エピソード3 きっかけ探し(2)
雄太はどうやって美穂に話しかけるかをシミュレーションしていた。
いきなり彼女のことを尋ねたのでは、気味悪がれるだろう。
雄太が彼女に一目惚れしたこともばれてしまうかもしれない。
それだけは避けなくてはならない。
ともかく、雄太は美穂が一人になる時を狙っていた。
その時は突然やって来た。
美穂が席を立って、飲み物の自動販売機のある方へと向かって行った。
これはチャンスだ、と雄太は思った。
美穂たち女性陣が集まって世間話をするときは、トイレの隣にある給湯室と決まっている。
そこには、男性陣が滅多に来ないからだ。
しかし、美穂は給湯室とは別の方向の、自動販売機のある方へと歩いている。
これは、ちょっと一息いれるだけの行動と思われた。
このタイミングを逃してはならない。
雄太の心の中に芽生えた、恋愛の神がそう雄太に告げていた。
雄太は、席を立って美穂の後を追った。
自動販売機のところまでやってくると、ちょうど美穂が飲み物を買っているところだった。
そこは、ちょっとした休憩スペースになっていて、三人掛けのソファーが二つ置かれていた。
いつもなら、一人二人はソファーに座って休んでいる同僚がいるのだが、その時に限っては誰も座っていなかった。
雄太にとっては絶好のチャンスである。
雄太は心の中でガッツポーズをした。
美穂は近くに来た雄太に気付くと、軽く微笑みを浮かべて雄太に話しかけた。
「堀尾君も休憩?」
美穂が、自動販売機から飲み物を取り出しながら言った。
いつもなら、「うん」とだけ答えて、それっきり会話をしない雄太であったが、今回はそうはいかない。
雄太は勇気を振り絞り、緊張した面持ちで、シミュレーションした通りの言葉を発した。
「うん。木下さんも、仕事、忙しそうだね」
ぎこちない発音になってしまったが、雄太はシミュレーション通りの言葉を発することが出来た。
「そうなのよ。課長が今日中に資料を作ってくれって。全く、いつもぎりぎりになって頼むんだから。どうせ頼むならもっと早くに言ってくれればいいのに」
美穂が買った飲み物を口にしながら、少し早口で課長に対する不満を雄太にぶつけた。
美穂がこういう反応にでることは、事前のシミュレーションの通りだ。
仕事が出来る美穂は、ある種課長の秘書のようなことをよく頼まれていた。
この日も、朝一番に課長が美穂の席に来て、資料を作ってくれるよう依頼していたのを、雄太は横で見ていたのだ。
もし、課長が頼まなくても、美穂は別の仕事に精を出していたはずだ。
それだけ、美穂は出来る社員だった。
「新しく転属してきた、岩波さんに、任せたら?」
雄太は、まるで小鳥が鳴くような小さな声で、絞り出すように言った。
そして、自分も自動販売機で買った飲み物をゴクリと飲んだ。
「彼女、優秀みたいだけど、まだこっちに来て日が浅いでしょ? 課長の資料作りはコツがいるから、まだ任せられないわ」
美穂はソファーに腰を下ろしながら言った。
話の流れを、自然と彼女のことに持っていけた。
勝負はここからだ。
「そういえば、彼女の、歓迎会、やってないよね」
雄太が、美穂の近くに歩み寄りながら言った。
相変わらず、消えそうな声だった。
「先々週の金曜に、恒例の女子会に誘ったわよ。でも、彼女飲み会とかあまり好きじゃないみたい。だから、特に歓迎会も企画してないのよ」
美穂が、少し気怠そうに言った。
社交的な美穂でも、彼女とはあまり合わなそうな雰囲気であると感じられた。
「じゃあ、岩波さんの、好きなことって、何かな?」
雄太が視線を下に落として、恥ずかしそうに言った。
美穂はそんな雄太を気にしている様子はなかった。
「そうねえ。そういえば彼女、イギリスの文学に興味があるらしいわよ。『不思議の国のアリス』とか。読書が趣味なんだって」
美穂は視線を上に向けて、思い出すように話した。
「そうなんだ。イギリス文学か…」
雄太はそれこそ消えそうな思いだった。
イギリス文学。
自分とは全く異なる趣味だったからだ。
これで話のきっかけが出来るのだろうか。
雄太は途轍もない不安に襲われた。
黙り込んだ雄太を余所に、美穂がソファーから立ち上がり、自席へと戻って行った。
ソファーには、自失茫然となっている雄太だけが取り残されていた。