表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイコ×ロジック  作者: 独楽
虚構
19/97

-002-


「――雫? 聞いてる? どしたの、ぼーっとしちゃって」


 その呼びかけに、蒼井雫あおいしずくはビクッと反応する。

 顔を上げると、友人が覗き込むように見ていた。


「……ご、ごめん。ちょっと考え事してて……」

「訊いてよ、しーちゃん。ミカってばあたしの言うこと全然信じてくんないの」

「あのねぇ……それはあんたの話がソースまみれだからでしょ。ウスターソース? トンカツソース? でも残念。私、サラダはフレンチって決めてるから」


 友人らの他愛もない会話に、雫は苦笑いを浮かべた。

 軍立夢見ヶ丘高校――放課後の教室内。

 放課後だというのに友人たちは帰ろうともせず、雫の席を囲んで談笑と洒落込んでいる。窓の外をぼんやりと見ると、陽も落ちかけてグラウンドが茜色に染まり始めていた。もう帰りたくてしょうがない。

 冗談交じりに楽し気に話す二人とは違い、雫の表情はどこか薄暗い。

 

「それでさ。その店のパフェが超美味いんだって。甘党の私としちゃー見逃せないってわけよ」

「えー、でも私、今月ピンチだからなー。見てよ、これ」


 そう言って、友人は指を宙に振ってみせた。

 すると雫の視界の片隅に、メール受信を知らせるアイコンが現れる。

 友人の内部端末(リンカ―)から送られて来たのだろう――人間の周辺機器としては欠かせない携帯端末は、その姿をより小さいものに変え、この22世紀では埋め込み型として、歯、頭蓋骨など人間の体内に存在する――雫は視界ホログラフ・モニタに映るアイコンを見、そっと指でタップする。

 受信BOXからメールを開くと、銀行口座情報が表示された。

 名義は友人のものだった。


「うわ……、この残高やばくない? 二千円って……」


 ミカは指を宙に泳がせながら、露骨に引いてみせた。

 視界ホロは本人にしか見えない。

 だから、それを操作する姿は他者から見ると――まるで駅の路線図を指差し確認しているような仕草に見える。子供の頃はそれが滑稽で、親が宙に指をなぞらせている姿を見、『何をやっているんだろう?』と、面白可笑しくも首を傾げたものだ。


「だから言ったじゃん。もうマジで今月辛いんだよねぇ……パパ怒らせたら、おこずかい減らされちゃってさぁ……。ほんっと最悪だよぅ……しにたい」

「それ、自業自得だから。貧乏学生ってやだねぇ――てゆっかさ、その点、雫はいいよねー。国からお金貰えるわけだしー。ね?」


 友人たちの口元がいやらしく吊り上がった。

 細まった二対の視線に、雫は内心どきりとしつつ、


「……それは、そうだけど……。でも、貰ってるのは生活費とかだから。私もそんなには使えないし……」


 と、俯いた視線はそのままにたどたどしく応えた。

 不快感が手に汗を滲ませる。

 次の台詞はきっとこう――


「しーちゃん、お願い! 今日オゴって! マジピンチなんだよぅ、頼むよぅ」

「ついでに私もね」


 ……だろうと思った。

 どうせ最初からそのつもりだったくせに……。だったら、わざわざ遠まわしに話を誘導するような真似なんかしないで、単刀直入に言えばいいのに。嫌な思いをする時間を、一秒だって縮められたはずなのに。


「……えっと、ごめん」


 雫は言った。


「私、行かなきゃいけないところあるから、今日は難しい……かな」


 ごめんね。

 本当にごめん――と、思ってもいない言葉を並べて、雫は席を立つ。

 熱を帯びていた友人らの顔が急に冷たいものへと変化する。それはまるで雫がタブーに触れてしまったかのように、さっきまで和気藹々と騒いでいたのが嘘のようだった。


 そんな友人二人を尻目に、雫は逃げるように教室を出た。

 後ろ手に閉める扉の向こうで、


 ――なにあれ。ウザくない?

 ――友達やってあげてんのにねー。もういいよアレ。切っちゃう?

 ――それあり。きゃはは。


 と。

 そんな声が聞こえた。


「…………」


 胸の奥がじくっと痛み、心の壁がまた一枚厚くなった気がした。

 雫は唇を噛んで帰路に着いた。


 ……けれど、まあ。

 どうせこんなもんだろう、とは思っていた。

 期待なんて端っからしてはいないし、望んでいるわけでも決してない。

 それは怒りと言えるほど大そうな感情じゃなくて――だけど、悔しさとも少し違う。自分の弱さを突きつけられて足掻こうともしない、他でもない自分に対する軽蔑――自虐めいた曖昧な嫌悪感。

 不思議なものだった。

 大した意味もなく、価値もなく、繰り返される嘲笑と侮辱の言葉に、自分は嘲笑いつつも見下しつつも、それでも心には深々と傷を残している。それはゆっくりと長い時間かけて通り過ぎて――積み重なって後に鈍い痛みを放つ。

 笑える。

 人間の心のない言葉が、自分の心にここまで大きな影響を与えているというのだから。

 ぼんやりと、思う。

 いつからだろう?

 こんな振る舞いが自分の生きる規準――処世術となって、周りに合わせようとおたおたと馬鹿らしくも適応を求めて、居場所なんてないのに、どこにだってないのに、限られた選択肢から選ぶように馴染めないから馴染む振りを、友達って言われたから友達の振りを、望んでもいなことでも望んでいるかのように――そんな風に、自分の振舞い方を決めるようになったのは……。


「……生きにくいな、本当に……」


 本当の自分と嘘の自分。

 揺れて歪んで小さくなっていく心は、もう見えなくなりそうだった。

 矮小な枠。

 孤独。

 自分。


 ……わからない。

 本当にいつからなんだろう?

 こんなくだらないことが、自分にとっての当たり前になったのは……。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ