招待 -001-
Monday July.XX,A.D.2102 /
Kibogaoka Toyama Area-ⅲ / japan / at 18:12......_
「……なあ、もしかしてだけどさ。エージは俺のこと馬鹿にしてんのかな?」
団地のすぐ隣。
神通川の河川敷で、戸津甲翔兵は唇をとがらせる。
じっとにらみつける先――友人である倉橋永次は、ぷらぷらと手を振り、
「馬鹿になんかしてねえって。俺がお前を馬鹿にしたことなんてこれまであったか? ねえだろ。ただ問題出しただけだってば」
と言った。
永次は整った顔立ちに、背も翔兵より少し高い。妹のゆゆがよく、「なんで永次さんがおにーちゃんじゃなかったんだろう」と、悪態ついていたことを思い出す。これには、兄の翔兵としても苦笑いしか浮かばないわけだけれど……しかし、翔兵の男の目から見ても頷かざるを得ない部分も確かにあった。
そんな永次は、ボタンが開けっ放しになった学生服の上着ポケットから煙草を取り出し、火をつけておもむろに一服。
煙を吐き出しながら、
「いいからちゃんと答えろよ。五割る三はいくつだ?」
と、再度言う。
煙たそうに顔をしかめて、翔兵は応える。
「絶対舐めてるよな。流石の俺だって割り算くらい出来るぞ。高校二年生だもん。えっと……ちょっと待ってろよ」
「おいおい……マジか。勘弁してくれよ」
暗算が出来ず、地面に計算式を書き始める翔兵。
永次は呆れたといった風に額へと手をやる。
「わかった! 答えは1.6666……って割り切れないな」
「そう、それ。つまり俺が言いたいのはそれだ。この五万円を三人で割ろうとすると、割り切れなくて面倒。じゃあどうすんのか――って話なんだけど」
「どうするんだよ? 俺はべつに一万でもいいよ。エージには借りもあるし、ケンゴだって父ちゃんいなくなって大変だろうしさ」
永次は肩をすくめて、
「親がいねーのはお前も同じだろ。それにゆゆちゃんの面倒見なきゃいけないぶん、お前のほうが大変だ」
兄貴肌な永次は言った。
たしかに、大変かどうかと訊かれれば翔兵だって縋りたい気持ちもあるし、妹の面倒は自分一人でみなきゃいけないのだから……まあ、大変だ。
けれど、その“大変”も自分だけに収まる話じゃなくて。ここに住む人たち全員が大変なのだから、それは平凡と言っても差し支えがないような気がする。
そう思って翔兵はやんわりと首を振る。
「いや……そこまででもないよ? 二人だし、配給でなんとかやってけてるしさ」
「いやいや駄目だ。こういうのはきちっとやっとかなきゃなんねー。そうだろ? そうだともさ」
翔兵と永次が腰を降ろす堤防のコンクリートの上には、万札が五枚置かれていた。
国から援助を受けている貧民層では、配給札による受給――または物品の物々交換が主となっているので、好きなモノを自由に買うことのできる紙幣の価値は計り知れない。
しかも五万円だ。
これだけあれば、しばらくは贅沢な暮しが出来る。
「あ……そうだ。ゆゆちゃんがいるじゃねーか。じゃあ四だな。翔兵、五割る四はいくつだ?」
「だから、やめろってそれ! もし間違ったら赤っ恥じゃないか!」
「いいから答えろよ。さていくつだろうな?」
「えっと……一万二千五百円だな!」
翔兵は胸を張って言った。
永次はとても情けないものを見るような目で、
「あー……うん。正解だ。暗算で良く出来たな。すごいぞ翔兵。……って理由で、お前三万持ってけ。俺とケンゴで残り半分にすっから」
と、妹まで頭数に含めて話を進める。
「……いいのか? お前らよりすごく多いぞ?」
「構わねえって。どうせ拾った金だし」
「……ありがとう」
「やめろ。礼なんかいらねー。それでゆゆちゃんにうまいモン食わせてやれよ」
翔兵はもう一度礼を言い、差し出された万札三枚を受け取って、真黒い学生服の胸ポケットに入れた。
夕暮れに染まる河川敷。
永次から伸びた影はゆっくりと川の方へ向かっていく。
チッと舌打ちをし、
「辛気くせえな。まるで腐ったみかんだな、あれ」
落ちる陽に向かって、いつものように永次はいつもの言葉を言った。
茜色に流れる川。
その川べりには放棄された電子機器が散乱していた。後ろを振り返ってみてもそれは同じで――団地のマンション、アパートの周囲には、金目になるようなモノが粗方取り剥がされたゴミが放置されている。
自分の住む街を『廃棄場所』と言われて、不快に思わない人間もそういないだろう。翔兵の住む富山は四つのエリアに分けられ、そのエリア毎の暮らしは火を見るよりも明らかだった。
富裕層から始まる、それの一番下、最低ランク。
それが翔兵や永次の住む世界。
川の向こう側――富裕層の街は、まるで別世界のように華やかな光に満ち満ちていた。
住む世界が違うとは、まさにこのことを言うのだろう。
遠目に映るそれは羨ましくもあり、翔兵にとっては、ゴミ捨て場から月を見上げるような気分だった。
「なあ、翔兵」
永次は呟くように、
「くっだらねーって思わねえか? この世界。ぶち壊してやりてーってよ」
と言った。
その言葉には、熱が込められているような気がした。
視線を川の向こうから永次へと移す。後姿しか見えなかったけれど、きっと永次はあちらの世界を睨みつけているんだろうな、と思った。
「俺は……そうでもないかな」
永次は振り返る。
案の定、しかめっ面だ。
「……理由を訊こうか。なんでだよ?」
「この世界にはお前がいる」
「は?」
「ゆゆがいる。ケンゴだっている」
「だから?」
「だからさ。たしかに俺にも納得はいかない部分だってあるよ。親だっていないし、辛いって思うこともある。でも、壊すなんて俺はそんなの望んでないし、何か特別が欲しいとも思わない。いま俺の周りにはお前らがいてくれる。十分じゃないか。だから、そんな世界を俺は嫌いになれない」
永次はきょとん、と。
やがて噴き出したように笑う。
「ははっ、翔兵。やっぱお前馬鹿だわ」
「やっぱってなんだよ。ていうか、やっぱり馬鹿にしてんじゃねえか! 馬鹿にすんじゃねえ!」
親友の笑顔に釣られて、翔兵も笑う。
ボロっちい団地のさびれた街頭は、点滅しながらも薄い光を放っていた。




