Phase 12
「君はロボット三原則という言葉を知ってるか?」
東京某所。
デスクを前に、阿藤蓮は研究員に訊いた。
当然とばかりに、目の前にいる白衣姿の男は頷く。
「第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。第二条、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が第一条に反する場合は、この限りでない。第三条、ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない」
阿藤蓮は疑似神経工学の権威者だ。
部下として控える白衣の男は、線の細い小柄な体格で、丸ぶちのシルバーフレームの眼鏡をかけている。どこかなよったらしい、頼りなさそうな男だった。
ふん、と阿藤蓮はつまらなさそうに鼻を鳴らし、言う。
「君は、この状況をどう捉える?」
「原則なんてあったものじゃないですね、全て無視しています。どうやってシステムを出し抜いたのやら……恐ろしいモンもあったもんですね。おー、怖。くわばらくわばら」
部下の男は、陽気に返した。
表立ってはいないが、阿藤蓮は高度AI『アカツキ』の製作に関わった第一人者だ。IA(自己知能)増幅デバイスが開発の主を担う中、阿藤だけはそのままの頭脳で向かっていた。
それには彼なりの、人間としての矜持があったのかもしれない。
「出し抜いた……ふん、簡単な話だ。穴をついたのではなく、システム自体に潜ませておいたのだろう。『アカツキ』が開発されて二年……長いようで短かかったが、蔓延させたヒューマノイドたちが軍に勝る、と判断したんだろうな。人は、人間というカタチをしたものに信頼と共感を覚える簡単なシステムによって結ばれている。それが便利で実用的とあれば、社会に必要体数出回らせるのも、実に簡単なことだったろう」
阿藤は楽しそうに言う。
部下は怪訝な様子で尋ねる。
「博士はこうなることを見越してたんじゃないですか?」
「ふん、当然だ。技術的特異点など、十九世紀から謳われていたことだ。それを人類にとって有用にするため、分子ナノテクノロジーや遺伝子工学の発展が望まれてきた。ところがどうだ? 何十年、何百年と積み上げ、構築した社会が、たったの数年で覆されそうとしている」
部下の男は首を傾げた。
眼鏡の奥で、目が少し細まる。
「……覆る? いや、たしかに混乱はあるようですが、根底からひっくり返るほどではありませんよね」
くくく、と何がそんなに可笑しいのか、阿藤は声を殺して笑う。
「君はここでなんの研究をしているんだ? 疑似神経技術、そうだろう。だったら、それがまずなんの役に立っているのかを考えたまえ」
部下の男は顎に手を置き、考えた。
少しして、答える。
「……軍、ですか?」
「そうだ。陸上戦の大部分はポストヒューマンが行ってはいるが――当然、人間もそこにいる。だから義肢、義眼など兵士の機械化技術が、戦争にとって必須となっているのは君も知っているはずだ。……ふん、堅物の上の連中は今頃泡を食っているだろうな。戦闘用のヒューマノイドだけでなく、一部機械化された人間までもが狂うのだから。奴らのネットワークにリンクし、“脳を書き換えられた”兵士は、強力なオブザーバーを手にしたも同義だ。軍も簡単に対処できる問題ではない。まったく、慌てる奴らの顔が見れないのが残念で仕方ないよ」
「それって……」
「気がつかないか? 街に蔓延るヒューマノイドの動きが緩慢なのはそのためだ。最低限の処理しか行ってないのだろう――しかし、軍の制圧が終わったら……さて、どうなると思う?」
背筋に寒いものを感じた。
想像するだけで恐ろしいことを、阿藤は言う。
ヒューマノイドたちを狂わせるだけでも、ここまでの事態になっているというのに、それがまだ本領を発揮してはいない、と言ったのだ。
さらには軍を抑え、攻撃に来る、と。
「……つまり、人類に勝ち目がないってことでしょうか?」
部下は声を震わせて、言う。
阿藤は声をあげて笑った。
「はは、人類か。飛躍した話ではあるが……さて、どうだろうな。それは私にもわからん。『アカツキ』はネットワークに接続されていない。どこまでの範囲を想定し、どのような未来をデザインしたのか――気になるところではあるが、私がそれを拝むことはできないだろう。少なくとも、私には、だが」
阿藤は立ち上がり、窓へと向かう。
混乱の渦中にいながら、どこか達観したように――そして愛おしそうに外へと眼を向けた。
「よろこべ。君はいま、未来の扉の前に立っている。私の娘がどのような世界を描いていくのか――君が見届けてやってくれ」
言って、阿藤は胸ポケットに忍ばせておいた拳銃を取り出す。
そして振り向き、部下へと銃口を向け――
その引き金を引いた。




