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水面の月を抱く国  作者: 橘 塔子
第七章 黎明の残月
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正面突破

 旅装束を解いたナタレは、急いで身体を拭いて正装に着替え、謁見室へ向かった。

 旅の疲れで全身が重く、頭も痛かった。自分の身体ではないような違和感すら覚える。それでも早く国王に会って話さなければならないと、彼は最後の気力を振り絞った。


 謁見室の前ではすでにシャルナグが待っていた。


「……顔色が悪いぞ」

「平気です」

「あと少しだ、頑張れ」


 体調の悪さを表に出さないよう平静を装っているのが、シャルナグにはよく分かった。

 二人は揃って謁見室に入った。居並ぶ衛兵たちがいっせいに頭を垂れる。

 部屋の最奥では、大臣や役人たちに囲まれた国王が彼らを待っていた。

 肘掛椅子に腰かけて、久々の再会にも気負いのない様子だ。その自然な態度に、ナタレは余計に緊張した。


「東の地よりただ今帰還致しました、陛下」


 シャルナグはその場に跪いて一礼した。ナタレもそれに倣う。


「東部知事府を無事に解放したと聞いた。ご苦労だった」


 肘掛椅子に座ったセファイドはそう労いの言葉をかけて、二人に立つように言った。

 立ち上がる時にふらりと眩暈がしたが、ナタレは何とか踏み留まった。

 セファイドは、


「兄は捕虜として向こうに残してきたそうだな。処分はオドナスの判断に任せると、そういうことか? まさか、肉親の情にほだされて斬れなかったのではあるまいな?」


 とナタレに問う。

 少年の疲労と緊張は十分すぎるほど分かっていたが、彼の眼差しは厳しい。ロタセイの後継者を見縊っているわけではないのだろう。


「それについて、陛下に申し上げたい儀がございます。お許し頂けますでしょうか」


 ナタレは許可を求めた。疲れた体を奮い立たせると顔が強張って、睨みつけるような表情になってしまったが、セファイドが気分を害した様子はなかった。


「聞いてやろう」


 セファイドの返事を待って、シャルナグが玉座の脇に控えた侍従長に目配せをする。

 侍従長のエンバスは、あらかじめ預かっていた書状をセファイドの元に運んだ。


「これは?」

「東部地区の各国からの上申書です――東部知事サイハング殿の罷免を訴える内容の」

「何だと?」

「今回のロタセイの蜂起は、知事閣下の横暴に耐えかねての抗議行動でした」


 ナタレははっきりと言い放った。



 


 知事府の広間でイエパの語った内容はこうだった。


 東部知事サイハングは、国王の全権代行者の立場と王族の身分を利用して、当初からかなり強引な統治を行っていた。

 定められた率以上の租税の取り立てや、知事府の組織の勝手な改変、東部地区を通る貿易商からの日常的な収賄――やり方に異議を申し立てた部下は容赦なく左遷した。

 ロタセイは知事の統治を受けない自治国ではあったが、何のかんのと理不尽な要求をされていた。スンルーとの国境はオドナスの駐留軍が警護しているのだからその分の税を納めよ、優秀な兵士を城の警備に回せ、知事府の許可を取らずに隊商と取引をしてはならん、等々。


 もちろんロタセイ王ザルトがそのような身勝手な要求を呑むはずがなかった。すると、サイハングの手飼いの衛兵の一部によって、悪質な嫌がらせが始まった。

 放牧地に火を放たれ、羊が殺され、盗賊を装って天幕が荒らされた。また、この地を行く隊商にロタセイと取引をせぬよう圧力を掛けたりもしていたらしい。

 それでもザルトは民を宥め、ひたすら耐えていた。

 知事を告発するには国王に直訴する他なく、それはロタセイの誇りが許さなかった。しかも王都には息子が囚われている。


 だが極めつけに、カザの一件が起こった。

 ロタセイ一の美女と謳われるカザを、サイハングは知事府の女官として雇いたいと前々から申し入れていた。もちろん本心では側女の一人にするつもりだったのだろう。

 一向に応じる素振りのないロタセイに業を煮やし、サイハングはついに強硬手段に出た。

 集落付近の茂みに薬草摘みに出かけたカザを、強引に拉致したのである。

 同行していた他の娘たちからそれを聞き、ザルトらは知事府に急行して抗議した。しかしサイハングは彼らに会おうともせず、いっさい知らぬ存ぜぬで追い返したのだった。


 結局、カザは二日の後に戻ってきた。牧草地を一人でふらふら歩いているところを保護されたのである。

 彼女の全身にはたくさんの痣や擦り傷があって、衣服もかなり傷んでいた。何をされたのかは一目瞭然であったが、彼女は何も話さず、ただ魂が抜けたような無表情で虚ろな視線を漂わせているだけだった。

 数日後にカザは自殺を図った。

 短剣で喉を突こうとした彼女にハザンが気づいて、すんでのところで止められたのだが、そこでようやくカザは感情を取り戻したように号泣した。

 城に連れ込まれてサイハングをはじめ数人の男に暴行されたと――嗚咽交じりにそう打ち明けたのだった。





「父は再び知事府に抗議に向かい、その途中で落馬して死亡したそうです」


 最愛の父の死を告げる際にも、ナタレの口調は冷静だった。王都に戻る旅の間、何度も頭の中で練習してきた。感情的になっては負けだと思った。


「その死に乗じて、兄ハザンはかねてからの計画を実行に移しました。建国祭で警備が手薄になった知事府を急襲し、知事を人質に取ったのです。周辺国がロタセイの蜂起に同調するのを狙ってのことですが、もしそれが無理でも、領内で騒ぎを起こすことで知事の責任が問われると考えたようです」


 反乱が周辺にまで飛び火することはないと、兄は最初からそう見切っていたのだろうとナタレは思う。ロタセイの女子供のみをタンゼア公の手引きでスンルーに逃がし、自分たちはサイハングと刺し違えるつもりだったのだ。


「サイハング閣下の汚職の証拠は、この通りです。私は専門家ではありませんので、すべて洗い出すことはできませんでしたが」


 そう言って、シャルナグはもう一度エンバスに指示した。

 セファイドに渡されたのは、知事府から押収してきた帳簿だった。

 軍人であるシャルナグに本来なら捜査権はない。混乱に紛れて強引に持ってきたのである。その前に知事府の会計係を締め上げたのは言うまでもない。


 セファイドは分厚い帳簿をぱらぱらと捲った。サイハングに金品を贈った相手とその内容が、時系列で詳細に記載してある。いわば収賄の記録であった。

 帳簿を役人の一人に渡して、セファイドは足を組んだ。驚いた様子はさほどない。


「おまえの兄は、なぜそれを王都に報告しなかった? 知事の不正を告発したいのならば、国王に訴えるのが筋であろうに」

「ロタセイの矜持がそれをさせなかったのです、陛下。畏れながら、属国になったとはいえオドナス王に頭を垂れるくらいなら、自らの生命と引き換えに主張を通したいと、我々はそう考えます」


 馬鹿なことをしたものだ、と今となっては思える。いくら矜持を示したところで、一族を滅ぼしてしまったら何にもならない。それでもなお――兄の、そして彼に賛同したロタセイの民の気持ちは理解できた。

 だからナタレは、我々、と称した。

 ずいぶん挑戦的な物言いを、セファイドは冷ややかに受けた。


「事情は分かった。だが、おまえは王都を出る時、兄の非行を正してくると啖呵を切ったはずだ。それで、ロタセイの後継者として兄をどう裁くつもりだ?」


 ナタレは大きく息を吸い込んだ。もう腹は決まっていた。


「兄には責任を取らせます。反乱を扇動した罪人として、オドナスの法で裁かれても異存はありません――ただし」


 彼はその場に再び跪いた。頭ががんがんと鳴るように痛かったが、そのぶん血液が激しく全身を巡っている気がした。


「サイハング知事もまた公正に裁かれることを望みます。領地での度重なる略奪、収賄、強姦――これらは東部諸国を苦しめるだけでなく、陛下の御名にも傷をつける背任行為です。兄を処断されるのならば、どうか知事の罪をも白日の下に晒し、妥当な罰をお与え下さい」


 床に額がつくほど深く頭を下げ、低い位置からセファイドを見上げる。

 ロタセイの代わりに自分が頭を下げることなど、ナタレには屈辱でも何でもなかった。


「もちろん、兄ひとりに責任を負わせるつもりはありません。ロタセイの王位を受け継いだ者として、私も兄と同等の裁きを覚悟しております」


 体力も気力も消耗したギリギリのところで、それでもひたむきに自らの意思を貫こうとする少年を、シャルナグは隣で痛ましげに眺めた。もう自分の口出しできる段階ではないと弁えている。もうあとは国王の判断を待つしかない。


 セファイドは特に表情を変えることもなく、こめかみを軽く押さえた。それでも友人であるシャルナグには彼の動揺が分かった。

 かつて兄を手に掛けて王位を奪取したセファイドは、ナタレが自らと同じ道を辿ることを半ば期待して彼を故郷に送った。その予想に反して、彼は背中に兄を庇いながら交渉をしようとしている。

 一歩間違えればともに命を落とすというのに。

 何の策も弄さない、真摯すぎるその態度に――自分とのあまりの違いに、セファイドは新鮮な驚きを感じているのだった。


「……おまえの言い分を信じるならば」


 長い沈黙の後、セファイドはようやく言葉を放った。その間、ナタレは彼から目を逸らさなかった。


「この度の反乱はオドナスに向けた謀反ではなく、知事サイハングに対する個人的な意趣返しだったというわけだな。ならばロタセイを大逆罪に問うわけにはいくまい」


 声にならないどよめきが、国王の背後に並んだ重臣たちから湧き上がった。

 ナタレはすぐに理解ができず、一瞬呆気に取られた顔をした。セファイドの口調はあまりに普通で勿体ぶったところがなく、重大な決定を告げられたと分からなかったのだ。


「そ……それでは……」

「もちろんどんな理由があれ、武力に訴え知事府を占拠した罪は重い。何の咎めもなしというわけにはいかん。だがこれがただの喧嘩で、しかも諍いの発端が知事側にあるのならば、首謀者の首を刎ねるほどのことではあるまいよ」


 セファイドはようやく微笑んだ。少し疲労感の滲む笑顔だった。


 肩の力がいっきに抜けて、ナタレは顔を伏せた。礼を言わねば、と思っても声が出てこない。指先が小刻みに震え始める。

 そんな彼を見ながら、シャルナグは広い胸を撫で下ろした。


「では陛下、ナタレと、ロタセイに残るハザン王子への処分は……」

「追って沙汰を出すが、命までは取らん。それから証拠が揃い次第、サイハングにも相応の処分を言い渡す」


 迷いのないきっぱりとした声で宣言するセファイドに、将軍は深く頭を垂れた。

 大臣や役人の間にもいくぶん安堵の気配が流れる。知事が交代する可能性もあり、これからしばらく担当部署は大わらわになるのだろう。それでもロタセイを厳罰に処して東部諸国の不信を招き、新たな火種を抱えるよりはずっとマシだった。


 ロタセイの王太子は、オドナス国王との駆け引きに勝ったのだ――。

 しかし当のナタレ本人は、跪いて俯いたまま黙っている。


「ナタレ、陛下にお礼を言いなさい」


 ナタレがあまりに無反応なので、シャルナグは彼の肩に触れて促した。

 服を通しても伝わってくる体温――その熱さにシャルナグの顔色が変わった。


「ナタレ、おまえ熱が……」


 答えず、少年の華奢な身体は、糸の切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。





 兄とロタセイが助かったと理解した途端、極度の緊張が解けた。

 するとそれまで気力で保っていた全身の力がするすると抜け、同時に蓄積された疲労が意識を侵食し、ナタレはその場に昏倒してしまったのだった。

 周囲のざわめきと動揺の気配を感じ、誰かに揺さぶられるのが分かったが、心地よい深い闇に沈んでいく感覚に、疲れ切ったナタレは抗えなかった。


 それから彼は、高熱を出して丸二日間眠り続けた――。

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