Phase 1
Prologue / Missing......_
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Monday April.04,A.D.2052 /
An army of a university Tokyo Area-XX / japan / at 11:02......_
――大学の講義とはつまらないものだ。
これはきっと50年前からも同じように、スライドやレジュメに大量の字が並べられて、それを教授が読み上げるだけの単純な作業だったのだろう。
構造化されていないプレゼンほど、聴いていて退屈なものはない。もっとも――自動化されたこの世界で退屈じゃないモノなんて、いまや存在しないとわかってはいるけれど――しかし、参考までにも最先端の事情を知ることができるのは、講義の唯一のメリットなんだろうな――と、青年は考える。
(……でも実際、あんまり興味はないんだけどね)
必修以外は自由に選べるとは言っても、その必修が多すぎて、興味ある科目が潰される現実は、2050年現代においても負のバトンとして受け継がれていた。
周りを見ても、真面目に講義を聴いている者など少ない。
隣にいる一ノ瀬綾奈など、頬杖をついて、うとうとと船を漕いでいる始末だ。
「西暦2052年、強国との停戦中に開発された高度AI『あかつき』により、いま大日本帝国は技術的特異点を迎えようとしています」
マイクロフォンを通した声が鳴り響く。
大日本帝国軍付属東京大学――工学棟にある大講義室。
その中央には卓があり、阿藤蓮という疑似神経技術の専門家が、ポインターを使って教鞭をとっていた。
その卓を囲むように生徒50人が講義を聴いている。
「大日本帝国軍科学者が量子コンピュータを開発し、物理学賞を受賞したというニュースは記憶に新しく。2027年に半導体集積回路技術を越えた技術、カーボンナノチューブに基づいた三次元コンピュータが確立して以来、私たち人類の技術は飛躍を遂げました」
……どうもこういった難しい話は、人の眠気を誘うなにかしらの成分があるらしい。
青年は生あくびに頬を緩ませ、窓の外へと目をやる。
眠気を誘うような春先の日差し。
大学は後期が始まったばかりだ。40年前はこの時期に入学式などが執り行われていたようだが、なぜこんな桜の季節にそれが行われていたのか……。出会いと別れの季節は秋と相場が決まっている。
青年は退屈しのぎに、隣に座っている一ノ瀬の肘を空かしてみた。
ガクン、と勢いよく顔が落ち、反射的に彼女は覚醒する。
「……あ、おはようです■■■くん。講義、終わりました?」
青年はゆるゆる、と首を振る。
「まだ。……というか、始まってから10分も経ってないよね」
「んーと、私こういう難しい話って苦手ですから」
卓の前に立つ白衣姿の教授が、わざとらしく咳ばらいをした。
「そこ。私語は慎むように」
一ノ瀬はしまった、と言わんばかりに、口から少し舌を覗かせてみせる。
教授は大きく息をつき、眉をひそめたまま話を戻す。どうやら教授も、この講義に対して乗り気ではないみたいだ。いや、ご機嫌な科学者というのも、それはどうかと思うが……脈動感の無い語り口に興味を持てというのは、少しばかり難しい。
「それで、えっと……どこまで話しましたっけ……。そう、人間の手によって成長し続けるIT技術は2046年、その卓上の理論として上げられていた量子コンピュータの出現により停滞し――以降、技術開発は人間の手を離れ、機械に委託されることとなります。とは言っても、今に至っても機械が意思を持つことは、御存じの通りありません。あくまで知能増幅、IA(Intelligence amplification)として、人間を強化する補助機器として使用されています」
講義のテーマは人間と機械の未来。
液晶スクリーンには2020年代から普及したOSや、コンピュータなどが説明書きとともに映し出されていた。生徒の手もとには、立体投影紙面端末があり、スクリーンと同じ内容が、縮小されて映し出されている。
青年は自前の電子メモを右手に、片肘をついて器用に打ち込む。
(……未来……か)
「そこから生み出された技術は世界経済はもちろん、国、行政、民間企業に多大な影響を与え――さらに派生し、家庭にまで及びました。ナノテクノロジーでの分子操作により作られた人工物質、メタマテリアルの誕生が主な起因です。従来の物質の電気的・磁気的特性を完全に遺脱・超越したそれは開発に欠かせない素材となり、それを用いて作られた人工衛星――宇宙太陽光発電システム(Space Solar Power System)。まあ、皆さん御存じのこととは思いますが、これは2040年代に賑わせた世界エネルギー危機脱却の先駆けとなり、衛星から送られる減損率ゼロパーセントの電力によって、世界のインフラは永続的な安定を得ました」
ふと、青年は視線を自分の右手へと移した。
右手首にはめられた腕時計型のポータブル端末。
これに使われているメビウスバッテリーも、メタマテリアルによって作られている。
メビウスバッテリーとは、高偏性アルミ電解素子を用いた、陽下充電式電池のことだ。
直径5ミリほどの幾重にも重ねられた円形状のメタマテリアルレンズを通った光は、特殊なレーザーに変換され、内部で乱反射をする。そのエネルギーは電力に変換され、同時に蓄電も行うという、高性能レジェネータだ。これは次世代バッテリーとして、様々なところに使われている。
大講義室の窓から見下ろす街並みにも、それは見受けられた。
民家の屋根に設置された太陽光パネル――これにも同じ技術が使われていて、他にも街路灯や掲示板照明、避難場所標示灯など。身近なところで言えば、車や自転車もそれで動いている。
技術進歩により、世界は豊かになった――とは、思えないけれど、それでも便利な世の中だなあ、とは思う。
講義が終わり、ホールに雑音が戻ってきた。
「と、いうわけでお昼ですけど。たまには一緒にどうですか? 実はですねー、今日はサンドイッチを作ってきたのですよ!」
一ノ瀬綾奈はいつもの調子で、いつもの微笑みを浮かべ、言った。
青年に対し、こうも友好的に接する人間というのは、実はめずらしい。
「……君は寝る、食う以外にはあんまり興味がないように見えるけど……これはきっと気のせいじゃないよね?」
「なっ、心外です! いかにも心外ですよ!」
一ノ瀬は両手を腰に構えて、顔をぐいっと寄らせてくる。
近い。
「私、こう見えて、料理は得意だったりするんですから!」
「ほらまた食い物の話だ」
眉間にしわを作る一ノ瀬。
頬を膨らませ、そっぽを向いてしまった。
「……たしかに。けど、私は興味のあることは興味があるのです。でも興味のないことには興味がないのです。さっぱり系なのですよ」
「へえ?」
「なんですか」
「じゃあ、赤の他人が死んでも、君はなにも興味を示さないってこと?」
その質問に一ノ瀬は即答する。
「また変な引き合いを出してきますよね、■■■くんは。けど、まあ、それとこれとは別の話ですよ。私も生きている以上、無関係じゃないですから。でも、それは死っていう結果に対しての興味であって、他人が死んでも、『怖いなー、可哀想だなー』くらいの感想しか持ちませんよ。だって、私と関係ないですもん」
と、変にさっぱりした答えだった。
どうあれ――他人事というのは怖いものだ。
青年はあらためて目の前にいる女性を見た。
一ノ瀬綾奈。
彼女は大学生にしては童顔で、身長はそれほど高くもなく、低くもない。普通だ。
子供のような活発なイメージそのままに、服装もラフで、薄手のパーカーにジーンズ。髪はセミロングで、サイドアップにされた黒髪がぴょんと跳ねている。本人いわく、それがトレードマークらしい。
一ノ瀬はお料理研究会というサークルに属していて、青年は研究結果をたまに御馳走になっていた。とても食べ物とは思えないシロモノもままあったが。
青年は恐る恐る訊いてみる。
「……それで、そのサンドイッチってのは、食べても大丈夫なものなのかな?」
一ノ瀬の頬がふくらんだ。
子供か、と思う。
「とても失礼な言い回しだと思わないのですかね? 私が健気に男の子にお昼を作って来たっていうのにですよ。普通、もう少し労う言葉があってもいいと私は思いますけどね」
「……大福の中におでんの卵を入れられてなければ、僕もそういうことも言えたかもしれないけどさ……」
以前、一ノ瀬はお料理研究会の成果と目して、青年に大福もちを五つほどこしらえてきた。
その中には、あんこと、おでんの卵が入っていて、『さあて、この中に一つだけデスソース卵入りの大福があります!』と、さも楽しげに言ったのを青年は絶対に忘れない。
「あれは単に遊び心でして……。本気で出したわけじゃないんですよ。本当ですよ?」
「結果、大福全部にデスソース入りの卵が入ってたよね?」
「……でしたっけ? えへへー、私どうでもいいことは覚えてない主義なので」
まったく、都合のいい頭をしている。
青年は嘆息し、おもむろに立ち上がった。
「どこいくんですか?」
「昼食」
「サンドイッチ、食べません?」
「……変なもの入ってないよね?」
こくん、と一ノ瀬は首肯する。
「じゃあ……せっかく作ってきてくれたんだし、ありがたくいただくよ」
一ノ瀬は胸の前で両手を合わせ、「わあ!」と、さも嬉しそうに頬を緩ませる。
大げさな仕草、燃費の悪いことこの上ない。
彼女が見せるオーバーアクションは、この大学じゃ局地的に有名だったりする。