Decision
網野との対話から数時間後。
空の住処である、蔦で覆われたアパートの一室で待っていると四葉が威勢よく現れた。
おおよそ空を信頼して、この告白騒動が終わりを迎えていると信じているのだろう。
だからこそ空は真実を言う。
「網野、諦めそうになかったわ」
実際には説得などあまりせずに、忠告をしただけで終わったのだが……料金はすでに四葉から貰っている為に都合の良い事実しか空は口にしなかった。
「えぇぇぇ!! なんで、どうして、Why!?」
「うるさい。蝉が鳴くにはまだ時期が早いぞ」
「そんなのはどうでもいいの! なんで説得できなかったの!? ちゃんと彼氏だって名乗り出たの!?」
「いやいや、どうやら網野の奴はな軽い事前調査をしていたみたいで、お前に彼氏がいないことはとっくにバレてるぞ」
これに関しては真実で、それ故に空は近所の兄的な存在だという言い訳をしたのだ。
もしも空が四葉の指示通りに彼氏を名乗っていたら、計画は破綻を迎えるレベルではなかっただろう。
「どうしよう、本当にどうしよう……!!」
「やっぱりお前の口から直接断るしかない。それが一番だ」
「でも」
「適当に嘘吐けばいいんだよ。私には好きな人がいて貴方に目を向けてる暇なんて無いの、とか、私のタイプじゃないんです、とか適当に言えば諦めるって」
「でも、私は濁川君と違って嘘下手だし……」
「なら思ったまま言うしかないだろ。付き合えません、友達にもなれません、ごめんなさいって」
「そんなぁ…………」
「なに、安心しろよ。舞台はもう整えてある」
「へっ?」
「明日の放課後4時頃に校門で網野が待ってる。その時に、返事をしてやれ」
「……なんで校門なの!? それこそすぐに悪い噂とか立ちそうじゃん!!」
「逆にどうどうとしてるからいいんだよ。コソコソやるから悪い噂が立つんだ」
「無茶苦茶だよ!! あー、どうしよ。どうしよぅぅ!!」
「落ち着けよ」
「誰のせいでこんなに悩んでると思ってるの!?」
「自分のせいだろ」
空は冷蔵庫にあった炭酸水を四葉に渡しながらそう事実を言い、ぐうの音もでない四葉は炭酸水を一気飲みし、咽た。
「ともかく。明日までに答えを決めろ。こういう案件は長引かせるとロクなことがない」
「うぅ……わかったよ」
しぶしぶと了承した四葉は、その後、時計の針が8に至るまで延々と空の部屋で相手を振る言葉を考えていた。
空からしてみればいい迷惑だが、それでもこの案件に関わってしまった以上は何も言えない。
四葉を追い出した後、特にやる事もなかった空はすぐさま部屋の明かりを消し、就寝しようとした。
……のだが…………。
「…………」
止みそうもない途方もなく降る雨のカーテンを上の空な様子の空は眺めていた。
とくに雨が好きと言うわけでもないし、何か雨に特別な思い出があるわけでもない。
ただ考え事をしながら見ていたものが雨の風景だった。それだけだ。
静まり返る部屋に雨粒が落ちる音が木霊し、部屋の中の温度も段々と低くなってきていた。
それでも一向に空は動くことなくただ、ぼんやりと雨の景色を眺めている。
『所詮は現象に過ぎないんだよ。形なんてない。なら僕のものだ』
今日の網野の台詞が途切れ途切れに頭の中で流れる。
現象を道具として考える。それ自体は空と同じ思考回路だ。苛立つ必要などまったくない。
そう。自分自身と同じような人間ならば、なにも苛立つ必要などない。
むしろ歓迎すべきだろう。
自分のようなクズ野郎がコード使用者で、自身の敵となったのならば歓迎すべきだ。
そこまでの悪が敵ならば、そこまでの悪を敵とするのならば手段を躊躇うことなく叩き潰せばいい。
非常に都合のいい敵。ならば歓迎すべきだ。
自分自身と同じであれば、の話だが。
「……あの野郎。嫌な事を思い出させやがって…………」
空にしては珍しく、不機嫌である。
今は、部屋を埋める雨粒の音も、景色を遮断する雨たちも、下がっていく部屋の温度も、その全てが苛立たしい。
忘れたと思っていた過去を思い出させたあの網野健司という男に対しての怒りなのか、それとも……。
ギリギリのところで抑えられている衝動をどうにかする術を空は知らない。
だから一番安易な、復讐と言う手段をとった。
誰に対してかは言うまでもない。網野健司に対してだ。
彼には別れ際に良い報告が貰えるだろうという嘘を吐いておいた。
だから待ち合わせ場所として校門の前などという一番目立つ所を彼が承諾した。
網野健司という男の性格はすでに知れている。支配欲や自己顕示欲が強い、完璧主義者。
もしもそんな彼が公衆の面前でフラれることがあったとしたら、恥辱のあまり、とてつもない怒りを覚えるだろう。
そして四葉への復讐へとくる。自分に恥辱をかかせた四葉に対する復讐に。
その復讐の日時も予測がつく。夜中、誰も目のつかないところだ。
そう例えれば、網野を振ったことを報告しにここにきた四葉の帰り。
正直な話、このアパートはここら近辺で一番、人がよりつかない。場所によっては死体があったとしても気付かないだろう。
そして時間帯も夜。視界も自然と悪くなって目につきにくくなる。
空に報告して帰ろうとした四葉を襲って殺すなり犯すなり好きにして脅す。
おおよそ網野はそういった手を打ってくるだろう。いや、打ってくるという確信が空にはあった。
そして空はその網野の行動を根本から破壊する。
その理由は網野を四葉から離れさせるためでも、四葉も守るためでもない。ただの自分の憂さ晴らしだ。
嫌なことを思い出させた網野に対する、復讐のためだ。
雨が激しさを増して、より一層、雨粒の音が騒がしくなってくる。
このままだと雷までふってきそうだ。
そうなる前に寝付こうと、空は自身のベットの中へと潜り込んだ。