Last Phase
笑って、みせて……?
と。
その言葉を最後に。
それきり一ノ瀬綾奈は動かなくなった。
オイルの代わりに血液を漏らし――歩道を赤く染め、隣に並ぶバラバラになったヒューマノイドと同じように、その活動を停止した。
(…………あ)
彼女を表していた数字が違う意味へと変化した。
腹の底が動悸のように脈打ち、手が震えた。
「……な、なあ、ニーナ。一ノ瀬は……死んだのかい?」
『心肺機能停止を確認。頭部粉砕骨折、胸部圧迫により骨折した骨が心臓部を貫いています。この場での蘇生措置は無駄かと思われますが、行いますか?』
「……いや」
手にあるずっしりと重く、まだ温かいのに、冷たい感覚。
腫れぼった眼。ひしゃげた輪郭。裂けて口内を覗かせる頬。折れ砕けた歯。華奢だった一ノ瀬の顔は見る影もなく、桜のような笑顔は散ってしまった。
ふと、一ノ瀬の手に握られているモノに気が付く。
ぎゅっと握りしめられたそれは、さっき青年があげたプレゼント――無愛想なクマのストラップだった。
「……ばか……かよ」
と、嘯く。
涙があふれて止まらない。
悲壮感が嘔吐のように繰り返し襲ってくる。
『■■■さま。死の近くにいるのは、どのような気持ちなのですか?』
「……あまり、いい気分じゃないかな」
『そうですか』
「自分が何者なのか、突きつけられている気分だ」
『■■■さまは、■■■さまでは?』
「……そうだね」
青年は立ち上がった。
その腕に一ノ瀬綾奈だったモノを抱えて。
「変なことを言ったかな。……それよりニーナ、この状況は?」
『一定周波数帯域において、未知の信号を確認。ヒューマノイドは何らかの通信手段によって操作されている可能性があります。加えて、自律戦闘モード解除により、主機への干渉の危険性があります。自主防衛の為、モードを継続してよろしいですか?』
視線を落とし、青年は一ノ瀬の顔を見る。
そして静かに目をつむり、
「……そのまま僕たちを守ってくれ」
一ノ瀬の身体を強く抱き、言った。
『了解いたしました。ですが、主機性能のみでの命令遂行は困難と判断します。銃器使用許可、及び制圧砲撃の許可を』
「構わない。やれ」
その言葉に二―ナは右腕を突き出し、砲撃体勢をとる。
当然だが、市販されているヒューマノイドにそのような機能はない。
『軍事用FI自立型ユニット』――青年は軍事データベースから盗み見た情報を元に、土台となるニーナの機体に特別な戦闘行動処理プログラムを書き込み、その動きに対応できるよう改造をしていた。これは万一のためではなく、単純な好奇心から青年が造り上げたものだ。
先ほどの激しい動作についていけなかったのだろう――間接部の人工皮膚は裂けてはいるが、ニーナの機体は、ある程度の行動に耐え得るよう補強されている。
そして、その腕にささやかながら兵器を備えて。
『DEW疑似フォノン砲――指定範囲内の格子振動を上げます。可視化光線に当たらないよう、私の背後から動かないでください』
突き出された右腕から、流線型を描くトンファーのような機器が現れた。
指向性エネルギー兵器――DEW(directed-energy weapon)。ニーナに備えられている武器デバイスの一つだ。
ニーナの胴体には、超高出力のジェネレーターと腕には二種のレーザー発振器を搭載してあり、切っ先から出力されるレーザーは強大な切れ味と破壊力を誇る。
特殊粒子によって構成される光線は、波紋状に広がる振動の波に指向性を持たせ――当てられた原子を直接的に揺さぶり、振動の波を揃えさせることでその振幅を乗倍させる。
結果、膨大な熱エネルギーとなったそれは、対象を内部から瓦解せしめる。
『制圧砲撃を開始します』
言って、高出力レーザーが発射され、ニーナは薙ぐようにその腕を振った。
金属を激しく擦りつけたような甲高い音が鳴り響く。
レーザーの直線上にあったものは炎を凝縮したかのように紅く染まるやいなや、轟く爆音と同時に弾け飛んだ。
一瞬にして青年の眼前にいた数十体のヒューマノイドたちが内側から――まるで電磁レンジに入れた卵のように爆散。街頭は融解し、アスファルトはレーザーの軌道にそって砕け散る。
その外壁を切られたように破壊されたビルが崩れ、空を覆い尽くすコンクリートの天幕となって落ちてくる。
押しつぶされることは必至か――と、思われる刹那。
二―ナは右手を添えて、左腕を空へと掲げた。
『出力投射モード砲撃シークエンスに移行します。弾種、高圧縮メタマテリアルショットシェル――』
めまぐるしく破壊されていく風景に、しかし、青年は気に留める様子もない。
すでに目を閉じ、この世界から目を逸らしていた。
ニーナの左腕が砲身へと変形。
視界上部120度の一面を覆うビルの瓦礫めがけ、二―ナは全開砲撃を放つ。
散弾銃の弾よりはるかに微小の弾丸は宙を浮く目標をとらえ、質量の壁となってそれを破壊。砲身となったニーナの左腕は、発射された弾丸の反対方向へと反動を受ける。
凄まじいバックファイアに、粉微塵となったビルは、後ろへ後ろへと吹く嵐のような風に流れていき――機械を、人間を、世界を巻き込んで、青年の進む道を開かせた。
『状況終了。……、……了解いたしました。モードは継続されます』
鼓膜を破るような爆音。
焼け焦げた粉っぽい空気。
その腕に亡骸を抱えて、青年はゆっくりと歩き出す。
「……一ノ瀬……」
ぽつりと、呟く。
ほんの少し前のことが、ひどく懐かしく感じられた。
――人間って、なんだろうな――
青年のその問いに、なにがおかしいのか、一ノ瀬は笑って言った。
『んー、笑顔じゃないですか?』
目を細めて、頬を緩ませて。
優しい顔――眩しいくらいの笑顔で、そう。
『誰かの笑顔を見て心があったかくなる。楽しくなる。ぽかぽかする。きっとそれが人間なんだろうなーって、私は思います』
その言葉に青年は向かい合うことなく、無表情に嘲笑の言葉で返した。
けれど、胸の内に温かいものを感じていた。
一ノ瀬の笑顔に安心して安堵した。
自分が人間であると、認めてくれた気がしたからだ。
「…………」
ありがとう、と思う。
青年は前も見ずに足を進める。
進行の妨げになるものは、二―ナが自動で排除していく。
世界は荒んでしまって、なにもかもが溶け落ちてしまいそうだ。けれど、閉じたまぶたに浮かぶ街の風景はきらきらと輝いて見えた。
ふと、青年は立ち止まる。
「……ああ、そうか……」
“苦笑いを浮かべ”、言った。
「僕はきっと、君のことが好きだったんだね……」




