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どうやら――害意はないらしい。
けれど、それは“いまは”の話であって、かれんの望む応えを返さなければ……つまり、そういうことだろう。翔兵を頷かせるための牽制、人質。その気になれば、いつだって武力行使できる――カンの鈍い翔兵にだって、それくらいはわかる。
翔兵はかれんに進められるまま、椅子に腰を降ろした。
「…………」
翔兵は考える――目の前に座る軍人を見て、考える。
思考停止に陥っていた脳が、ようやくのこと状況の整理をし始めた。
見の覚えのない来客、『Dゲーム』という秘密裏の行われる国の育成実験。それに自分が選ばれ、この女性、“バイオノイド”が自分の元へと訪れた。聞いたところによると、国家機密の二つの機関が関与し、さらにこの女性はそれに属しているという。
……しかし、バイオノイド?
なんだそれは。
ヒューマノイドとは違うのだろうか……?
「えっ? なに、おにーちゃん。その真剣な目。……あれ? もしかして、プロポーズ……? や、それだったらゆゆ、めちゃくちゃ邪魔になってるじゃんっ! 待って待って! あ、そうだ。奇跡的タイミングでちょっと用事思い出したから、ゆゆ外出てくるね!」
「…………」
……いや、憂慮すべきはこの場合、未知の存在よりも妹の頭のことかもしれないけれど……。それはともかくとしておいて、かれんの目的がいまいち見えない。もちろん、翔兵のゲームへの参加だろうけれど……『Dゲーム』とはなんだ? そもそも、なぜ自分なのだろうか? たかが高校生に――それも貧民層で、何も持たないどころか国から援助してもらっている自分に、いったい何を求めるというのか……。
バタバタと出掛けるゆゆを笑顔で見送り、かれんはゆっくりと話し出す。
「愉快な妹さんですね。あ、それと安心して下さい。彼女の記憶はちゃんと元に戻せますので」
「……ついでに賢くしてやってくれると、俺も助かるんだけど」
「それは出来かねます。『虚構刷込』は“NLO”ではありませんので、知識などの経験を書き込むことはできません」
……冗談だよ、と翔兵は背もたれに寄りかかる。
考えに手をこまねいても仕方がない、と、翔平はとりあえず聞きに回ることにした。
「さて。当然ご存じないことと思いますので説明をさせてもらうと――私たち“バイオノイド”は、機械機器や人工細胞によって構成されるヒューマノイドとは違い、また、損失した一部を補う・強化するといった擬体化した人間とも異なります。生物学的・有機物的人造人間――つまり、簡単に言えば、クローン人間ということになります」
クローン。
突拍子もなく、現実味も帯びない話ではあるが……しかし、肉体を変質・変形させるという、普通ではあり得ないものを見せられた手前、翔兵は否定することができない。というかクローンの意味がわかっていない。
けれど、名状し、説明してくれたことが妙な現実感となって、どこか腑に落ちる気がした。
「……へえ? そのクローン人間ってのは、手をまるでナイフみたいにできるのか。初耳だ。ウチの包丁より切れ味がいいんだろうな。妹くらいなら真っ二つにできるのか?」
「……そう邪険に扱わないで下さいよ。……真っ二つにはできますけど」
できるのかよ。
「まあ、先に言ったように、そのつもりもありませんけどね。話を戻しますけど――私たちバイオノイドは国から治安維持と武力制圧を主に命を受け、人の社会に溶け込んでいます。けれどもしかしながら、バイオノイドを生産するにはコストが掛かり過ぎるため、翔兵さんのような国民を――こう言っては気分を害するかもしれませんが、貧民層に属する人間に声をかけ、特殊戦闘要員としての勧誘を行っております」
翔兵は眉をひそめる。
「勧誘? さっきは強制って言わなかったか?」
「……本来ならば、勧誘以上の行為は行いません。ですが、翔兵さんの場合は込み入った事情があり、強制選出となりました」
「事情ってなんだよ」
「いまはお応えすることはできません」
「なんで俺なんだ?」
「お応えすることはできません」
「……他にも選ばれたっていう人間はいるのか?」
「お応えすることはできません」
「……拒否することは……」
「できません。その権利は翔兵さんにありません」
うーん……。
ここまで突っぱねられると逆にすがすがしい。
しかし、記憶を操作できるならべつに教えてくれたっていいじゃないか――と、翔兵は唇を尖らせる。……残念ながら、いまの翔兵のオツムはこの程度であり、“それ以上”のことを推測することはできなかった。
そもそも、記憶を消せるのであれば、わざわざ翔兵に分かり易いよう脅しをかける必要もないし、無駄な敵意を植え付ける必要もない。そうせざるを得ない事情――というものがあったのかなかったのか――それはかれんのみぞ知る、というところなのだろうけれど。少なくとも翔兵に対し、妹を交渉の道具に使ったことは、偶然とはいえ、この上ない妙手と言えた。
そんなかれんは、翔兵の納得しかねる表情、そして沈黙を不機嫌と誤解したのか、なだめるように、
「けれどですね、翔兵さんにもちゃんとメリットがあります」
と、人差し指を立てて、続ける。
「特殊戦闘要員として国に従事すると、生活、住宅、教育などの公的扶助が得られ、税金と医療費は免除、翔兵さんがおじいちゃんになった際に掛かる介護費も国が負担します。仮に翔兵さんが結婚して、お嫁さんが出来たら出産扶助もありますし、戦死したら葬祭費だってもちろん負担します」
「…………」
超絶優良企業だった。
……いや、企業というか国だけれど。軍隊だけれど。
「まあ。収入がなく、国の保護を受けている翔兵さんには、税金と言われても実感が湧かないかもしれませんが……少なくとも、いまの“配給に頼った生活”とは無縁になることができます。もちろん――」
それはゆゆさんにも同じことが言えますね――と。
まるで心を見透かしたように、かれんは言った。
「……ゆゆもその待遇になれるっていうのか?」
「そうではありませんけれど……しかし、翔兵さんの場合は強制を取らせて貰っている手前、こちらの落ち度を否定できません。出来る限り上に掛け合ってみます」
「…………」
この時点で、実をいうと翔兵の頭には、要求を断るという考えは一切なかった。
二つ返事で引き受けても良いほどの好条件。ゆゆのことを思えば、現在の生活、未来的に見ても千載一遇の機会だと言える。けれど、懸念としてあったのが、自分が軍の力になれるとは思えない――という、善人も甚だしい考えと、なにより自分を取り巻く環境を自ら出ていくという、冒険心への拒絶だった。
これは保守的といえばそうなのだろうけれど、しかし、一歩を踏み出すきっかけを見つけられず、二の足を踏んでいる臆病者とも言える。
少しの沈黙の後、翔兵は言う。
「……俺は……、俺はなにを“したらいいんだ”?」
かれんの目が一瞬細まった。
翔兵はそれに気が付くことはない。
「私どもが翔兵さんに望むことは一つ。“制止力”になって貰うこと――それのみです」
「制止力?」
「そう。国という王、姫君という国民を守る騎士――」
かれんは言う。
「一緒にこの世界を守りませんか?」




