Fight
ずれた。
網野は空に殴られ続ける中、そう感じていた。
一番最初の自身の最大の威力を込めた一撃。それを躱されたことによって彼の感覚がずれた。
網野のコードは《下位上達》。
一定範囲内において、筋力や持久力、集中力、洞察力、知力などの機能を上昇させるコードだ。
言い換えれば、コードの効果範囲内ならば彼は誰にも負けないはずなのだ。
自身より強い者がいれば、それ以上の能力をコードが与えてくるはずなのだ。
そういう現象なんだから。そういう効果をもたらすものなんだから。そうでなければいけないのだから。
だというのに、あの銀髪の青年はかわした。
自分よりも絶対に弱いはずの青年が、何の事なく躱し、そして反撃までしてきた。
そんな事は有ってはいけない。有ったとしたら、それはコードを無効化された時だけだ。
そして網野には分かっている。感覚的ではあるが、分かっている。コードは無効化されていない。
しっかりと働き、その効力を網野に与えている。
だというのにあの青年は、何故?
「うぁぁぁあああ!」
「…………」
大きく拳を振りかぶり、空を薙ぎ飛ばすための一撃を食らわそうとする。
対する空は、体重が掛かった方の足を払い、姿勢が崩れた網野の顔面に一撃を食らわす。
やはりだ。あの青年はこうも自分を圧倒してくる。
本来ならば叶わないはずなのに。一体どんな手段を使ったら、こんな下剋上が成立するというのだ。
思考を進めるうちに網野は一つの可能性に思い至る。
コード。自身と同じようにコードによって身体能力を強化しているのならば、もしかしたら。
だがそれは成立しない。何によって強化していようが《下位上達》はそれを上回る機能を網野へと与えるはずなのだ。
だとしたら、一瞬だけコードを使ったのならばどうだろう。
一瞬だけならば《下位上達》によって機能が上昇される前に効果が終わってしまうのではないだろうか。
そしたら機能の上昇も起こらない。
「クソッ……そんな卑怯な手を…………ッ!!」
空を睨み付けて、思考の一部を思わず声に出してしまう。
それを空は嘲笑し、そして言う。
「遅い。そんな考えじゃ遅すぎるぞ。だから俺にそこまで殴られてんだ」
「……んだと、テメェ…………ッ!」
「ほらほら化けの皮まで剥がれて来てる。やっぱりあれか、虚栄塗れのクズ野郎は喧嘩も弱くて他人に否定されるのを恐れてビクビクしちゃってる子羊のようなもんか」
「この……ッ!!」
怒りのあまり、何も考えずに空へと突進する。
対する空は突っ込んできた網野に対して膝蹴りを食らわせて、その衝撃で思わず止まった体に追撃を叩き込む。
圧倒されていた。機能面では絶対的に上回っているはずの網野が、空に対して一歩も及ばない。
「まあ、こんな所かな…………犯罪者になりかけた少年を鉄拳で正しき道に戻してあげてる俺、マジ親切」
とうとう地に伏した網野。その姿を見た空は心にも思ってないことを口にしながら、溜息を吐く。
「地に伏す虫けらになった気分はどうだ。網野健司」
「クソッ……なんで…………ッ!?」
「教えて欲しいか、ゴミ虫?」
別に空にとっては隠す必要もない策だ。明かしてしまっても構わなかった。
網野が認識したところで、理解したところで回避不可能の策なのだから。
「最初の一撃。あれはお前の考えた通りコードで躱した。その後の数撃分も同じ。だがその後が違う」
「違……う…………?」
「お前、動揺しただろ? 『絶対に避けれるはずのない攻撃をどうして』ってな感じで。その心の隙を利用した。忍び込んだ。さらにお前の動揺を大きくして、攻撃パターンを単調にした」
認識速度上昇は、毎回、生きるか死ぬかの境目の精神状態にならなければいけない。
それを何度も連発していては先に精神が摩耗し、廃人となってしまう。
精々使えて5回。それ以上は危険となる。
だから空はその5回を回避と反撃に当てた。そして空の回避が偶然ではないという風に認識し、揺れた網野の心にコードを持って漬け込んだ。
「俺のコードは《忘我混沌》。精神状態を、相手の感情をコントロールできるコードでな。お前の攻撃が当たらないことへの不安、コードが通じない恐怖、さらには怒り。それらの感情をより強くさせて、攻撃を単調にさせた」
いくら攻撃速度が早くても、攻撃の威力が高くても、その軌道が分かりさえすればどうという事はない。
避けることは容易だ。さらに攻撃パターンを単調にさせるだけではなく、不安や恐怖によって隙を大きくさせた。
無意識のうちに攻撃を躊躇ったり、意味もなく大振りをしたり。
すっかり網野は空の掌の上で踊らされていた。
「網野。俺はお前みたいのが大嫌いだ。だからお前の考えがよく分かるよ。自分が誰かより劣等であるのがたまらなく嫌だ。決して常に一番でありたいわけではないが、負けることが堪らなく嫌なんだ。だからお前はそのコードを手に入れた時に思ったよな。やった、これで誰にも負けることはないって」
「…………なんで……」
「そういう点は俺に似てるよ。コードを、現象を道具として捉える辺りとかはな。でも違う。お前はアイツだ。アイツの方だ。お前は悪じゃない」
「……なにを…………?」
「やっぱり悪は嫌か? どんなに自分が底辺にいようとも悪は嫌か? 悪よりも偽善を選ぶのか?」
網野にはもはや空が何について喋っているのかが理解できない。
いや網野だけではない。この場にいる、二人の殴り合いを見て恐縮している四葉にも何を言っているのか分からない。
その意味を知っているのは発言者である空だけ。
もはやこの言葉は網野に対してかけている言葉だというのに、空の独り言へと変貌していた。
「気付けよ網野健司。コードでいくら栄光を掴み取ったって、コードでいくら人を助けたって、コードによって得たものなんて所詮は無為なんだよ。そんなものに意味なんてあるわけないだろ」
コード。一定の現象を起こせる異能。
それによって得たもの。それは無意味だと空は訴える。
ゲームで言い換えれば、改造して無理矢理、道具を得たのと同じ。
スポーツで言い換えれば、ドーピングして得た1位と同じ。
そんなものに意味などない。
「どうせこんな異能、私利私欲以外には使い道なんてないんだ。それくらい気付けよ。分かれよ。お前の人生には嘘しかなってこと、いい加減、気付けよ……」
もう言いたい事はすべて言い切ったのか、空は立ち上がり、網野に背を向ける。
手を差し伸べて起こすこともしない。さらに追撃を加えるというわけでもない。
これ以上、網野に対する八つ当たりは意味がない。
「沈村、帰るぞ。送っていってやる」
「えっ……でも網野君は?」
「コードによって身体機能は強化されてるはずだ。体に対するダメージは少ない。奴が倒れたのだって心が折れたからだ」
「そ、そうなの……」
「何してる。さっさと帰るぞ」
「う、うん」
反崎の時には見なかった。空があそこまで人に一方的に話す姿など。
そのことに少し驚き、不思議に思いつつ、四葉は空に手を引かれるまま歩いて行った。
これじゃあ、どっちが悪役か分かったもんじゃない。
酷過ぎる主人公。こんな主人公を作った奴の顔が見てみたい