エピソード16 三面突入
それから二人は、『月の雫』へと向かった。
途中、雄太はほとんど彼女に話しかけられなかった。
緊張していたからだ。
自分は恋の階段を一歩ずつ昇っている。そんな感覚もあった。
『月の雫』には、客が一組いるだけで割と空いていた。
雄太がドアをくぐると、雄太に気付いたママが声を掛けた。
「いらっしゃい。あら、今日は可愛い子を連れてきたのね」
雄太は恥ずかしがりながらも、うん、と頷いた。
「どうぞ、こちらへ」
ママがカウンター席の端の方を勧めてくれた。
この席の前にはきれいな風景画が飾ってある。
さらに横には、海辺のコテージに座っている女性の肖像画が掛けられていた。
彼女はそれらの絵画を眺めながら、一番端の席へと座った。
「きれいな絵ね。見ていると心が和むわ」
早速、飾られている絵に気が付いた彼女が、絵を眺めながら言った。
すると、ママが付け足すように言った。
「これらの絵はね、全て同じ画家が描いたものなの。決して有名じゃないけどね。どことなくやさしい雰囲気でしょ。私のお気に入りなのよ」
彼女は絵に見とれているようだった。
このバーに誘って正解だ。
雄太はよしよし、と心の中で思った。
それからしばらくは、絵についての話題になった。
どのあたりを描いたものなのか、想像を働かせて推測したりした。
彼女はカシスオレンジを傾けながら、絵の感想などを話した。
雄太は、彼女が喜んでくれて、とても嬉しかった。
「私、昔ね。絵画の勉強をしたことがあるのよ」
彼女が目の前の絵を眺めながら言った。
初めて聞く話だった。
「画家になりたかったの?」
雄太が彼女の顔を覗き込みながら言った。
「ううん。ちょっとかじっただけよ。上手に絵が掛けたら面白いだろうなって」
彼女が恥ずかしそうに答えた。雄太は、そうなんだ、と軽く相槌を打った。
彼女が続けた。
「でも才能がなかったのよね。結局すぐに諦めちゃったし」
彼女が手にしているカシスオレンジを、口元に運びながら言った。
雄太は何も言えずに、ただ彼女を見ていた。
それからの話題は、いつものように本に関してのことだった。
新たに見つけた面白い本や、新人の作家について等々。
楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。
すると、彼女が手元の腕時計に目をやった。
「もうこんな時間。そろそろ帰らないと」
彼女が慌てたように言った。
雄太はもう少し彼女と話がしたかったが、その気持ちをぐっと押さえて言った。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
今日は、こうして二人きりで、お洒落なバーに来れただけでも大進歩である。
雄太は逸る気持ちを抑え、ポケットから財布を取り出した。
駅で彼女と別れた雄太は、嬉しい気持ちと残念な気持ちの狭間にいた。
しかし、今日ひとつ決心したことがあった。
次にこのバーに来たときは、好きだと告白しよう。
雄太は決意を胸に家路へと着いた。




