who murdered?
無機質な灰色の壁に囲まれた小さな部屋に外の明かりを取り入れる窓には鉄格子がされており、より一層、室内の拘束感を強めていっている。部屋の中央には大きなスチール製のデスクが置かれており、対面するように一人の少女とスーツを着た男性が椅子に座り、向かい合う。
その様子をガラス越しに見ていた四葉はどこか現実感を感じられずにいた。
「おい、沈村四葉」
「……ふぇっ? な、何?」
「アレはお前の知り合いでいいんだよな?」
「う、うん…………」
空の問いに答えたものも、四葉にはやはり何処か現実では無い感じがする。
しかし四葉がどう認識しようとも、彼女の目の前にある光景は立派な現実なのである。
濁川空に連れられた場所はこの近辺の警察署であり、取調室の隣の部屋に四葉たちは待機させられた。
そして取調室に入ってきたのは自分が所属する部活であるイラスト部の部長だった。
つまり簡単な話を言ってしまえば、四葉が目撃した現場でナイフを持っていた人物はイラスト部部長であったということ。
何故、その場で気付かなかったのか。あまりの光景のあまり四葉の脳味噌がその情報を処理しきれなかったという事なのか。
「だとよ刑事さん。あの小娘がやっぱり犯人らしい」
「こりゃまた、随分と可愛らしい通り魔だ。死にたくなるよ」
空の隣にいたスーツの男は溜息混じりに最後の言葉を言うとそのまま部屋を出て行った。
しばらくしてようやく気持ちの整理がついてきた四葉は空に問いかけようとする。
「部長は……その…………」
「あの小娘の容疑は殺人未遂、それと過失傷害という所かな。でもまあ殺人未遂はお前が訴えを消せばなくなるし、過失傷害ももしかしたら晴れるかもしれない」
「…………どういう事?」
濁川空は四葉が問おうとした内容を理解していた。だが四葉は濁川空の言葉の意味が分からない。
いや正確には半分は理解できている。殺人未遂は四葉を殺そうとした時についた罪であるから、取り消せる確率が高いということだ。
でも、後半の意味がまったく分からない。そもそも過失傷害ではなくて、殺人では無いのか。
四葉が見た現場には、人が死んでいて…………。
「そう言えば……血」
思い返していくうちに四葉は自然と違和感に気付き始めた。
確かに自分が見た現場は殺人行為が行われていた、はずだった。
殺人犯が自分を殺そうとした時に持っていたナイフにだって血はついていた。
だが明かりを、月明かりを反射した。
もしもナイフで人を殺そうとしたのならば刺殺か斬殺のどちらかであるはずだ。
深く刺したとしても、深く斬ったとしても血は付いてしまう。当然だ。
だからナイフで人を殺した後には大量の血がナイフに付いてしまうのではないのか。
そんな状態でナイフを保存しておいては切れ味も落ちてしまう。
だから普通は拭くのではないのか、何かで、ナイフに付いてしまった血を。
なにせそのナイフの持ち主は、その時初めて人を殺したのではない通り魔なのだから。なおさら。
そもそも、血に塗れてしまった箇所が多ければ、輝かしい光はその分だけ失われるだろう。
月明かりを反射などという認識にすらならないはずだ。
いやそれよりまず、月明かりが出ている状況でどうして部長の顔を認識できなかった。
「……色々と、情報提供ありがとう」
「えっ?」
「口に出てたぞ。考えてたこと全て」
「ふぇっ!?」
呆れたように示唆する空の冷静な態度とは対照的に、四葉は恥ずかしそうに顔を赤らめて何かまた訳の分からない事をブツブツと呟き始めた。
その様子を苦笑いぎみに空は見て、その後に四葉へと喋りかける。
「お前は昨日のことで違和感を感じてるみたいだが……どうやらお前だけじゃないんだよ」
「……まさか、貴方も」
「俺じゃない。あそこに座ってらっしゃるお嬢さんだよ」
空は顎を向けて部長を指す。つまり加害者も被害者も、事件に対して何等かの違和感を感じているという事だ。
受け売りみたいになるが、と言葉を前に置いて空は先程刑事から聞いた話を四葉へとする。
「お嬢さんは夢うつつだったそうだよ。夢だと思ってただとさ」
「……夢遊病ってこと?」
「バカ。その逆だ。行動時の記憶はしっかりとある。だけどそれを現実だとは思ってなかった。自分が何故か人を殺す夢を見てしまっていると思った。だけどそれは本当は現実だったって話だよ」
「じゃあ部長は私を、夢の中であれ殺そうとしたの?」
「なんて言えばいいんだろうな……つまりはあれだ。映画を見せられているような感じだったってわけだ。映画の内容はもう決まってるから、自分の意志で変える事ができないだろ」
「分かんない…………それじゃまるで部長が誰かに操られてるみたいな言い方じゃん」
空の言い方を自分なりに解釈してみると、そう聞こえた。
まるで部長はその映画の中での殺人鬼役をやらされて、監督や脚本の指示に従って動いていた。
そんな意志がまるでなかった、と言っているように四葉は感じたのだ。
しかし四葉の不満げがある口調に対して空はあっさりと返す。
「本当にそうかもしれないからな」
「えっ?」
「沈村。お前に訊きたい事が二つあるんだが」
「な、何……?」
「あのお嬢さんはお前が所属している部活動の部長らしいが、昨日、部活動を早退したか?」
「う、うん」
空の言う通り、部長は昨日の部活を早退した。四葉もその姿を見ているし、そもそも四葉よりも早めに校外へ出なければあの現場にいること事態がおかしくなる。
「なら二つ目。先週の月曜も、もしかして早退してないか?」
「先週の……? 確か、先週は一度も早退なんてしてなかったよ」
「本当に?」
「だって部活終わったら部長が部屋の鍵を閉めるから……もし早退したんなら誰かが鍵当番を頼まれてるはずだけど、誰も頼まれてなかったから」
「へぇー……つまりは、おかしい、って事か」
一人、納得したように呟く空に詳細説明希望を目線で訴える四葉。
そんな彼女の目線を無視して、空はさらに一つ四葉に問いかける。
「ところで、イラスト部の活動終了時間はいつなんだ?」
「5時だよ。運動部とかならもう少し遅い時間までやってるらしいけど、うちは文化部だから」
「そうか。これで埋まった」
「…………さっきから私にばっか訊いてきて、何が分かったのか教えて欲しいんだけど」
とうとうその言葉を口に出して、四葉は空の推測を聞く。
空は少しばかり悩んだ後に、仕方が無さそうに口を開いた。
「先週の月曜日。通り魔事件が発生している。時刻は約17時……つまりは5時に事件が起こってるのに、あの席に座ってるお嬢さんはその時、学校に居たって話だよ」
「……えっ、じゃあ部長は模倣犯って事になるの?」
「まあ、そうなるが…………事態がそれだけで終われば話は簡単なんだがな」
「…………アリバイトリック?」
「そんな推理小説みたいな事じゃない。ただ単純に、この通り魔事件に真犯人はいないかもしれない、って話だ」
「……意味が分からないんだけど」
「分かった、簡単に言ってやる。"通り魔事件など存在しなかった"っていう話だ」
「…………?」
「全員、模倣犯。それをバカな事に関連付けて連続通り魔事件などという架空の事件を作ってしまったって話だよ」
「え、でも、ふぇ?」
四葉の頭の中が混乱していく。
全員が模倣犯ならば、空の言う通りこの通り魔事件に真犯人など存在しない。そもそも事件自体が存在しない。
ただの個別の傷害事件や殺人事件なのだから。
でもどうして通り魔と勘違いしてしまったんだ、という話になる。
殺害方法などを真似れば、そういった勘違いをしてしまうかもしれない。
だがしかし事件などというものは毎日起こっていて、それら全てをテレビやラジオ、新聞などによって世間に知らせるには限界がある。
つまりは世間に知らされていない事件だって存在してしまう。それなのに殺害方法を色々な人物が真似ていて、架空の通り魔が誕生するなど、不可能に近い。
「果たしてどうかな」
四葉の意見に、空は異論を唱える。
「今の時代にはインターネットによってどこに居たって誰かに情報を伝える事ができる。さらにはチャットなんていう身内のみで情報交流する場所だってあるんだ。殺害方法すらリークすれば生まれない事もない」
「どこかのグループが、架空の通り魔事件をでっち上げようとしたって事」
「まあ断定は出来ないし…………俺自体、他の方法が濃い線だと思っているから」
「他の方法? まだ何かあるの」
いい加減、小難しい話ばかりで四葉の頭の中での処理が限界を迎え始めていた。
しかし精神面的に疲れながらも、四葉は空がいう他の方法が気になって仕方が無い。
自分でも何故、ここまで興味を持ってしまっているのかが分からないくらいに。
「集団催眠。最近の言葉でいうとマインドコントロールかな」
「…………ぷっ」
真面目そうな顔で空が言った言葉があまりにもバカバカしくなり四葉は思わず吹きだした。
それに対し空は、四葉の態度によって不機嫌になってしまい若干睨み付けながら話を続ける。
「あのお嬢さんは、夢を見ている感覚だった、と言っている。それがただの精神異常ならば言う事は無いんだが、催眠術っていう可能性もある」
「貴方それ本気で言ってるの? 催眠術なんて……ふふっ」
「……実際に催眠術が無いわけじゃない。催眠療法だって存在するんだから。ただゲームや小説が誇張して表現してるから現実味がないように感じるだけだ」
「でもつまりそれって、実用性は低いって話で、そういう方法を知ってる人しか使えないってことでしょ?」
「相手を特殊な精神状態にして暗示を掛ける。それが催眠術の基本だ。何かに異常に集中している時に耳元で何かを呟き続けてやればそれだけで催眠術に掛かる奴はかかってしまう」
「でも催眠術は…………ぷふっ」
四葉の態度にとうとう空は我慢の限界に達し、四葉の手を引き部屋を出る。
突然のことに四葉は驚きながら問い掛ける。
「あの刑事さん、待ってなくていいの!?」
「いい。そもそも俺たちのここでの用事はもう済んでいる。今度はお前の条件を済ましに行く」
「条件って……?」
「ここまで付いて来たからな。代償として俺がお前に勉強を教えてやるよ」
「そんな、別にいいって」
「よくない」
空は立ち止まって、四葉の目をしっかりと見ながら肩に手を掛ける。
「俺のプライドが許さない。お前に体験させたいものもあるしな」
「体験って?」
「催眠術」
まだ言うか、と四葉は思い溜息を吐こうとしたが空の真っ直ぐとした目線のせいで何かこちらからアクションを起こす事ができない。
「この世の不思議を見せてやる。そのついでに勉強も教えてやる。お前に不利益な点はないだろ?」
「そうだけど……」
「なら決定だ」
この濁川空という人物は、案外、子供っぽいのかもしれない。
我儘で自分の好き勝手に動く。さらには勿体ぶったり、カッコつけようとする。
少しばかり頭が良さそうだと思ったのは勘違いだったのか。
四葉はそんな事を思いながら、またも空に手を引かれて行った。
本当はナイフに血をつけないつもりだったのに、誰だよ付けたの……。
まあ誤魔化せたとは思うんですけどね……色々としっくり来ない。