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「あはっ、それは読めてまーすよーだっ!」
暗い部屋の中。
月野憂沙戯は、PCのホログラフ・モニタの前で独り楽しげに呟く。
頭から掛けているそれは、メガネ型のディスプレイ――グラス・モニタだ。
「んにゃ? そこでバースト使っちゃうかー。いいのかなぁー? 知らないよー?」
憂沙戯が所持するグラス・モニタはかなり旧式のそれである。
貧民層に属する憂沙戯には、人体埋め込み型の内部端末から直接接続するリンクタイプのゲームはプレイすることは出来ない――だから、ヘビーゲーマーの憂沙戯にとっても、貧民街に暮らす他の人と同じように、リンカーは喉から手が出るほど欲しい道具ではあったが――しかし、憂沙戯の“欲しい”は他のそれと意味が異なる。
「それ見たことかーっ! ――って、あっ!」
はしゃいだ拍子にグラス・モニタがずれた。
軽量化が進み、いまではサングラスと同じようなタイプも発売されてはいるが、憂沙戯のそれは最初期のもので、頭から被るタイプのヘッドマウントに近い。
「くぅ……、まさかリアル攻撃を仕掛けてくるとは……。視界半分が奪われた……だと!?」
それは完全に自分のせいである。
まあ、とやかく言っても扱う本人が満足ならそれでいいだろう。
その憂沙戯はというと、
「い・た・だ・きぃ! あー、これイッちゃうなぁ。ごめんなさいね『koma』さん。このワンチャン即死までありますよー?」
傍から見ればそれは、手にグリップタイプのワイヤレスコントローラーを持って、くるくると回転椅子に揺られる独り言の大きな成人女性にしか見えない。
……というか、まんまそれだった。
後ろで束ねられたセミロングの髪はぼさぼさとしていて、寝ぐせでピンと跳ねた前髪が、顔のサイズに合わないグラス・モニタに掛かっている。
タンクトップにパンツ一丁。
念のために言っておくと、ちゃんと女性用の下着だ。もちろん、ブラはつけていない。
そんな野暮ったらしさがうかがえる憂沙戯は、悦に濡れた顔を浮かべ、
「残念だねーん。五割切ってたら耐えらんないねーん。可哀想だねーん、えへへ。バーストも全部使っちゃったしぃ、無防備フルボッコ確定っ! 憂沙戯さまのフルコン味わえっ! えへっへっ!」
と、その服装もさることながら、言動も完全に変人のそれを体していた。
対戦が終わり、憂沙戯はモニタに映るWINの文字を見て、
「完全勝利っ! 対戦ありがとうございました!」
ご満悦といった風に笑みを浮かべて、ぺこりと一礼。
対戦してくれた相手には敬意を払う――それが格闘ゲーマーの最低限のルールであり、蔑ろにできない絶対無比のルールである。対戦中の断線なんて、もってのほかだ、と憂沙戯は思っている。
机に手を伸ばし、置いてあった缶ビールを持つ。
景気の良い音とともに泡が溢れ、一口飲んで憂沙戯はさらに良い顔をした。
「ぷはぁっ! やっぱ、わたしってば最っきょ! ああ……敗北を知りたい……なーんてねっ!」
机の上には空いたビールの缶が三つ。
酒に酔って完全に調子に乗っている自堕落な二十一歳女性、整った顔立ちに輝きそうな容姿をしているけれど、やっぱりスッピンで彼氏なし、着ているタンクトップのほつれも気にしなければパンツ一丁という女性にあるまじき格好にも羞恥心なんて微塵も感じていないだろう憂沙戯は、足をバタつかせて、「にゃはは」と笑う。
と、
PCスピーカーから陽気な電子音が聞こえた。
憂沙戯はグラスモニタを外し、PCのモニタに目をやる。
「んにゃ? ……メール?」
デスクトップ下部、アンダーバーにあるメールアイコンが受信を知らせていた。
憂沙戯は気に留めなかったが、なぜかそのアイコンは赤く彩られている。
「……誰だろ? もしかしてさっきの対戦相手かな? 言ったら悪いけど弱っちかったからなー、でもその根性は認めますよ。再戦は別ですけどね――ってあれ、リンクが貼ってある。なんだろうこれ」
メールを開いてみると、何かツールでも使ったのだろう、差し出し人は匿名。
本文にはURLのみが書かれていた。
「……誘ってる……って解釈でいいのかな?」
憂沙戯はクリックしてページを開く。
「は?」
画面に現れたのは、縦横八マスずつに区切られた市松模様の正方形の盤。
そして手前と相手側に並ぶ、計三十二の駒――それは誰もがよく知るチェスゲームだった。
見ると、すでにチャットログに書き込みがあった。
[匿名]:これで勝負をしましょう
「うわっ、相手絶対IAデバイス使ってくるパターンだこれ……。未だにこんなのやるかなあ? 対人ゲーム理論っていうか、駆け引きの楽しさって、そこじゃないでしょうに」
ゲーム理論。
それはあるルールのもとで各プレイヤーがとると考えられる、最適な行動の組合せの答えを求めることであり――チェスは、対局する二人のプレイヤーがいて、各プレイヤーは盤上の駒がとることのできる動きを計算可能かつ、双方ともに盤上の駒の配置情報を知ることができる、いわゆる二人零和有限確定完全情報ゲームだ。
先手後手があるにしろ、言ってしまえば最初の一手で勝負が決まる――運の介在する余地のない、理論ゲームの王道。偶発的な事象が起こりえない遊び。だから、憂沙戯の言うIA――知能増幅デバイスを使うと、常にゲーム理論の最適解を差すことができることになる。
「答えのわかってるゲームって楽しいのかな? ……まあ、乗りますけど――」
こういったネットを介したゲームを行えている時点で、対戦相手が富裕層である可能性が高く、IAを使用してくる可能性もそれに比例して大きくなる。IAを始めとした“人間を拡張する”道具・機能を購入できない貧困層は、自分の知識や経験のみでプレイしなくてはいけない――
が、しかし。
月野憂沙戯は不敵に笑う。
「――簡単に勝てるだなんて思わないでくださいね。古今東西、ありとあらゆるゲームの頂点を極めた、このわたしにっ!」
もちろん、嘘である。
 




