-XXX-
※この『虚構』は“未完結”のままとなっております。
五、六歳くらいだろうか――
まだ幼い男の子が、公園の地面に寝そべって晴天を仰いでいた。
そよぐ風は少し粉っぽいけれど、こんな澄みきった空の下なら、日向ぼっこにも最適だろう。あたたかい光の中で、男の子は片目をぼんやりと開き、空を見つめている。
けれど、その目にはもう何も映してはいない。
男の子はちょうど左目の辺りから――顔の半分が飛び散っていて――頭蓋の中身を、血を、まるで真っ赤な華のように曝していた。
そのすぐそばには女性がいる。
きっと男の子の母親だ。
彼女の破裂した腹部からは、健康的な色をした内容物がはみ出て、そのディテールが陽光に照らされてきらきらと光っている。
見るに、どうやら対物ライフルで撃たれたようだった。胴体の四分の一が綺麗さっぱりと無くなっていて、肉のついでに片足も飛んでいた。骨盤が原型も無く崩れ、だらしなく垂れ散らかる腸の合い間から、そら豆のようなものが頭を覗かせている。
あれは多分腎臓だろう。
言うまでもなく、死んでいた。
痛々しい姿で、二人とも。
すでに動くことを忘れた母親の身体は、腕を真っすぐに伸ばした状態で止まっていた。それはまるで、男の子に向かって手を伸ばしているようにも見えた。
母親は最期に何を思ったのだろう?
胸を裂かれる思い――そんな言葉は、実際に腹を裂かれた人を前に使う気にはなれないけれど、きっとそれ以上に痛烈な思いをしたのだけは間違いない。
そんな親子の姿を横目に、
蒼井雫は足を進めた。
公園を出ると、道を囲うように住宅がいくつも並んでいた。
あちらこちらから燻った煙が立ち昇っている。
肉の焦げる匂い。
爪や髪の毛が燃えた独特の香り。
幾多もある煙のひとつ、真っ黒になった家の玄関口には、性別はわからないけれど人の姿があった。焼けて委縮した筋肉に身体の要所にある骨が折れ、関節じゃない箇所を曲げて子供みたいに丸まって寝ている。
ぱりぱりに焦げて赤黒くなった――まるでクリスマスのチキンだ。
美味しそう、とはとても思えないが、ほんの少し前まで人だったモノも、こうして見ると滑稽に見えて仕方がない。究極言ってしまえば、人間は脳も身体も電気信号で動くだけの有機物だ。こんな具合に焼却処分されたマネキンのように転がっていると、本当に生きていたのかすら怪しくなってくる。
そんな主人のペットなのだろうか、可愛らしい柴犬がそれを鼻でつついて鳴いていた。くぅん、と悲しみに泣くように。
その犬の首元からは毛と皮膚が一部崩れて、機械部分が見えた。
どうやら、この犬は機械動物らしい。
「……君も止まっていいんだよ?」
雫はひどく冷静に独白する。
周りを見てもわかるように、焼けているのはこの家だけじゃない。ほとんどが煤色に染まり、まるで戦後の街並みのように荒みきっていた。
人も、
街も、
みんな、みんなが壊れている。
死屍累々とでも言うべきか。
まともな神経をしていたら、こんな光景を受け入れることは出来ないだろう。もっとも――これから雫は“これを演出した異常たち”を相手にするのだから――雫だってまともだとは言えない。
精神転送により侵入した疑似世界。
このいま立つ場所が有と無、0と1の羅列によって構成される作られた疑似現実だとわかっていても、現実となんら変わりない質感、感覚にリアリティを感じずにはいられなかった。
「……本当、感情を切っておいて正解だった」
いつもの自分なら胃の中にある物を吐き散らかしていただろうけれど、そう思うと感情制御プロコトルも、悪いものはではないのかもしれない。
人間同士が意思疎通を行う場合に、どの言語を使うか――音や文字など、どんな媒体を使うか――と、二つの階層に分けて考えることができるように、体内に埋め込んだNLOリンカーが仲介役となってメンタル安定のため、不利益になる脳への情報伝達を遮断する。
普段は毛嫌いしている埋め込み機器の機能だけれど、この時ばかりはありがたかった。
雫は視界に映る現在地を見る。
眼球張られた薄い膜が近くに敵がいないことを知らせた。
けれど、気を抜くようなことはできない。雫はハンドガン型の固有デバイスを両手に、警戒しながら歩く。
雫は一人だった。
いまとなっては懐かしさを感じさせる孤独。
暗殺などの作戦における部隊の基本単位は四人だ。
人数がこれ以上になると統制が難しくなり、逆に以下になると不慮の事態――負傷したりしたときに代えが利かなくなる――に陥った際、チームそのものが機能停止しかねない。また、二人編成として二人組に分割可能でもあるため、四という数字は融通が利く数とも言える。
二人構成はこうした特殊部隊では最小構成人数であり、いま雫が行っているような単独行動は基本的にあり得ない。
それを行っているのは、ひとつの簡単な理由からだった。
この命を救ってくれた親愛なる君を殺すため――
雫はかぶりを振り、歩き続けた。




