エピソード7 ファーストアタックリベンジ
次の日、雄太はやはり朝から落ち着かなかった。
彼女には、昨日と同じように昼休みに声を掛けようと決めていた。
周りの同僚が最も少ない時間帯だからだ。
当然ながら、その日も仕事は手に付かずに、緊張状態が続いていた。
頭の中では、何度もシミュレーションをしていた。
まずはこうやって切り出そう。
彼女はきっとこう答えるから、こう切り返そう。
シミュレーションでは、雄太と彼女の会話は完璧だった。
後は実行に移すだけだ。
雄太はその時を待った。
そしてその時が来た。
雄太は鞄から『不思議の国のアリス』の本を取り出すと、それを持って彼女の席の方へと歩いて行った。
同僚は皆食事に出ていて、フロアには数人しかいない。
昼休みのこの時間はとても静かになるのだ。
彼女がこの時間に読書をするのも、頷ける気がした。
『不思議の国のアリス』を持って彼女の席へと行くと、彼女はいつもどおり、読書をしているところだった。
すると、彼女が雄太に気付いて、顔を上げた。
「あら、堀尾さん。堀尾さんも読書?」
彼女は、雄太の手にある本を見ながら言った。
シミュレーション通りの反応だ。
雄太は、よし、と心の中で思った。
「うん。昨日、岩波さんと、話をしてから、これ、また読みたくなってね」
雄太は、緊張でとぎれとぎれながらもはっきりとした口調で、本を彼女の方へ見せながら言った。
「まあ、『不思議の国のアリス』じゃない。堀尾さん、ほんとにこの本好きなのね」
彼女が微笑みながら言った。
雄太はその微笑みに、顔が赤くなるのを感じた。
「岩波さんは、この本の中で、どのキャラクターが、一番、好き?」
雄太が、顔を赤くしながら彼女に尋ねた。
彼女は、そうねえ、と首を傾げてしばし考えていた。
少しして、彼女が徐に答えた。
「全部好きだけど、一番となるとやっぱりアリスかな。あの好奇心が旺盛なところは、やっぱり憧れるわ」
彼女は、雄太を見つめながら言った。
「僕も、同じだよ。やっぱり、アリスの、あの旺盛な好奇心には、驚かされるよね」
雄太が相槌を打った。
実は、彼女がどのキャラクターを好きといっても、雄太は同じキャラクターが好きだと言うつもりで、何パターンもシミュレーションしていたのだ。
アリス、白うさぎ、公爵夫人、チェシャ猫、帽子屋…。
どのキャラクターであっても、話を合わせられるくらいには勉強してきたのだった。
「私も、アリスみたいに冒険してみたいけれど、現実はそうはいかないのよね」
彼女が少しため息混じりに言った。
その姿に、雄太は胸が苦しくなった。
初めて見る姿だったからだ。
いつも凛としている彼女も素敵だが、こうして少しアンニュイな表情を浮かべている彼女もとても素敵だった。
雄太の胸の鼓動が、一段と速くなった。
それからは、『不思議の国のアリス』について、彼女としばらく話した。
シミュレーションを念入りに行ったかいもあり、彼女との話は割とスムーズに展開された。
最後に彼女が言った。
「面白い本があったら、是非教えて下さいね」
彼女は、微笑ながら雄太に言った。
雄太は、うん、と答えるのが精一杯だった。
そして雄太は、足早に自席へと戻って行った。
ファーストアタックのリベンジは大成功だった。
これで、彼女にとって雄太は本好きな同僚であると、認識されたはずだ。
今後、本のことであれば、彼女に話しかけても気味悪がられることはないだろう。
もしかしたら、彼女の方から雄太に話しかけてくれるかもしれない。
雄太の心はうきうきと弾んでいた。