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二十分後。
机に頭を乗せて、うなだれる憂沙戯の姿があった。
「……あー……」
ホログラフ・モニタのチェス盤では、後手――黒のキングがチェックメイトの状態にあった。
浮かんでいる勝利の文字。
先手――白、憂沙戯。
「……なんとか……勝てた……」
勝利こそしたものの、疲労困憊の体である。
案の定、相手はIAデバイスを用いて勝負を仕掛けたのだろう、憂沙戯がここまで苦戦するのもめずらしい。
こういった理論ゲームを行う上で、IAなどプログラミングされたコンピュータが有利な点は、選択肢を総当たりできることにある。すべてのルートを軒並み視野に入れた上で、最善手を選択する――言ってしまえば簡単に聞こえるが、人間の思考能力でそれを行うのはやはり難しい。
それを相手に勝利してしまう憂沙戯も大概であるわけだけれど――しかし、相手は時折、およそ憂沙戯が思う最適解ではない指し方をしてきた。
誘うような愚手。
人間味の感じられる悪手。凡手。
チェスにおける中央演算処理装置(Central Processing Unit)のグランドマスタークラスになれば、流石の憂沙戯だって勝てはしなかっただろう。もちろん、コンピュータだって、無量大数に近いパターン・ルートをすべて演算しきれるとは言い難いが……それにしたって、人間が機械に勝てる道理はない。
つまり、それは相手が憂沙戯と同じように生身で――もしかしたら、IAデバイスを使わずに挑んできたのではないだろうか?
と、憂沙戯は疑念を抱く。
「……わざとだったんですか?」
呟いてはみるが、もちろん反応は返ってこない。
IAじゃないのか……それとも、手加減をされたのか……。
憂沙戯は眉を寄せて、画面をにらみつける。その疑念を払拭するに足る根拠はない。
[匿名]:強いですね
ログに書き込みがあった。
憂沙戯はげっそりとした顔でそれを見、
[うさ]:そりゃまたどーも
と、書き込む。
あなたも相当でしたよ――と、賛辞でも送ってやろうかと思ったが、このレベルの相手と、しかもチェスで連戦するのは避けたかったので、素気ない返事を返した。
[匿名]:月野さんにお勧めしたいゲームがあります
[匿名]:興味はありませんか?
「はっ?」
うめき、顔をしかめる。
なぜ顔も名前も知らないはずの相手が、“月野”という自分の名字を知っているのか――
憂沙戯は前のめりにキーボードホロを叩く。
[うさ]:あなただれ?
[うさ]:ストーカーさんですか?
[匿名]:違います
[匿名]:警戒しないでください
[うさ]:こっちは名前を知られてるってのに
[うさ]:軽快しないわけにはイかないでしょう
[うさ]:警戒
[匿名]:それもそうですね
[匿名]:僕の名前は
「……“スマイル”……」
さっきの対戦相手――じゃない?
たしかに、そうなると納得する部分もあった。
ゲーム理論の最善手を瞬間的に判断・取捨選択しなければならない格闘ゲームでは、やり込みによる反射もあるが、頭の良さ――言い換えれば、相手を誘導する策・思考が顕著に出る。
さっきフルボッコにしてあげた『koma』というプレイヤーは、お世辞にも強いとは言えなかったし、言っては悪いが、頭の良い人間がプレイしていたとも思えない。しかし、いまチェスを相手した人間は――少なくとも、憂沙戯と同程度の知略を見せた。それは同時に共感性を持って、疑念を払拭するに足る根拠のない根拠となる。
ヘビーゲーマーの直感が囁く。
“コイツは生身の人間だ”、と。
だから、違う人間だと言われれば、憂沙戯もそれは納得だった。
が、
「……いや……誰? いきなり名乗られても困るんですけど……」
軽快に警戒を解く応えにはなっていなかった。




