」

「おはようございます、ゆゆさん。今日は早いのですね」

「……うん。ばかにーがはしゃいで、ゆゆの安眠を妨げたからねー」

「おい、ちょと待てゆゆ。俺ははしゃいだ覚えなんかないぞ?」


 さっきの会話を聞かれていたのかと思って、少し焦る。

 ゆゆは、ふわわとあくびをし、


「嘘ばっかり。『かれんちゃんは俺が守る! 恋人だからねっ!』って言ってたじゃん」

「……いや、それ本当になんの話だ!?」


 翔兵は身を乗り出して抗議してみる。


「はーいはい、どうせ清楚可憐で純粋無垢な上に家事も出来てプロポーション抜群なかれんさんに発情でもしてたんでしょ。朝からアツいねー、アツアツだねー」

「…………」


 どうやら……ゆゆは寝ぼけているのか、夢と現実の境界が曖昧らしい。

 けれど、とりあえず突っ込んでおくべきことが一つだけある。


「……なあ、かれん」

「はい?」

「いい加減これ、直してやってくれよ」


 ゆゆの書き加えられた記憶は、四日前のままだった。

 かれんは例によって指向性音声を使い、翔兵の耳にだけ届くように話しかける。


「翔兵さん。私、妹が出来たみたいでちょっと嬉しかったり」


 知らねえよ。





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